「総選挙」シリーズ ランキング 【1位~10位編】「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」ベスト30の順位結果発表!

2019年12月28日(土)・2020年4月27日(月)にテレビ朝日系列で放送の「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」。全国10万人による大規模な投票で、ベスト20にランクインした戦国武将は誰か? 今回は【1位~10位】をランキング形式でご紹介します。




「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」とは?

テレビ朝日系列で放送されている「総選挙」シリーズは、あらゆるジャンルの人気No.1を投票で決するガチ企画。「戦国武将」をテーマに、約2700人の武将から1位を決める総選挙が実施されました!


▼2020年12月28日放送決定!「戦国大名総選挙」が気になる方はこちらもチェック!

■10位 石田三成 豊臣政権を頭脳で支えた知将

石田三成

戦国時代きっての頭脳派として豊臣政権の基盤を築き、関ヶ原の戦いで対立した徳川家康が「こういう家臣が欲しかった」と評したという石田三成。その手腕について「光秀のおかげで年貢の不正がなくなった」と解説。それまで測り方がバラバラだった一尺の長さを、三成が“検知尺”で統一したのです。また番組では、関ヶ原の戦いに敗れた三成が逃げ隠れた大蛇(おとち)岩窟(三成の隠れ岩窟)を紹介。最期の瞬間まで天下をあきらめなかった三成の強い意志が伝えられました。

▼関ヶ原の戦いでの石田三成の戦いぶりについての解説の記事

■9位 明智光秀 逆賊?良い殿様?謎多き武将

明智光秀

織田信長の右腕でありながら謀反を起こした不忠者としてのイメージが強い一方、地元・福知山では今も良い殿様として慕われている明智光秀。番組では3つのポイントで光秀を紹介。①軍隊をまとめるのが得意 「明智光秀家中軍法」には細かい規則が書かれているが、それは鉄砲時代を迎えて集団行動が必要とされることから。光秀がいち早く鉄砲時代に対応していったことを紹介。ちなみに、家中軍法の最後には、信長への強い感謝が記されていますが、なんとこれは謀反の1年前に書かれたものなのです ②部下思いの優しい男だった。光秀が西教寺に出したという直筆の供養米寄進状によると、戦で亡くなった家臣に対して位を問わず供養していたそうです。また、信長の命令で焼き払った西教寺をのちに自ら再建した逸話も ③400年以上守られた遺骨 光秀の遺骨は400年以上守られ、現代でも遺骨が残っているそうです

そんな人格者でもあった光秀が、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」でどのように描かれるか興味深いですね。ちなみに、番組では、本能寺に信長が泊まるというのはイレギュラーなことなので、計画性はなかったのではないかと紹介されました。

▼明智光秀の生涯と、ゆかりの城についての紹介記事

▼「麒麟がくる」で時代考証を担当する小和田哲男先生の連載もチェック!


■8位 黒田官兵衛 57戦無敗、豊臣秀吉が最も恐れた名軍師

黒田官兵衛

57戦無敗の名軍師として豊臣秀吉の天下統一に貢献するも、優秀すぎて逆に秀吉に命を狙われたという黒田官兵衛。番組では官兵衛の戦の天才ぶりを物語る例として、謀反人の明智光秀を追い詰めるため、織田信長は生きのびているという情報をながした方がいいとしたエピソードを紹介。また、官兵衛が足利義昭から贈られたという愛刀・菊一文字も披露されました。

▼広島城、高松城、大阪城、福岡城…まだまだあるぞ!黒田官兵衛が築城に関わった名城たちの記事

■7位 武田信玄 令和の時代も川の氾濫から甲府を守った“戦国の土木王”

武田信玄,Dr.倉田

戦国最強の呼び声高い“甲斐の虎”武田信玄。地元で今も“信玄公”の呼び名で愛されています。黒田基樹先生は、武田信玄のすごさを侵略戦争を最後まで続けたことと指摘。本郷和人先生は信玄にとって大切だったのは甲斐の国。甲斐の国を守るために他国を攻めていったのではないかと推察されました。

さらに、2019年の台風19号による洪水で改めて注目された信玄堤をクローズアップ。石積出しなどの工夫で川の流れを調整する“戦国の土木王”としての手腕を分析しました。

