最近気になる「武将印」を勝手に特集しちゃいます!

昨年のお城EXPOで大人気だった御城印。最近はニュースに取り上げられることも増えて、確実にブームになってきています。そんな御城印ブームを受けて、最近気になるのが「武将印」! ということで、すでに発行されている武将印をご紹介していきます。自分の「推し」武将が武将印を発行してくれたら、絶対手に入れたい! これを機会にどんどん増えていったら嬉しいですね♪ ※2020年7月8日現在 25将30種類の武将印を紹介

武将印

「武将印」って?「御城印」と寺社の「ご朱印」との違い

お城の登場記念に頒布されている「御城印」ですが、最近さらに、お城にまつわる武将の記念符を発行するお城が増えてきました。それが「武将印」! イラストが入っていたり、花押が配置されていたり、武将名のほかに一言人物紹介が入っていたりなど、武将によってデザインも内容もさまざまなようです。その分、集める楽しさも倍増! ※名称も「武将印」のほか「御将印」などがありますが、本記事では「武将印」で統一します。

「武将印」は「御城印」と同じく、登城や観光の記念スタンプのようなものなので、寺社への参拝の証としていただく「ご朱印」とは意味合いが完全に違います。御朱印とは分けて納めるようにしましょう。また、「ご朱印」はご朱印帳に書いていただくことが多いですが、「御城印」「武将印」はプリントされた書置きが多いので、あらかじめご承知おきください。

▼人気の「御城印」については、こちらの記事をチェック!

▼「御城印」「武将印」収納にぴったりなポケットタイプ。城びとオリジナル御城印帳については、こちらをチェック!

それでは、お待ちかね武将印のご紹介!なお、こちらは令和2年(2020)7月8日更新の情報です。掲載したもの以外の武将印情報をお持ちでしたら、編集部までご連絡ください。

■沼田氏最後の将「沼田景義」

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沼田城主・沼田顕泰の庶子で沼田氏最後の武将。内紛に敗れて城を追われた後に奪回をはかるも、同じく沼田を狙う真田昌幸によって阻止されます。大変な戦上手で、武将に広く信仰されていた摩利支天になぞらえて称されました。

武将印は、摩利支天版(左)とイラスト版(右)の2種類。どちらにも沼田氏の家紋「左三つ巴」が入っています。
イラスト版は、沼田市在住のイラストレーター・sinobuさんによるもの。上州沼田を中心に活躍している上州真田武将隊を模しています。
※上州真田武将隊についてはこちらをご覧ください!

領布場所:上州真田武将隊商い処 松之屋
価格:各200円(税込)
頒布元:上州真田武将隊商い処 松之屋
関連のお城:沼田城(群馬県沼田市)

▼沼田城に関する記事はこちら

■真田家を江戸時代まで存続させた功労者「真田信之」

真田信之,武将印,上州真田武将隊

真田昌幸の長男で、信繁(幸村)の兄。第一次上田合戦で知略を尽くした勇猛果敢な働きを見せ徳川方を退けた後、徳川四天王の一人である本多忠勝の娘・小松殿(小松姫)を妻に迎えます。
現代でも長寿といえる93歳まで生き、徳川家に重宝されました。

沼田市在住のイラストレーター・sinobuさんによるイラスト入りの武将印。真田家の家紋「六連銭(六文銭)」が入っています。上州沼田を中心に活躍している上州真田武将隊を模しています。

領布場所:上州真田武将隊商い処 松之屋
価格:200円(税込)
頒布元:上州真田武将隊商い処 松之屋
関連のお城:沼田城(群馬県沼田市)

▼真田信之・沼田城に関する記事はこちら

■勇ましい逸話が残る「小松殿(小松姫)」

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“武将”ではないですが、甲冑を身に付けた姿絵が有名な小松殿(小松姫)の“武将印”もあります!
徳川四天王の一人・本多忠勝の娘で真田信之の妻。関ヶ原の戦いで敵味方に分かれた舅の真田昌幸を、夫の留守中の沼田城に入れずに追い返したエピソードは有名です。信之とは政略結婚ではありますが関係は良好で、小松殿が亡くなった際「わが家のともしびが消えたり」と信之が嘆いたそうです。
沼田市在住のイラストレーター・sinobuさんによるイラスト入り。上州沼田を中心に活躍している上州真田武将隊を模しています。

