あかなせとやまじょう

赤穴瀬戸山城

島根県飯石郡

別名 : 瀬戸山城、衣掛城、藤釣城
旧国名 : 出雲

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主郭石垣・石段
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ぴーかる

赤穴瀬戸山城 (2023/02/25 訪問)

【赤穴瀬戸山城】
<駐車場他>道の駅赤来高原に駐車しました。道の駅に城跡のパンフレットが置いてありますのでここの駐車が良いかと思います。
<交通手段>車

<見所>石垣・虎口・曲輪・堀切
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅1城目。第四の城、赤穴城は1377年に地頭に任命された赤穴氏によって築城されました。戦国時代には尼子氏に従属します。1562年、毛利元就の第二次月山富田城の進攻時に赤穴城は毛利軍の攻撃を受け、赤穴氏は所領安堵を条件に毛利氏に帰属します。関ヶ原後赤穴氏は毛利家移封に従い、堀尾吉晴家臣の松田左近将監吉久が入封します。現在城跡に残る石垣は松田左近が改修した名残です。松田左近の墓地が麓の<34.996657, 132.719877>にあります。赤穴城は一国一城令により破却されました。
 赤穴瀬戸山城跡登城口より登城しました。山頂までは1000mあります。途中の遺構に堀切が1か所あります。登山道の終点は大手門跡に着きますので、登山道は松田吉久が改修した当時の大手道だったかもしれません。城跡は派生する尾根尾根に曲輪を設けています。現地縄張り図の大手門跡・主郭・3郭の曲輪壁には破却されたとはいえ多くの石垣が残されています。4郭5郭には石段、7郭から南に伸びる連郭の曲輪壁にも崩れた石垣跡が見られます。派生する連郭の尾根先には堀切で仕切っています。破却時に石垣が崩したらしいのですが今でも良くその名残を留め興奮する見応えでした。城跡内もよく整備されています。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

見上げたら絶対登りたくなる (2022/06/04 訪問)

尼子十旗に数えられる赤穴氏の拠点であり毛利方の猛攻を受け間近に陣城(武名ヶ平城)を構えられた城であり堀尾氏によって近世城郭に大改造された城であり破城痕を明瞭に残す城でもある。実に贅沢なお城ではないか。

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まっつん

赤穴瀬戸山城 (2021/07/24 訪問)

出雲国の戦国大名・尼子氏の月山富田城の主要な支城「尼子十旗」の一つ赤穴瀬戸山城はとてもよく手入れがされていて、登りやすい城跡でした。
麓の「道の駅赤来高原」に車を停めて歩いて30分程度で主郭付近まで行けました。
また、毛利元就が赤穴瀬戸山城を攻める際に布陣したという武名ヶ平山城も尾根続きにあるので、そちらにも行ってみました。結構なアップダウンがあり疲れましたが、達成感もありました!
とても見学しやすい城跡だと思います。オススメです!

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ダイエティシャン

【天空の朝ごはん@瀬戸山城】Ⅲ〜堀切 竪堀 侍屋敷跡 遠景 (2021/03/29 訪問)

【天空の朝ごはん@瀬戸山城】に参戦!
夜明けてから、下山。途中、堀切(2&;3枚目)竪堀(4枚目)も見えました。最近も整備して下さった様子、(5枚目)感謝です。
麓の神社向いの郭跡、侍屋敷跡(6枚目)
赤来高原の旗(7&;8枚目)
朝日に輝く瀬戸山城遠景(9枚目)

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 赤穴常連
築城年 天授3年〔南朝〕/永和3年〔北朝〕(1377)
主な改修者 松田吉久
主な城主 赤穴氏、松田氏(堀尾氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)?
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、虎口
再建造物
住所 島根県飯石郡飯南町下赤名
問い合わせ先 飯南町教育委員会
問い合わせ先電話番号 0854-72-0301