しらがじょう

白鹿城

島根県松江市

別名 : 白髪城
旧国名 : 出雲

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征6日目:白鹿城(尼子十旗① 4城目) (2026/05/16 訪問)

尼子十旗:出雲国尼子氏の主要な家臣団の十の居城
尼子十旗(①白鹿城②三沢城③三刀屋城④赤穴城⑤牛尾城⑥高瀬城⑦神西城⑧熊野城⑨馬木城(夕景城)⑩大西城)
新山城から車で2~3分で、西の谷登り口空スペース(35.500456、133.051753)に行く予定でしたが、登山路案内図があるこの場所(35.500788、133.055743)で通行止めにあってしまいました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1569年)に松田氏によって築かれたと云われています。
毛利氏侵攻のときの城主松田誠保の父満久は尼子晴久の姉婿だそうです。満久は備前国松田一族の松田満重の次男です。
1563年(永禄6年)に毛利元就による侵攻では吉川元春が真山城を向城として築き攻めたて、まず小白鹿が陥落、月山富田城の尼子義久からの援軍も撃退され落城しました。
このとき元就は大森銀山の者を使い地下道を掘らせて井戸を抜いたと伝わっています。
城主・松田誠保は落城後、隠岐へ逃れ、1570年(元亀元年)の布部山合戦に参加しています。

白鹿城(尼子十旗① 4城目)は別ルートでも登城可能ですが、現時点で計画の65分オーバでしたので、ここで断念し攻城完了としました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=満願寺城に向かいました。

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じゅんじん

登城口のみ (2023/11/26 訪問)

ランニングシューズなので撤退しました。

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ぴーかる

白鹿城 (2023/02/26 訪問)

【白鹿城】
<駐車場他>白鹿谷登城口前<35.500426, 133.051724>に3台程度可能。
<交通手段>車

<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2日目6城目。第一の城、白鹿城の築城年・築城主は定かではありませんが、戦国時代には尼子氏の家臣の松田氏が城主となっています。白鹿城の戦いでは城主の松田誠保は籠城しよく耐えてましたが、毛利軍は荒隈城の向城を築城、吉川元春が真山城を占拠して攻城し、1563年に落城し廃城となりました。
 登城口が城跡の北西端部分にあたります。曲輪の切岸下の山道を回り込むように進むと右手に竪堀群が表れます。左手に入り込むと北西の曲輪群があります。竪堀群の奥が堀切になっており、南西方向に向かって右手に曲輪群、左手はすり鉢状の谷になっていて谷底は曲輪になっているようです。堀切の北側から切岸を登って、井戸跡のある曲輪、上段に月見御殿の曲輪、月見御殿の北側奥が本丸になっています。本丸から北東側にかけて小さな連郭が連なっており、東側にスロープの道が残っています。当時のものならば大手道かと思いました。月見御殿の南東側に一の床から三の床といわれる連郭が連なっており、特に一の床曲輪が広いので、ここが主郭、本丸跡は大手曲輪のように私は感じました。尼子十旗第一の堅城といわれるだけあって見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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おっちゃん

白鹿城跡・真山城跡案内図 (2017/04/02 訪問)

現地案内板より抜粋

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 松田氏
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者 松田満久
主な城主 松田氏(尼子氏家臣)
廃城年 永禄6年(1563)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
住所 島根県松江市法吉町
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969