領布場所:上州真田武将隊商い処 松之屋
価格:200円(税込)
頒布元:上州真田武将隊商い処 松之屋

さらに、令和2年1月には新年限定版も販売されていました!
1月限定だったため、現在は残念ながら購入できません……。

新年版上州真田武将印


■織田信長の父で「尾張の虎」と称された猛将「織田信秀」

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織田一族中最強といわれる武将。今川氏や斎藤氏と戦うも斎藤道三とは和睦し、嫡男の信長の嫁として道三の娘を迎えています。天文16年(1547)に末森城を築城し、最期もこの城で迎えました。家督を信長に、末森城を信行に譲りました。

武将印は、家紋の「織田木瓜紋」のほかに、中央に大きく信秀の花押を配置。

領布場所:城山八幡宮
初穂料:500円(税込)
頒布元:城山八幡宮
関連のお城:末森城(愛知県名古屋市)

▼織田信秀に関する記事はこちら

■兄・信長と対立し亡くなった「織田信行」

織田信行,武将印,城山八幡宮

織田信秀の息子で、信長の弟。同時代の史料では織田信勝とも。信秀とともに末森城で暮らし、末森城主の座を継ぎますが、信長に戦いを挑み大敗。百舌鳥(もず)を使った狩りの名手だったといわれています。

武将印は、家紋の「織田木瓜紋」のほかに、中央に信行の花押を配置。題字の上には百舌鳥の姿も。

領布場所:城山八幡宮
初穂料:500円(税込)
頒布元:城山八幡宮
関連のお城:末森城(愛知県名古屋市)

■圧倒的人気を誇る戦国武将「織田信長」

織田信長,武将印,城山八幡宮,那古野城

好きな戦国武将に投票するテレビ番組で、圧倒的な票差で1位を獲得した超・有名武将。文武両面でエピソード満載の人生を送りますが、本能寺の変で明智光秀に討たれて幕を下ろします。

武将印にも配されている花押は、麒麟という漢字の「麟」を象ったといわれています。生誕したとの通説があり、信秀の死の数年後まで居住した那古野城の城名を記載。

領布場所:城山八幡宮
初穂料:500円(税込)
頒布元:城山八幡宮
関連のお城:那古野城(愛知県名古屋市)

▼織田信長・那古野城に関する記事はこちら

■信長の弟で絶世の美少年「織田秀孝」

織田秀孝,武将印,城山八幡宮

織田信秀の息子で、信長の弟。信長の一代記『信長公記』では筆を尽くしてその美貌を絶賛されています。叔父である守山城主・織田信次の家臣に誤って矢を射られ、若くして亡くなりました。

武将印の中央に、家紋の「織田木瓜紋」を大きく配置。

領布場所:城山八幡宮
初穂料:500円(税込)
頒布元:城山八幡宮

■初代丹波柏原藩主となった「織田信包(のぶかね)」

織田信包,武将印,城山八幡宮

織田信秀の息子で、信長の弟。信長に従っていましたが、本能寺の変で信長が亡くなると、豊臣秀吉に仕えて、後に初代丹波柏原藩主となります。

武将印は、家紋の「織田木瓜紋」のほかに、中央に大きく信包の花押を配置。

領布場所:城山八幡宮
初穂料:500円(税込)
頒布元:城山八幡宮

■時代に翻弄された美姫「お市の方」

お市の方,武将印,城山八幡宮,姫印

織田信秀の娘、信長の妹で、末森城で生まれました。小谷(おだに)の方とも呼ばれています。近江小谷城主の浅井長政に嫁すも、信長に浅井氏が滅ぼされ、3人の娘を連れて織田に戻りました。その後、娘たちを連れて柴田勝家に嫁ぐも、羽柴秀吉に攻められ、娘たちを逃して自害。

姫印は、戦国一と名高い姿を中央にデザイン。

領布場所:城山八幡宮
初穂料:500円(税込)
頒布元:城山八幡宮

■松江開府の祖「堀尾吉晴」

武将印,堀尾吉晴,松江城

安土桃山時代の武将で豊臣秀吉の三中老の一人。関ヶ原の戦いでは東軍。初代松江藩主となった息子の忠氏が早世したのを受けて、孫の忠晴を補佐し松江城と城下町をつくりました。「鬼茂助」と呼ばれるほどの猛将でありながら、温厚で謙虚な人柄から「仏の茂助」とも称された武将。

