【日野山城】
<駐車場他>駐車場あり<34.737362, 132.498778>4台程度
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣跡・土塁
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅2日目6城目。日野山城の築城は定かではありませんが吉川元春が1550年頃家督を相続したころから新庄小倉山城から移り本拠地としました。それまで砦のような構造物はあったようですが移転後に吉川元春が大規模整備拡張したようです。1582年に吉川元春は隠居して山麓居館を築いて移り住むようになってからは居住されなくなり、1591年に当主吉川広家が月山富田城に移封されるとともに日野山城は廃城となったようです。
日山城跡案内板から西に左折して常仙寺跡の麓の道路脇に専用駐車場があります。駐車場にも城跡説明板があり、縄張り図があるので写真を撮って登頂すると良いでしょう。駐車場から徒歩で道なりに奥へ進んで行きます。案内板がありますので迷うことはないでしょう。川を遡って進みます。そこそこ遡ると山方向へ入る案内板がありますのでそこから山を登ります。駐車場から30~40分程度で城跡にたどり着けます。私が訪れた時は城跡進入口に倒木がありました。城跡は東西に長く広大な城域で大きく東の中城地区と主郭を中心とした山頂地区とに分かれています。中城地区は米蔵などの広い曲輪が多く、土居が石積みの残る箇所が多く見られます。中城地区はあまり藪化してなく見応えがあります。中城地区から尾根上、山腹をつたって北地区に行きます。来た道を戻り城跡道を通って今度は山頂地区に行きますが山頂地区に入った所の大門の原という曲輪から笹が一面びっしりと埋まっており曲輪の輪郭ははっきりせず、ほとんど笹薮漕ぎ状態で進みます。本丸・二の丸を含めた広大な曲輪群のほとんどが笹で浸食されてしまい遺構がよく見えません。石垣遺構も沢山あるだろうと思いますが勿体ない事です。北西隅の三の丸の連郭は笹の浸食が少なくまだ割と見れます。
国史跡なのに‥‥、笹が無ければすごい遺構が露わになって続百名城に負けていない城跡間違いなし、広島県続百名城の三原城(小早川隆景の城、続百2つは要らないでしょう)より私は好き。
<満足度>◆◆◆
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