日本100名城

がっさんとだじょう

月山富田城

島根県安来市

別名 : 月山城、富田月山城、富田城
旧国名 : 出雲

投稿する
月山富田城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

侍ホリタン

山陰の名城を訪ねて① (2022/05/05 訪問)

尼子歴代の居城です。尼子氏滅亡後は毛利氏、吉川氏、堀尾氏と城主を変えて1615年一国一城令により廃城となりました。
駐車場は麓から登られる方は、道の駅「広瀬・富田城」の駐車場を利用することになります。隣の歴史資料館でトレッキングポールの貸し出しを行っていました。中腹から登られる方は「花の壇」近くに駐車場あります。登山道は整備されていて登りやすいですが、「山中御殿」から三の丸へ向かう登山道は急な曲がりくねった階段が続きます。御城印、100名城スタンプは歴史資料館内にあります。

+ 続きを読む

Tokyobay

歴史資料館で親切に説明してもらう (2022/11/14 訪問)

中山御殿跡までは車で行けるので迷うが、まず歴史資料館を訪ねて相談。DVDや模型を見ながら登城に関する概要説明を10分程度受けて案内図をもらうが、U字型の構造がちょっと小谷城に似ている印象。結局下から登城したが、結果的にはそれでよかった。アチコチゆっくり見て往復2時間程度。近年かなり整備したようで全体的には歩きやすくなっており、城内の各郭まで職員の軽自動車が往来しているのに驚く。石垣は結構残ってはいるが、発掘時に新たに積み増したものが混在しており、上手く加工処理しているので良くも悪くも新旧の違いが判らないのがちょっとモヤモヤする。往路と復路は別ルートを推奨しているものの、土塁跡(虎口かと思ったら、工事用に破壊して作った道らしい)からの下りは結構道が悪く急で狭いので多少気を付ける必要がある。
帰りにも歴史資料館を訪ねて登城中に感じた疑問点について色々と尋ねると、模型(凄くよくできているので必見)や航空写真を用いて30分程度かけて親切に説明してくれ「英雄たちの選択」撮影秘話等々興味深い話も教えてくれた。ここは3大山城には入っていない(5大山城には入っている)ものの、雑誌「歴史人」で唯一100点満点獲得したことにより「日本最高の山城」としてアピールしており、監修した小和田先生(息子)のサインも見せてくれた。また、地元では「山中鹿介を大河ドラマの主人公に」という運動もしていて町全体での盛り上げムードが感じられる。
尚、現在の道の駅駐車場からの登城ルートは観光用に作ったもので、本来の登城ルートは菅谷口からのルートとのこと。城安寺のある菅谷口からは車で登れるのだが、結局は中山御殿跡前の駐車場に到達するので車で一周できるようになっている。ちなみに、中山御殿跡前の駐車場隣(大手門前)には民家が一軒あるのだが、地元では「城主」と呼ばれているようである。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

AJ

山城信仰 (2019/12/03 訪問)

関ヶ原後、堀尾氏が松江入りするまで本拠を構えた月山富田城、、という書き方では廃城感しか伝わらないかもしれません。実際は、中国地方の覇権をかけた大会戦の舞台となった戦国最強の山城。ここを攻略せずに城愛、とりわけ山城愛を語ることは許されないはず。

力攻めで落とせた武将はいないようです。あの毛利元就ですら最後は兵糧攻めを余儀なくされたと聞きます。さらに、この城を知り尽くしていたはずの山中鹿介は、主家である尼子が毛利に敗れたあと、今度は攻め手として寄せますが、見事に撃退されています。

尾根続きに山々全域に大小の曲輪群が展開する圧倒的スケールの山城で、比高は160メートル。南東を除く三方が急峻な崖であるため、入り口は限定されています。山上の詰城に辿り着くには「七曲り」と呼ばれる軍用道を登るしかありませんが、戦局はその手前、中腹の山中御殿周辺に限定されたとみられます。つまり、簡単には登れないということ。中段、御殿、山上のそれぞれに土塁と堀を巡らすことで機能は独立。要害堅固な構えとなっています。

さらに注目すべきは、戦国の遺構を破却せず、再利用して近世城郭に造り替えた点。これはかなりレアケースではないでしょうか。廃城から400年経った今も研究者から絶讃される理由が分かるような気がします。現存する建物はなくとも、その地形や高低差自体が歴史資料として超一級だと思われます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くらのり

月山富田城 (2017/05/06 訪問)

戦国時代には山陰の覇者と呼ばれた尼子氏が本拠を構え、そのあと170年もの間尼子氏6代の盛衰の舞台となりました。現在、月山富田城の城郭跡は国の史跡に指定。
歴代の出雲国守護職の居城であり、山陰の要衝の地となりました。天然の地形を利用して標高183.9mの月山に建てられた山城であり、最も難攻不落の要塞城と言われ、当時は「天空の城」とも言われた。
城をめぐって何度も攻防戦が行われますが、最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、毛利領となり、1600年以降は堀尾氏が城主となったものの、松江城に移り、廃城に。

+ 続きを読む

概要

元々は戦国大名尼子氏の居城で、関ヶ原合戦後に堀尾吉晴が近世城郭へと改修。山頂付近の主郭部にある本丸・二の丸・三の丸の石垣は、低い石を段々に積み重ねる「段築」という工法によるもの。山腹の要地に築かれた広大な曲輪は山中御殿跡として現存し、三方を囲む大石垣などが堅固な防御の面影を今に伝える。

城郭情報

城地種類 複郭式山城
築城年代 文治元年(1185)頃
築城者 佐々木義清?
主要城主 尼子氏、吉川氏、堀尾氏
文化財史跡区分 国史跡(富田城跡)
近年の主な復元・整備 尼子経久、堀尾吉晴
主な関連施設 石垣、侍所、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、虎口、井戸
住所 島根県安来市広瀬町富田
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969