ランニングシューズなので撤退しました。
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2024/01/01 06:31
2023/03/24 22:38
白鹿城 (2023/02/26 訪問)
【白鹿城】
<駐車場他>白鹿谷登城口前<35.500426, 133.051724>に3台程度可能。
<交通手段>車
<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2日目6城目。第一の城、白鹿城の築城年・築城主は定かではありませんが、戦国時代には尼子氏の家臣の松田氏が城主となっています。白鹿城の戦いでは城主の松田誠保は籠城しよく耐えてましたが、毛利軍は荒隈城の向城を築城、吉川元春が真山城を占拠して攻城し、1563年に落城し廃城となりました。
登城口が城跡の北西端部分にあたります。曲輪の切岸下の山道を回り込むように進むと右手に竪堀群が表れます。左手に入り込むと北西の曲輪群があります。竪堀群の奥が堀切になっており、南西方向に向かって右手に曲輪群、左手はすり鉢状の谷になっていて谷底は曲輪になっているようです。堀切の北側から切岸を登って、井戸跡のある曲輪、上段に月見御殿の曲輪、月見御殿の北側奥が本丸になっています。本丸から北東側にかけて小さな連郭が連なっており、東側にスロープの道が残っています。当時のものならば大手道かと思いました。月見御殿の南東側に一の床から三の床といわれる連郭が連なっており、特に一の床曲輪が広いので、ここが主郭、本丸跡は大手曲輪のように私は感じました。尼子十旗第一の堅城といわれるだけあって見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◆
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2022/08/30 22:18
2020/06/27 22:40
白鹿城Ⅲ 本丸跡 月見御殿跡 一、ニ、三の床跡 (2020/06/25 訪問)
登城口の西の谷口(写真1枚目)から、約10分で本丸跡に着きました。
本丸の帯郭(2枚目)らしい場所から一段上がると本丸跡(3、4、5枚目)です。
登山道を戻り、長谷口方面へ登ると月見御殿跡らしい広大な郭(6枚目)に出ます。更に進むと、一の床跡(7、8枚目)、そこから下ると、ニの床、三の床跡に到着します。
帰りは、元来た道を帰ろうとしましたが、山道っぽい道が何本か見え、迷い、滑りそうになりました。危険箇所は、城びとに投稿し、注意喚起しようと撮影するようにしていました。「こんなに滑りそうな場所は、撮影していない」と思い、元来た道を見つけることが出来ました。城びとのおかげで、遭難を免れました。感謝です。
白鹿城は、これで終わります。
長々と失礼しました。
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分類・構造 | 連郭式山城 |
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天守構造 | なし |
築城主 | 松田氏 |
築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
主な改修者 | 松田満久 |
主な城主 | 松田氏(尼子氏家臣) |
廃城年 | 永禄6年(1563) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸 |
住所 | 島根県松江市法吉町 |
問い合わせ先 | 島根観光連盟 |
問い合わせ先電話番号 | 0852-21-3969 |