雪が残る月山富田城を登ってみた。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42460513/
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2019/02/01 20:28
2019/01/15 16:53
2018/11/27 00:24
兵どもが夢の跡 (2012/07/14 訪問)
天守もない、大きな石垣もない。城=天守と思ってる方には、少し石垣が残ってる程度のただの山でしょうが・・・
最盛期には山陰・山陽八ヶ国(出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後)の守護であったものの、そのわずか15年後には毛利氏の侵攻により滅亡した尼子氏の居城。
この月山富田城を奪回する為に山中鹿介こと山中幸盛公が「我に七難八苦を与えよ」と月に祈り、主家の尼子氏再興の為に一生を捧げたと思うと、込み上げてくるものがあります。
尼子経久公・晴久公(国久公と誠久公も)・義久公・勝久公・山中幸盛公等の尼子氏にゆかりのある人物を知っていると、目には見えない往時の景色が見えてくるような、そんな気持ちにさせてくれる城址です。
以下、写真の説明です。
1枚目・・・本丸にある山中鹿介記念碑。割れたような石碑が悲愁を誘います。今は背後の木が綺麗に整備されているようです。
2枚目・・・千畳平の尼子神社。八ヶ国の守護の面影もない小さな社に思わず目頭が熱くなりました。
3枚目・・・月山富田城前を流れる飯梨川。国破れて山河ありといった感じ。往時もこのような風景だったのか。
4枚目・・・洞光寺の尼子清定公・経久公墓所から見た月山富田城(突き出た山の所)。両公は尼子氏栄華の跡を見守っています。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
元々は戦国大名尼子氏の居城で、関ヶ原合戦後に堀尾吉晴が近世城郭へと改修。山頂付近の主郭部にある本丸・二の丸・三の丸の石垣は、低い石を段々に積み重ねる「段築」という工法によるもの。山腹の要地に築かれた広大な曲輪は山中御殿跡として現存し、三方を囲む大石垣などが堅固な防御の面影を今に伝える。
城地種類 | 山城 |
---|---|
築城年代 | 平安時代?、鎌倉時代?、慶長5年(1600) |
築城者 | 不明、堀尾吉晴 |
主要城主 | 尼子氏、毛利氏、吉川氏、堀尾氏 |
文化財史跡区分 | 国指定史跡 |
近年の主な復元・整備 | 平成14年まで二の丸、花ノ壇などの主要な曲輪や、園路の整備を行う |
天守の現況・形態 | - |
主な関連施設 | 安来市立歴史資料館、新宮党館跡 |
主な遺構 | 曲輪群、石垣、堀切 |
住所 | 島根県安来市広瀬町富田 |
---|---|
問い合わせ先 | 島根観光連盟 |
問い合わせ先電話番号 | 0852-21-3969 |