あけちながやまじょう

明智長山城

岐阜県可児市

別名 : 長山城、明智城
旧国名 : 美濃

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みんなの口コミ

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カモン掃部

山城初心者が行く (2020/02/01 訪問)

駅から歩いて見学、山城ははじめての訪問。復元され整備されていたのではじめてでも楽しめた。
馬防柵や逆茂木などゲームなどで登場するものの現物を見れてよかった。
規模もそれほど大きくないので気軽に楽しめた。

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キンヤ

思っていたより竪堀などの遺構も残る明智氏の城 (2020/01/19 訪問)

大河ドラマ 麒麟がくるの放送開始当日に明智光秀が生まれ過ごしたとも云われる城に行きました。

朝早くに城の麓に着くと、まだ誰も来ていなかったせいか、歴史家らしきガイドさんが、明智氏の供養石造の六親眷属幽魂塔のことや、城の巡り方を熱く語ってくれました。

模擬ですが大手門から城らしい雰囲気になりました。

遊歩道は最近整備されたようで、切岸や曲輪などが見学し易くなっていました。

事前リサーチでは城らしい遺構はあまりないと思っていましたが、竪堀が数カ所で見られ、特に西大手曲輪下の二重竪堀が見所だと思いました。

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明智光秀誕生の地を言われている? (2020/05/24 訪問)

大阪府が緊急事態宣言解除を受け、なるべく近場の岐阜可児の地を訪れました。
可児市大河ドラマ館が再開されており、少しずつ日常が戻りつつある印象を持ちました。
大河ドラマ館をゆっくり見学したのち、明智光秀誕生の地と今年の大河ドラマで設定されているお城である明智長山城に足を運びました。
可児市大河ドラマ館もかなり人が多かったし、この明智長山城も思った以上に人がいましたね。
本丸にある展望台からの眺めは久しぶりの感動ものでした。

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野良犬

地元領民に愛された明智光秀が30年過ごした後、斎藤義龍により攻められ落城した城 (2020/02/04 訪問)

14世紀中頃に明智と名を改めた土岐氏の一族が、後に明智荘と呼ばれた一帯の長山に城を築いたが、長良川の戦いの後に1556年斎藤義龍に攻められ落城した。その際に再興を願った光秀は落ち延びてやがて信長に仕える事となる。

恵那市明智町にある明智城と区別するため、明智長山城または単に長山城とも言います。2つの間は車で約1時間なので間違えないよう注意が必要です。
本来の駐車場は来場客の混雑を予測して閉鎖されているため、花フェスタ会場駐車場から約15分徒歩で向かいます。

本来の駐車場脇の大手口登山道から石畳の桔梗坂を登るとすぐに復元された冠木門の大手門があります。切岸を見上げながら10分程で本丸跡に到着です。頂上部は広く本丸跡、二ノ丸跡や馬場跡、曲輪・土塁などは比較的綺麗に残っています。
落城の際の戦没者を葬ったと言われ7基の盛土が残されている七ッ塚や復元された馬防柵も見所です。
明智荘を見渡す展望デッキからの見晴らしはよく、美濃金山城や御嶽山、白山なども見られます。
展望デッキから急坂を降りて、竪堀を眺めて行くと切岸の上の見張り台跡の上に、地元住民が逆臣とされた明智一族の霊を慰めるために、監視の目を逃れて埋めたとされる「六親眷属霊魂塔」があります。
明智家が領民に深く慕われていたことが分かります。
山麓にある明智一族の菩提寺である天龍寺には、明智一族のお墓があり本堂正面では日本一大きな光秀の位牌と木像がお迎えしていて光秀ファンは必見です。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 明智(土岐)頼兼
築城年 興国3年〔南朝〕/康永元年〔北朝〕(1342)
主な城主 土岐明智氏
廃城年 弘治2年(1556)?
遺構 曲輪
指定文化財 市史跡(長山城跡)
再建造物 石碑、説明板、模擬冠木門
住所 岐阜県可児市瀬田長山
問い合わせ先 可児市文化財課
問い合わせ先電話番号 0574-62-1111