鳥取県米子市の中海に張り出した湊山(標高90.1m)を中心に築かれた米子城は、山頂に五重天守と四重天守(櫓)が並び建ち「山陰随一の名城」とも呼ばれる壮麗な城でした。城の歴史は古く、応仁の乱(1467~77)の頃、伯耆の守護山名教之が湊山に隣接する飯山に築いたのが創築と伝わりますが、定かではありません。
天正19年(1591)豊臣秀吉の命を受けた吉川広家が、出雲三郡・伯耆三郡・安芸一郡及び隠岐一国12万石を与えられ月山富田城(島根県安来市)へと入城します。
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