武将印の文字は、松江市出身で、松江親善大使でもある路上詩人・こーたさんのもの。松江城の別名「千鳥城」にちなんで勝利や豊かさを意味する千鳥柄の朱印や、堀尾家家紋である「分銅紋」があしらわれています。

領布場所:いっぷく処清松庵(塩見縄手)
価格:500円(税込)
頒布元:(一社)松江観光協会
関連のお城:松江城(島根県松江市)

▼堀尾吉晴・松江城に関する記事はこちら

■早世した初代松江藩主「堀尾忠氏」

武将印,堀尾忠氏,松江城

松江開府の祖といわれる堀尾吉晴の子。関ヶ原の戦いでは、開戦直前で負傷した吉晴に代わり東軍として参戦、武功をたてて出雲・隠岐両国 24 万石を与えられて出雲の太守(出雲守)となります。新たな居城として松江城築城を計画しますが、その矢先に急逝。

武将印は、路上詩人こーたさんが1枚1枚書下ろしており、地元の出雲民芸紙である和紙を使用。
松江城の別名・千鳥城にも由来する千鳥柄(朱印)で「勝利と豊かさ」を表しており、さらに堀尾家の家紋で「神の加護」を意味する「抱き冥加」の金印入り。安全祈願がこめられています。

領布場所:いっぷく処清松庵(塩見縄手)
価格:500円(税込)
頒布元:(一社)松江観光協会
関連のお城:松江城(島根県松江市)

▼松江城に関する記事はこちら

■松江藩松平家の初代藩主「松平直政」

松平直政,武将印,御将印,松江城

徳川家康の次男・結城秀康の嫡男。初陣は大坂冬の陣、真田丸攻めの戦いだったと言われています。信州松本城主を経て国替えで松江城に入り、松江藩松平家初代藩主になると、国務の六か条を示し内政に尽力しました。

武将印の文字は、松江市出身で松江親善大使でもある路上詩人・こーたさんのもの。松江城の別名「千鳥城」にちなんで勝利や豊かさを意味する千鳥柄の朱印や、松平家家紋である「丸に三葵紋」があしらわれています。
松江市に設置された武者(堀尾吉晴)がしゃべる自動販売機の3号機でのみ買うことができるレアものです!! 武者がしゃべる自動販売機についてはこちらをご覧ください。

領布場所:いっぷく処清松庵(塩見縄手)の自動販売機
価格:550円(税込・お茶つき)
頒布元:(一社) 松江観光協会
関連のお城:松江城(島根県松江市)

▼松江城に関する記事はこちら

■文禄・慶長の役で活躍「末次元康」

末次元康,毛利元康,武将印,末次城

毛利元就の八男で、文禄・慶長の役では主君・毛利輝元の名代で朝鮮に出陣し、武功を立てました。関ケ原の戦いでも活躍。

末次(毛利)元康が居城とした末次城は、鎌倉時代に末次氏によって築城された山城。文明年間に末次氏は尼子氏についたとみられ、毛利氏との攻防戦の末に落城。元康が末次氏を継いで入城するも、元康の移封により廃城になったと言われています。後にその跡地に松江城が築城されました。

松江城の裏御城印ともいえるこの武将印は、松江市に設置された武者(堀尾吉晴)がしゃべる自動販売機の3号機でのみ買うことができる超レアな一品。武者がしゃべる自動販売機についてはこちらをご覧ください。松江市出身で松江親善大使でもある路上詩人・こーたさんの文字に、中央には毛利氏の家紋「一文字に三つ星紋」が配置されています。

領布場所:いっぷく処清松庵(塩見縄手)の自動販売機
価格:550円(税込・お茶つき)
頒布元:(一社) 松江観光協会
関連のお城:松江城(島根県松江市)

■尼子十勇士の一人「山中鹿介」

山中鹿介,武将印,月山富田城

戦国時代の武将で、実名は幸盛。尼子氏の重臣で、尼子十勇士の一人。毛利氏に滅ぼされた尼子氏再興に奮闘、尼子氏の拠点であった月山富田城には「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と尼子氏再興を三日月に祈っている山中鹿介の像があります。

