とうりんじじょう

東林寺城

茨城県牛久市

別名 : 新地城
旧国名 : 常陸

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一ノ郭土塁
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見事な空堀と牛久沼の河童伝説 (2023/10/21 訪問)

 牛久城から牛久陣屋跡を経由して、徒歩30分ほどかけて移動。最寄りのバス停の「三日月コミュニティセンター」(牛久駅西口からバスが出ています。) から徒歩10分ほどです。
 三日月橋を渡り、まっすぐ狭い道を登ると東林寺城の一ノ郭の部分に到着します。
 東林寺城の一ノ郭部分はかなり削れてしまったみたいですが、土塁がしっかり残っています。一ノ郭跡に説明板や、東林寺城跡の標柱がありました。
 一ノ郭からは牛久沼方面を望むことができ、左側に牛久城、右手奥に泊崎城を望むことができます。
 本郭から農道のような散策道を北に進むと二の郭の空堀と土塁が残っています。この空堀はかなり深いです。
 さらに北に進むと、三の郭の土塁と空堀も残っていました。こちらの空堀もなかなかの深さで見応えがありました!!
 最寄りの「三日月橋生涯学習センター」のバス停近くの、牛久市観光アヤメ園や三日月橋には、河童の像があります!!牛久沼や小貝川には河童がいたという伝説があるようです。
 もしかしたら河童もありし日の東林寺城や牛久城、泊崎城を見守っていたのかもしれないですね。

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じゅんじん

牛久城の支城 (2023/03/21 訪問)

大きなお城です。土塁が残っていました。

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チェブ

扉、開いてます。 (2023/02/25 訪問)

1560年頃に岡見氏が築城した「東林寺城」です。
北条討伐で廃城したようなので、廃城年数は1590年。
約30年間、「東林寺城」でどんな事があったのか、調べても、あまり出てきません。
「東林寺城」を地図で見ると、牛久沼の細く伸びた半島台地にあり、『狭そう』が第一印象でした。

まずは、牛久沼を目指しドライブします。
なんだか、寂しげな後ろ姿が見えました、、、?
すると、三日月橋の左側に『河童』の銅像。
どちらも寂しく背をこちらに向けてます。
2度、河童を見てビックリしたら「東林寺城」のある『東林寺』があります。
まずは『東林寺』で参拝し、お墓を通ります。右側に五輪塔がありました。お線香が供えてあったので、誰かのお墓かと思いましたが、もともと「東林寺城」の南にあった塔を境内に移転したそうです。

皆さんの投稿、「東林寺城」を攻めた後に読みました。
扉が閉まっていたようですね。
私が行った日は、扉が開き 閉まらないように青いヒモで縛られてました。
と、左手方向に歩くと土橋。右側に深~~い空堀がありました。土塁が盛られた郭に続きます。郭は広い畑になってます。
地図だけ見て『狭そう』と思った「東林寺城」でしたが意外と広さがありました。
細い半島ですから天然の水堀も備えてます。
この牛久沼は平均水深1mで、深い所だと3mにもなるんだそうです。

んー、誰がどんな風に「東林寺城」と過ごしたか知りたい。
ま、まさか河童??いやいや、河童だけではなさそうです。(お城から、かなり脱線しますので、、、割愛します。)
牛久沼で霞がかる伝説のお城、という印象に変わった「東林寺城」攻めでした。

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カズサン

牛久沼に突出し土塁空壕が良好残存 (2022/05/29 訪問)

 常陸小坂城を終えてまだ陽も高く、今回の企画に入れて無かった近くの未踏の城、東林寺城を目指す事にしスマホで情報確認、城びと、古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの情報を参考にし、東林寺の住所にナビを合わせる、小坂城から西に約6~7km程、三日月橋を渡って北上すると東林寺が有り門前の駐車場を利用する。

 東林寺の参道を行ったり来たり、案内板も無く登城口が良く分からない、丁度地元の方が通ったのでお聞きし、お寺の坂を登り、墓所を抜けると畑の右手に城、左手に城が在ると教えて頂く。(地元の方の城とは残存の土塁と空壕の事のようです。)

 東林寺に参拝し、左手の坂を上ると墓地、東林寺城跡五輪塔が標柱、案内板と2基の五輪塔が桜の木の下に安置されてる、元は一ノ郭に在ったものを、牛久沼農地整備開拓に東林寺城一ノ郭の土砂を削り取り活用、その際にそこに在った五輪塔を東林寺に移したと記載有り、墓地を過ぎアコーディオン門扉(開けて有りました)を越えて右手北側へ。
 三ノ郭で今は畑に成ってる、作業されてる地元の方にお聞きし北側に城が在る、南の竹藪の先にも城が在ると教えて頂く、北に200~300m歩きと三ノ郭虎口と土塁、空壕が有り壕は深く広い、余湖図コレクションさんの俯瞰図では東西に舌状台地を掘り込んでいる、北奥の四ノ郭を眺めて引き返す。
 南に戻って東林寺西裏に二ノ郭空壕が広く深く標柱と共に残存してる枡形虎口の様子、ここも東西に掘り込んでる様子、東林寺敷地は四角い枡形郭の様に成って居る、東に抜けて、西、北、南は堀の切込で囲まれている。
 一ノ郭は二ノ郭空壕を抜けて南に畑と民家が立って居る、畑の畦道を南へロードバイク自転車に載ってる方に様子を伺うと、南の先に土塁、案内板が有ると情報を聞く、南端に一ノ郭土塁、埋まった空堀跡、城名標柱、手ずくり感のある案内板令和3年2月新地の台地で活きる会作成、地元の方の活動で城探訪が出来る幸せを感謝です。
 民家の私道なのか砂利道ですが三日月橋方向へ続いてる様に見受けられます。
 
 東林寺に引き返すとき雉が飛んでいました、上手く撮影出来ず、約1時間探訪を堪能しました、良い城です。
 東林寺の駐車場を使わせて頂き参拝し北の三ノ郭、南の二ノ郭、一ノ郭土塁を探訪するのが良いのではと思いました、四ノ郭に入らなかったのが残念ですが、舌状台地に一ノ郭、二ノ郭、三ノ郭、四ノ郭が連郭式に良く残って居り、一ノ郭は削られてしまいましたが牛久沼が南方に良く眺められます。

 歴史的には、牛久城の岡見氏の築城で新地の地名は牛久城の新旧を窺わせると、秀吉方との攻防で北条方が牛久番を近隣の国人領主に交替で天正15年から18年(1590年)に掛け駐屯地的役割をしていたのかと、土塁空壕は北条方の牛久番が大いに関わった様です、廃城は豊臣秀吉の小田原征伐の後の様です。(案内板一部抜粋)

 

 

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 岡見氏
築城年 永禄年間(1558〜1570)?
主な城主 岡見氏、近藤氏
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板(東林寺城跡五輪塔)
住所 茨城県牛久市新地町149
問い合わせ先 牛久市役所第3分庁舎生涯学習課
問い合わせ先電話番号 029-873-2111