【日本100名城・郡山城編】 12の尾根と谷を駆使した毛利元就が築いた要塞

「三本の矢」のエピソードで知られる戦国大名・毛利元就(もうりもとなり)。本拠地として本格的に城郭化した郡山(こおりやま)城には、なんと270もの曲輪(くるわ)が築かれていました。郡山山頂の本丸を中心とした12の尾根を中心に、山全体が要塞化された郡山城。お出かけ日和の春にトレッキング気分で登ってみませんか?

本丸を中心にして270もの曲輪が構成する大城郭

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郡山の山頂に築かれた郡山城本丸跡。一辺約35ⅿの方形の曲輪となっている

「西日本最大級の中世の城」として知られる郡山城(広島県安芸高田市)。地名から「吉田郡山(よしだこおりやま)城」とも呼ばれます。このお城の最大のみどころは、標高390m、比高190mの山頂を中心として、放射状に築かれた270もの曲輪。山頂に築かれた本丸を中心として放射状に伸びる6本の尾根と、さらに尾根から分かれる支尾根が6本、合わせて12本の尾根が生かされています。さらに、12本の尾根の間にある12ヵ所の谷を曲輪や道路として利用。本丸を見上げながら、次から次へと遭遇する曲輪を歩いていると、その複雑な構造を実感できます。

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本丸周囲に設けられた曲輪のひとつ釣井(つりい)の檀(だん)。石組み井戸を備え、本丸に最も近い水源であった

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郡山城内最大の曲輪である三の丸跡は、土塁や削り出しによって四段に分けられている

郡山城を本格的に城郭化したのは毛利元就

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郡山城麓の「安芸高田少年の家 輝ら星」前に立つ毛利元就公像

強力な防御機能を備えた郡山城ですが、築城された時期ははっきり分かっていません。15世紀後半には毛利氏の城として存在したと考えられますが、16世紀中頃、戦国大名・毛利元就によって本格的に城郭化されました。毛利元就は、毛利氏を一代で西日本最大の戦国大名へと押し上げた人物。27歳で家督を相続し、当時有力勢力であった大内氏と尼子(あまご)氏に挟まれながら、巧みな調略を用いて安芸(広島県)の盟主となります。弘治元年(1555)、大内氏の後に力をつけた陶(すえ)氏を厳島合戦で破り戦国大名へと成長すると、永禄9年(1566)には尼子氏を降伏させ中国地方全体に勢力を及ぼしました。元亀2年(1571)に亡くなるまで、本拠地としたのが郡山城でした。毛利元就が亡くなった後は、孫の毛利輝元(もうりてるもと)が家督を継ぎ、本拠地を広島城(広島県広島市)に移します。そして慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで毛利輝元は西軍の総大将として敗戦し、戦後の国替えにより郡山城は廃城となってしまいます。

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鳥居をくぐると「毛利一族墓所」、上段には「毛利元就墓所」がある

郡山城内の西部には「毛利元就墓所」と「毛利一族墓所」がたたずんでいます。元々は毛利元就の菩提寺として、元亀3年(1572)、毛利輝元が郡山城内に開基した洞春(とうしゅん)寺の跡。明治2年(1869)に、郡山城内や城下にあった毛利一族の墓を集め、この地に移葬されました。現在も、毛利元就の葬儀がとりおこなわれた7月16日には墓前祭が行われています。

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「毛利一族墓所」は静謐な雰囲気に包まれている

「毛利愛」が伝わってくる郡山城内

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遠くからでもよく目立つ、展望台の毛利家家紋

郡山城内には、随所に毛利家にちなんだデザインが散りばめられています。案内標識の矢印には「三本の矢」が使われており、登城に疲れた身体を奮い立たせてくれます。郡山城内の南部に設けられた展望台にも毛利家の家紋「一文字に三つ星」が大きく描かれています。

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郡山城内に数多く設置されている「三本の矢」が描かれた案内標識

そして忘れないように訪ねたいのは、「三矢の訓跡」の碑。「3本の矢を重ねることで折れにくくなる」と毛利元就が息子たちに協力の大切さを伝えた有名な言葉です。郡山城南麓の「安芸高田少年自然の家 輝ら星」敷地内に立っており、この場所は毛利元就の居館があったとの伝承があります。

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「三矢の訓跡」の碑は、郡山城麓の「安芸高田少年の家 輝ら星」の敷地内(入場無料)にある

「三矢の訓」はJリーグサッカーチームの「サンフレッチェ広島」の名前にも由来しています。「サンフレッチェ」は日本語の「三」とイタリア語で矢を意味する「フレッチェ(FRECCE)」を組み合わせた造語です。

一緒にめぐりたい毛利家戦勝祈願の清神社

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清神社の現在の社殿は、元禄7年(1694)に毛利輝元が造立した

サンフレッチェ広島がチーム結成以来、開幕前の必勝祈願を行う「清(すが)神社」が、郡山城麓にあります。郡山城築城よりずっと古く、正中2年(1325)から残る棟札があり、少なくともそれ以前の創建と考えられています。郡山の鎮守社として毛利元就はじめ毛利家一族の崇敬が篤く、出陣の際には戦勝を祈願し、凱旋の際には「おかげ参り」を繰り返してきました。

「安芸高田市歴史民俗博物館」も郡山城麓にあります。郡山城跡と毛利氏を中心に、安芸高田市の歴史や文化財を紹介。毛利元就関連の史料や、毛利氏関係の古文書、郡山城からの出土遺物などを展示。特に見ておきたいのは、毛利輝元が関ヶ原の戦いでの勝利を祈願した絵馬や、毛利氏歴代当主の名が記された清神社棟札です。

郡山城のみならず、付近にも毛利氏ゆかりの史跡がたくさん残っています。郡山城だけでも1時間30分~2時間ほど時間をとりたいので、念入りな事前計画をおすすめします。



住所:広島県安芸高田市吉田町吉田字郡山
電話番号:0826-42-0070(安芸高田市歴史民俗博物館)
入城時間:入城自由
入城料:無料
アクセス:「広島バスセンター」から広島電鉄バス吉田出張所行きで約1時間20分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分 ※JR広島駅南口から広島交通バスで13分「広島バスセンター」下車。 または、JR可部線「加部」駅から広島電鉄バスで約45分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分(登城口から本丸まで約30分)。

安芸高田市歴史民俗博物館
住所:広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
電話番号:0826-42-0070(安芸高田市歴史民俗博物館)
入館時間:9~17時
入館料:300円 
定休日:月曜(月曜が祝日の場合翌日)、祝日の翌日
 アクセス:「広島バスセンター」から広島電鉄バス吉田出張所行きで約1時間20分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分 ※JR広島駅南口から広島交通バスで13分「広島バスセンター」下車。 または、JR可部線「加部」駅から広島電鉄バスで約45分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分。

※2019年4月1日現在、JR芸備線「吉田口」駅または「向原」駅を利用するアクセスもありますが、西日本豪雨(平成30年7月豪雨)によって長期運転見合わせ区間のため代行バス運行になっています。詳細は下記をご参照ください。 https://www.akitakata.jp/ja/shisei/section/kikaku/p163/ (安芸高田市)

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。異業種とコラボした城を楽しむ体験プログラムを実施。旅行雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)などを編集。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています


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