鳥取県米子市の中海に張り出した湊山(標高90.1m)を中心に築かれた米子城は、山頂に五重天守と四重天守(櫓)が並び建ち「山陰随一の名城」とも呼ばれる壮麗な城でした。天正19年(1591)以降、吉川広家、中村一忠が城をどう築き改修したのでしょう。数か年に渡る発掘成果によって、米子城の築造過程が徐々に判明してきました。今回は、この発掘調査を検証し、吉川時代の城がどのような城で、それを中村氏がどう改修したのかまとめてみたいと思います。
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