▼今こそ知っておきたい信玄堤の詳しい説明はこちらから!
・「超入門! お城セミナー 第78回【構造】戦国大名の治水事業ー城を造るときに川の流れを変える!?」https://shirobito.jp/article/922

▼温泉以外にも実はアロマ好きだったかもしれない!?今回の武田信玄のイラストは、こちらの記事のものです!
・「Dr倉田が診る! 戦国武将の健康相談クリニック 実はアロマ武将だった??武田信玄」https://shirobito.jp/article/842

■6位 豊臣秀吉 戦わずして勝つ天才

豊臣秀吉,戦国武将総選挙

農民から天下人へと大出世した豊臣秀吉。天下統一後に他の武将から反乱を起こされなかった理由について、加藤理文先生は「秀吉は織田信長に仕えていた時から“戦わずして勝つ”ことを学び、自らの経済力(兵力)を示すことで戦う意欲をなくさせた」と解説。その例として、2018年に駿府城から発掘された金箔瓦を取り上げ、家康の領地の周りに金箔瓦の城を6カ所築いたことを紹介しました。

他にも、本能寺の変で亡くなった信長に代わって天下を取る男というイメージを作るため、すごく派手だった信長の肖像画を地味なものに描き直させたと推測される調査結果も! それまで敵対していた大名に対して「豊臣」の名前を与え、家族のように扱うことによって自分の地位を安定させたそう。毛利家にも「豊臣」の名を与えたそうです。さすが天下を取る人物は、戦いだけでなく戦略にも長けていたのですね。

ちなみに、黒田基樹先生によると、草鞋をふところであたためたエピソードは江戸時代の創作だそうです・・・。

▼金の茶室だけじゃない!豊臣政権の経済力を見せつけた!?金箔瓦についての記事はこちら
・「理文先生のお城NEWS解説 第1回 駿府城の金箔瓦」 https://shirobito.jp/article/618

■5位 徳川家康 世界史でも例のない“戦争のない時代”を作った男

徳川家康

言わずと知れた江戸幕府の大将軍・徳川家康。その功績について小和田泰経先生は「約260年間に渡って戦争のない時代を作ったのは世界でも類を見ない」と解説。さらに番組では、戦を起こさせないために家康が取った策として、駿府城を紹介。三浦正幸先生によると、家康は駿府城の天守が実際よりも大きく見えるような構造に建造したそうです。駿府城の最新発掘調査では、豊臣秀吉が造った天守台を埋め込む形で“史上最大級の天守台”(江戸城の約1.5倍)を築いたことが判明。これでは豊臣方も江戸に攻め入る気になれませんね。

さらに本郷先生とカンニング竹山さんが、徳川記念財団の副理事長を務める徳川19代目・家広さんの自宅へ訪問。家康が幼少期に遊んだとされるガラガラおもちゃや、意外なユーモアセンスを感じさせる直筆の水墨画など、家康ゆかりの貴重な品が次々と披露されました。

▼徳川家康といえば、江戸城ですね! 江戸城が現役のお城で、見学ができるってご存知ですか?
・「江戸城ってどこにある? はじめての江戸城見学」https://shirobito.jp/article/529

■4位 真田信繁(幸村) 家康をあと一歩まで追い詰めた男

真田幸村

大坂の陣で日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれる勇猛果敢な活躍を繰り広げ、徳川家康を最も追い詰めた真田信繁(幸村)。そんな信繁(幸村)のトレードマークといえば“真紅の甲冑”に“十文字槍”ですが、信繁(幸村)の次男の子孫にあたる仙台真田家当主の真田徹さんが、赤備えといわれる赤い甲冑に十文字槍のイメージを覆す、真田家に伝わる貴重な甲冑と槍を披露。真田家に先祖代々伝わってきた甲冑は赤ではなく黒色で、槍もシンプルな一本槍なのだとか! 