武将印に大きく入っている「山陰の麒麟児」は、武勇に優れ、特に一騎打ちに強かった山中鹿介の異名。
令和2年の大河ドラマにからめて、元祖麒麟として「麒麟がいる!」と地元ではPR中だとか!?
左上にあるのは、山中氏家紋である「橘」。下部には尼子氏家紋の「平四つ目結(ひらよつめゆい)」が大きく配されています。
山中鹿介祈月像の写真封筒つき。

領布場所:安来市立歴史資料館
価格:300円(税込)
頒布元:安来市立歴史資料館
関連のお城:月山富田城(島根県安来市)

▼山中鹿介・月山富田城に関する記事はこちら

■下克上で戦国大名まで上り詰めた「尼子経久」

尼子経久,武将印,御将印

守護権力に反抗したことにより守護京極氏に守護代職を罷免され、月山富田城を追放されるも奇計をもって奪取したという逸話が残されている尼子経久。その後も山陰山陽の大名を次々と支配下に置き、一大勢力を築き上げ「山陰山陽十一州の太守」と言われています。

武将印は、尼子氏の家紋「平四つ目結(ひらよつめゆい)紋」と花押入り。

領布場所:安来市立歴史資料館
価格:300円(税込)
頒布元:安来市立歴史資料館
関連のお城:月山富田城(島根県安来市)

▼月山富田城に関する記事はこちら

■尼子最盛期を築いた「尼子晴久」

尼子晴久,月山富田城,武将印,御将印

尼子経久の孫。父の早世により経久から家督を相続。臣従していた毛利元就の離反を受けて毛利領の吉田郡山城を攻めるも大敗した後は、内政に力を入れて領国の統治を安定させ、大内・毛利連合軍を撃退。その後も元就と攻防が続く中、急死。元就が「晴久存命のうちに一戦交えて雌雄を決したかった」と言ったとも伝えられています。中国八ヶ国の守護となり、尼子氏の最盛期を築きました。

武将印は、尼子氏の家紋「平四つ目結(ひらよつめゆい)紋」と花押入り。

領布場所:安来市立歴史資料館
価格:300円(税込)
頒布元:安来市立歴史資料館
関連のお城:月山富田城(島根県安来市)

▼月山富田城に関する記事はこちら

■日本槍柱七本の一人「吉川広家」

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毛利元就の次男である吉川元春の三男。見事な槍働きにより豊臣秀吉から日本槍柱七本(日本七槍)と称されました。しかし、毛利輝元が西軍大将を務めた関ヶ原の戦いにおいては、ひそかに徳川家康に通じて輝元が実際に参戦するのを防ぎ、毛利家を滅亡の危機から救います。現在の米子城の築城に着手するも、完成を前に国替えとなりました。

武将印中央でひと際目を引くのは「婆々羅(ばばら)の馬印」。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、苦戦を強いられていた加藤清正を救った礼として使用を認められた清正の馬簾(ばれん)をアレンジして、赤の13馬簾(婆々羅)としたそうです(所説あり)。左上には吉川家家紋「丸に三つ引き両紋」を配置。右下は広家の花押。

領布場所:米子まちなか観光案内所
価格:300円(税込)
頒布元:(一社)米子観光まちづくり公社
関連のお城:米子城(鳥取県米子市)

▼吉川広家・米子城に関する記事はこちら

■米子藩を支えた有能な執政家老「横田内膳」

横田内膳,御将印,武将印

横田内膳正村詮(よこたないぜんのしょうむらあき)は、短期間に米子城を含む城下町を整備した有能な米子藩執政家老。近江国水口藩時代の近江八幡や駿河国駿府で培った都市計画の知識と経験を活かして、城下町の街路を商業重視の横町型として設計し、藩内の各地域から呼び寄せた住民と寺院を計画的に配置。また、物流の動脈として外堀を商人に開放するなど、現在の米子のまちの礎を築きました。

三好康長の甥と言われているため、武将印の左上には三好氏の家紋「三階菱に釘抜紋」が配置されています。中央にあるのが横田内膳の「右三つ巴紋」。右下は横田内膳の花押。

領布場所:米子まちなか観光案内所
価格:300円(税込)
頒布元:(一社)米子観光まちづくり公社
関連のお城:米子城(鳥取県米子市)

