【日本100名城・郡山城編】 12の尾根と谷を駆使した毛利元就が築いた要塞

「三本の矢」のエピソードで知られる戦国大名・毛利元就(もうりもとなり)。本拠地として本格的に城郭化した郡山(こおりやま)城には、なんと270もの曲輪(くるわ)が築かれていました。郡山山頂の本丸を中心とした12の尾根を中心に、山全体が要塞化された郡山城。見どころ満載、トレッキング気分で登ってみませんか?(※2019年4月9日初回公開)



本丸を中心にして270もの曲輪が構成する大城郭

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郡山の山頂に築かれた郡山城本丸跡。一辺約35ⅿの方形の曲輪となっている

「西日本最大級の中世の城」として知られる郡山城(広島県安芸高田市)。地名から「吉田郡山(よしだこおりやま)城」とも呼ばれます。このお城の最大のみどころは、標高390m、比高190mの山頂を中心として、放射状に築かれた270もの曲輪。山頂に築かれた本丸を中心として放射状に伸びる6本の尾根と、さらに尾根から分かれる支尾根が6本、合わせて12本の尾根が生かされています。さらに、12本の尾根の間にある12ヵ所の谷を曲輪や道路として利用。本丸を見上げながら、次から次へと遭遇する曲輪を歩いていると、その複雑な構造を実感できます。

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本丸周囲に設けられた曲輪のひとつ釣井(つりい)の檀(だん)。石組み井戸を備え、本丸に最も近い水源であった

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郡山城内最大の曲輪である三の丸跡は、土塁や削り出しによって四段に分けられている

郡山城を本格的に城郭化したのは毛利元就

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郡山城麓の「安芸高田少年の家 輝ら星」前に立つ毛利元就公像

強力な防御機能を備えた郡山城ですが、築城された時期ははっきり分かっていません。15世紀後半には毛利氏の城として存在したと考えられますが、16世紀中頃、戦国大名・毛利元就によって本格的に城郭化されました。毛利元就は、毛利氏を一代で西日本最大の戦国大名へと押し上げた人物。27歳で家督を相続し、当時有力勢力であった大内氏と尼子(あまご)氏に挟まれながら、巧みな調略を用いて安芸(広島県)の盟主となります。弘治元年(1555)、大内氏の後に力をつけた陶(すえ)氏を厳島合戦で破り戦国大名へと成長すると、永禄9年(1566)には尼子氏を降伏させ中国地方全体に勢力を及ぼしました。元亀2年(1571)に亡くなるまで、本拠地としたのが郡山城でした。毛利元就が亡くなった後は、孫の毛利輝元(もうりてるもと)が家督を継ぎ、本拠地を広島城(広島県広島市)に移します。そして慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで毛利輝元は西軍の総大将として敗戦し、戦後の国替えにより郡山城は廃城となってしまいます。

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鳥居をくぐると「毛利一族墓所」、上段には「毛利元就墓所」がある

郡山城内の西部には「毛利元就墓所」と「毛利一族墓所」がたたずんでいます。元々は毛利元就の菩提寺として、元亀3年(1572)、毛利輝元が郡山城内に開基した洞春(とうしゅん)寺の跡。明治2年(1869)に、郡山城内や城下にあった毛利一族の墓を集め、この地に移葬されました。現在も、毛利元就の葬儀がとりおこなわれた7月16日には墓前祭が行われています。

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「毛利一族墓所」は静謐な雰囲気に包まれている

「毛利愛」が伝わってくる郡山城内

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遠くからでもよく目立つ、展望台の毛利家家紋

郡山城内には、随所に毛利家にちなんだデザインが散りばめられています。案内標識の矢印には「三本の矢」が使われており、登城に疲れた身体を奮い立たせてくれます。郡山城内の南部に設けられた展望台にも毛利家の家紋「一文字に三つ星」が大きく描かれています。

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郡山城内に数多く設置されている「三本の矢」が描かれた案内標識

そして忘れないように訪ねたいのは、「三矢の訓跡」の碑。「3本の矢を重ねることで折れにくくなる」と毛利元就が息子たちに協力の大切さを伝えた有名な言葉です。郡山城南麓の「安芸高田少年自然の家 輝ら星」敷地内に立っており、この場所は毛利元就の居館があったとの伝承があります。

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「三矢の訓跡」の碑は、郡山城麓の「安芸高田少年の家 輝ら星」の敷地内(入場無料)にある

「三矢の訓」はJリーグサッカーチームの「サンフレッチェ広島」の名前にも由来しています。「サンフレッチェ」は日本語の「三」とイタリア語で矢を意味する「フレッチェ(FRECCE)」を組み合わせた造語です。

一緒にめぐりたい毛利家戦勝祈願の清神社

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清神社の現在の社殿は、元禄7年(1694)に毛利輝元が造立した

サンフレッチェ広島がチーム結成以来、開幕前の必勝祈願を行う「清(すが)神社」が、郡山城麓にあります。郡山城築城よりずっと古く、正中2年(1325)から残る棟札があり、少なくともそれ以前の創建と考えられています。郡山の鎮守社として毛利元就はじめ毛利家一族の崇敬が篤く、出陣の際には戦勝を祈願し、凱旋の際には「おかげ参り」を繰り返してきました。

「安芸高田市歴史民俗博物館」も郡山城麓にあります。郡山城跡と毛利氏を中心に、安芸高田市の歴史や文化財を紹介。毛利元就関連の史料や、毛利氏関係の古文書、郡山城からの出土遺物などを展示。特に見ておきたいのは、毛利輝元が関ヶ原の戦いでの勝利を祈願した絵馬や、毛利氏歴代当主の名が記された清神社棟札です。

郡山城のみならず、付近にも毛利氏ゆかりの史跡がたくさん残っています。郡山城だけでも1時間30分~2時間ほど時間をとりたいので、念入りな事前計画をおすすめします。



住所:広島県安芸高田市吉田町吉田
入城時間:入城自由
入城料:無料
アクセス:「広島バスセンター」から広島電鉄バス吉田出張所行きで約1時間30分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分 ※JR広島駅南口から広島交通バスで13分「広島バスセンター」下車。 または、JR可部線「加部」駅から広島電鉄バスで約50分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分(登城口から本丸まで約30分)。
▼問合せ先はこちら

安芸高田市歴史民俗博物館
住所:広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
電話番号:0826-42-0070(安芸高田市歴史民俗博物館)
入館時間:9~17時
入館料:300円 
定休日:月曜(月曜が祝日の場合翌日)、祝日の翌日
 アクセス:「広島バスセンター」から広島電鉄バス吉田出張所行きで約1時間30分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分 ※JR広島駅南口から広島交通バスで13分「広島バスセンター」下車。 または、JR可部線「加部」駅から広島電鉄バスで約50分「安芸高田市役所前」停留所下車、徒歩約5分。


執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。異業種とコラボした城を楽しむ体験プログラムを実施。旅行雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)などを編集。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています


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