▼え!?真田信繁(幸村)は大阪冬の陣では死んでいなかった!?
・「城に眠る伝説と謎 【大坂城】秀頼も信繫(幸村)も生きていた!?鹿児島生存説の謎に迫る」https://shirobito.jp/article/335

■3位 伊達政宗 自己プロデュース力に長けた伊達者

伊達政宗

弱冠17歳で伊達家の当主となり、豊臣秀吉にも目をかけられた奥州の覇者・伊達政宗。地方の武将が後世にまで名を残すことができた理由として歴史家の河合敦先生が挙げたのは、自己プロデュース力の高さ。太陽の光が後光のように差す火頭窓を瑞巌寺(ずいがんじ)にあしらったそうです。また、伊達家子孫18代当主の伊達泰宗さんによると金のとんがり帽子に黒の甲冑を身にまとった3000人の軍で都を練り歩くなど、自らを立派に見せるアピールに長けていたそうです。家臣をヨーロッパに派遣し、最新の流行をとりいれたりもしたそう。さすが“伊達者”の語源になっただけはありますね。

ちなみに、日本で初めてステーキを食べたのは、伊達政宗だそう!! スペインとの交流で知りぜひ食べてみたいと思ったステーキ。当時は日本で食べられる肉はイノシシくらいだったので、鯨の肉をステーキとして食したそう。

▼「城びと」ですからご紹介しておかなくては!仙台伊達家ゆかりの城については、こちらをチェック!
・「【宮城県のお城】古代から戦国時代まで!歴史ロマン溢れるお城を巡る」https://shirobito.jp/article/579

ちなみに――今回の伊達政宗を描いてくださったは、なんと奥州・仙台おもてなし集団伊達武将隊の…片倉小十郎重綱様(※片倉様はご出立なさっております)! しかも、名古屋おもてなし武将隊 前田慶次様のご紹介!! ありがとうございます!!!

奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 片倉小十郎重綱
※片倉様はご出立なさっており、現在立て武将隊にはいらっしゃいません

■2位 上杉謙信 部下の指揮を高める人心掌握術

上杉謙信

隣国の“甲斐の虎”武田信玄と対立しながら生涯ほぼ負けなしを誇り、信長を「戦ってみると弱い」とも称した男。一方では無欲と義の武将として慕われた“越後の龍”上杉謙信。小和田泰経先生は謙信の強さの理由として、戦場で大将自ら敵陣に攻め込んだり、出陣前に豪華な戦飯を振る舞うなど、部下の士気を高める巧みな人心掌握をクローズアップ。また、鉄砲から部下の身を守るため謙信が開発した武具として、銃弾を跳ね返す車傘(くるまがさ)も紹介されました。車傘は、春日山神社に今も残されています。

ちなみに、上杉謙信の女性説について黒田先生は「妻がいた史料が最近見つかった」ので、謙信は男性との見解。本郷先生の「女性同士だった可能性もあるのでは?」の問いには、「そういう想像はご自由に・・・」とのことでした!!

▼越後の龍はすごいスケールの城に住んでいた!上杉謙信の居城・春日山城はこんな城!

■1位 織田信長 強く・冷酷・斬新! 新しいことに挑戦するパイオニア精神!


織田信長 島順太:画

全国41県で投票数1位に輝くというダントツの強さで制覇したのは織田信長!

桶狭間の戦いで2万5000対3000という圧倒的な不利な状況で勝利しその名をとどろかせ、あと一歩で夢を絶たれたものの信長が天下統一の目前まで躍進した要因として、二木謙一先生(國學院大學名誉教授)は「戦闘専門の兵士を常時雇い、1年中戦える体制を作ったこと」と解説。また、信長には残虐な武闘派のイメージが定着していますが、日本で初めて城をエンタテインメント化! 安土城に正月に挨拶にきた家臣たちを自ら案内して見学料を取ってみたり(1人100文ずつ。現代の貨幣価値だと1万円前後だそう)、城下の家の灯篭を消させて真っ暗にした状態で安土城を灯篭でライトアップして宣教師一行を目でもてなすなど、実は遊び心のある人物でもあったというエピソードが紹介されました。

信長の死の真相は、毎年新たな説が発表されている・・・というエピソードにもびっくり!!!

▼織田信長が築いた安土城。どのようなお城だったのでしょうか。
▼土地を選ぶところから、その終焉までを解説!信長好きならここまでチェックしたい!?ちなみに連載最終回に、ライトアップのエピソードなどが紹介されています!

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執筆/城びと編集部
イラスト(10~1位の順)/ぞえ(石田三成)、吉田(明智光秀)、えのくま(黒田官兵衛)、Hidepp(豊臣秀吉)、相河柚希(徳川家康)、一本松。(真田幸村)、奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 片倉小十郎重綱(伊達政宗)、鈴森以知子(上杉謙信)、島順太(織田信長)