▼米子城に関する記事はこちら

■尼子氏と激戦を繰り広げた「毛利元就」

毛利元就,武将印,白鹿城

題字の「白鹿城の戦い」とは、永禄6年(1563)に毛利氏・尼子氏間で起こった白鹿(しらが)城攻城戦のこと。毛利元就は、宿敵・尼子氏の居城である月山富田城を攻める前に、支城ネットワーク「尼子十旗(あまごじっき)」第一の城、白鹿城を次男・吉川元春らと攻め入り、激戦を繰り広げました。武将印には、毛利氏の付城(つけじろ)「荒隈城、和久羅城、真山城」の朱印が入っています。付城とは敵方の城の近くに築く攻撃拠点のことで、先の3城は松江城天守最上階からも望むことができます。戦国時代の距離感と緊迫感が感じられる武将印ですね!

武将印の文字は、松江市出身で松江親善大使でもある路上詩人・こーたさんによるもの。

領布場所:いっぷく処清松庵(塩見縄手)、店舗前の武者がしゃべる自動販売機
※現在、いっぷく処清松庵(塩見縄手)は営業自粛中のため、店舗での販売は営業開始後になります。自動販売機では現在も販売中。
価格:500円(税込)、550円(自動販売機。お茶つき)
頒布元:(一社)松江観光協会
関連のお城:白鹿城(島根県松江市)

▼毛利元就に関する記事はこちら

■押尾家の家老を務めた「松田左近」

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松江城を築城した堀尾吉晴、忠氏親子に仕えた家老。国境を守るための支城・赤穴城の城代家老として、城の近世城郭化や宿場町の整備を着手。戦でも武功をあげました。また、賤ヶ岳の七本槍で知られる福島正則とは“呑み友達”で、正則は左近が病気療養と聞いてお見舞いに駆けつけます。幸い軽症だった左近は、いつものように大量のお酒を用意させようとしますが、友の身を案じた正則はそれを断り、2人で1椀のお酒を楽しんだ、という「一杯のかけそば」ならぬ「一杯の酒盛り」な逸話が伝えられています。

武将印の文字は、松江市出身で松江親善大使でもある路上詩人・こーたさんのもの。

領布場所:道の駅赤来高原
価格:500円(税込)
頒布元:(一社)松江観光協会
関連のお城:赤穴城(島根県飯石郡)

■赤鬼と評された徳川四天王の一人「井伊直政」

井伊直政,武将印,戦将の符

2歳で父を亡くし放浪するも15歳で徳川家康に見いだされ、小姓となってからめきめきと頭角を現し、「赤鬼」と評される活躍で徳川四天王の一人となります。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで島津豊久を討ち取り、論功行賞で佐和山城主となりますが、関ヶ原の戦い時に受けた銃創がもとで逝去。

彦根市にある武将グッズ専門店が「戦将の符」という名でシリーズ展開している武将印。井伊直政は定紋「彦根橘」を大きく配置したもの(左)と、定紋と替紋「井桁(いげた)」を並べたもの(右)の2種類があります。両武将印にある言葉は、関ヶ原の戦い後に九州の大名、鍋島勝茂が直政を讃えたもの。右下には井伊直政の花押があります。中央の武将名は書道家の大介氏の書。

領布場所:彦根城内 鐘の丸売店(定紋バージョン)、四番町スクエア内 キャラクターワールド(定紋・替紋並びバージョン)
価格:各300円(税込)
頒布元:真・戦国丸
関連のお城:佐和山城(滋賀県彦根市)

▼井伊直政・佐和山城に関する記事はこちら
【関ヶ原の舞台をゆく③】関ヶ原の戦い古戦場ガイド~戦跡を歩きながら考える、武将たちの思惑~

■イベント限定の武将印

◆令和2年(2020)1月5日~3月22日に広島県で開催された「家紋ラリー第2弾」。毛利氏関連博物館等施設連携事業推進協議会による主催で、毛利一族ゆかりの施設を回り、一族の歴史ストーリーに触れながら武将印をゲットできるというもの。頒布された武将印は以下の6武将です!

■内政で力を発揮するも早逝した「毛利隆元」

毛利隆元

毛利元就の長男。10代で毛利家の主筋である大内家に人質に出され、数年過ごします。内政に優れており、安芸・備中・備後・長門の守護となり、中国地方の半分を支配。40代で急逝。

武将印の中央に配置されているのは毛利隆元の花押。毛利氏の家紋「一文字に三つ星」も配置。和紙。

領布場所:安芸高田市歴史民俗博物館
価格:100 円(税込)
関連のお城:郡山城(広島県安芸高田市)

▼郡山城に関する記事はこちら

■広島城を築いた5大老の一人「毛利輝元」

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毛利隆元の息子で、毛利元就の孫。父の急死により11歳で家督を継ぎます。播磨国に進出してきた織田信長と敵対するも、羽柴秀吉の攻勢を受けて講和。本能寺の変の後、秀吉に仕えて、天正16年(1588)に広島城築城。五大老まで上り詰め、関ヶ原の戦いにおいては西軍の総大将を務めます。

武将印の中央に配置されているのは毛利輝元の花押。毛利氏の家紋「一文字に三つ星」も配置。和紙。

領布場所:広島城
価格:100 円(税込)
関連のお城:広島城(広島県広島市)

▼毛利輝元・広島城に関する記事はこちら

■「3本の矢」2本目の勇将「吉川元春」

吉川元春,武将印

毛利元就の次男。従兄である吉川興経の養子に入り、天文19年(1550)日野山城主となります。弟・小早川隆景とともに、毛利氏中国平定に貢献。11歳で初陣を飾り、生涯無敗とも1敗とも言われている猛将。

武将印の中央に配置されているのは吉川元春の花押。吉川氏の家紋「丸に三つ引き両紋」も配置。和紙。

領布場所:戦国の庭 歴史館
価格:100円(税込)
関連のお城:日野山城 (広島県山県郡)

▼吉川元春・日野山城に関する記事はこちら

■「毛利両川」の一人「小早川隆景」

小早川隆景,武将印

毛利元就の三男。小早川家を継ぎ、兄・吉川元春とともに、「毛利両川(りょうせん)」として毛利氏勢力拡大に尽力、主に山陽地域を治めます。三原を中心に強力な水軍を編成。

武将印の中央に配置されているのは小早川隆景の花押。小早川氏の家紋「左三つ巴」も配置。和紙。

領布場所:(一社)三原観光協会
価格:100円(税込)
関連のお城:三原城 (広島県三原市)

▼小早川隆景・三原城に関する記事はこちら

■関ヶ原の戦いで暗躍し毛利家を救った「吉川広家」

吉川広家,武将印

吉川元春の三男で、毛利藩の支藩である岩国藩吉川家の祖。毛利輝元が西軍大将を務めた関ヶ原の戦いにおいて、ひそかに徳川家康に通じ、輝元が実際に参戦するのを防ぎました。「兵に弁当を食べさせるから(出陣できない)」というエピソードで有名。

武将印の中央に配置されているのは吉川広家の花押。吉川氏の家紋「輪九曜」も配置。和紙。

領布場所:岩国徴古館
価格:100円(税込)
関連のお城:岩国城 (山口県岩国市)

▼吉川広家・岩国城に関する記事はこちら

■言わずと知れた中国地方の雄「毛利元成」

毛利元就,武将印

一国人にすぎなかった毛利氏を、押しもされぬ中国地方の大大名に押し上げた戦国武将。3人の息子にあてた14ヶ条にわたる手紙「三子教訓状」は、「3本の矢」のエピソードで有名。

掲載の武将印は、「家紋ラリー第2弾」ですべての武将の家紋シールを集めた人の中から、抽選で50名にあたる特別な1枚!
和紙の中央に配置されているのは毛利元就の花押。毛利家家紋の「一文字に三つ星」も配置。

領布場所:抽選
価格:―
関連のお城:郡山城(広島県安芸高田市)

▼毛利元就・郡山城に関する記事はこちら

◆令和2年(2020)3月22日に(一社)松江観光協会が主催した「御将印 三将販売開始キャンペーン」で、一日限定販売された尼子経久の武将印。島根県在住の路上詩人こーたさんによる書下ろしです。松江城の堀尾吉晴または堀尾忠氏、米子城の吉川広家、月山富田城の山中鹿介という雲伯三武将の武将印3枚すべてを3月22日までに集めた人だけが購入できました。

■下剋上で戦国大名まで上り詰めた「尼子経久」

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尼子氏の最盛期の基盤を築いた戦国時代の武将。月山富田城を拠点とし、山陰山陽十一州を手中に収めました。

執筆:城びと編集部