明智長山城は明智城とも呼ばれています。康永元年(1342)土岐頼貞の十男・土岐頼兼によって築かれたとされ、以降明智氏の居城となりました。明智光秀とのゆかりも深く、令和2年に大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されたことを記念して本丸に光秀の銅像が建てられました。この日はすこぶる良い天気で、本丸の光秀氏が妙にカッコ良く見えたので角度を変えて撮りました。
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2025/11/27 23:31
2023/10/26 23:23
十兵衛坂を周っていくと遺構が各所に残っている。 (2023/10/22 訪問)
明智長山城は土岐氏の一族、明智氏の城で天文21年(1552)もしくは
弘治2年(1556)に斎藤氏に攻められ落城、一族は離散したとされています。
大手門入り口近くに駐車場があり、そこから石畳が続いています。大手門は
老朽化のため取り除かれていますが、再設置を予定しているようです。
大手道の突き当りが馬場跡で七ツ塚や馬防柵が設置されています。馬場の北側に
本丸があり東に二の丸曲輪、中ノ曲輪、東出丸曲輪がありますが、今回は割愛
します。西手に西出丸曲輪があり、本丸の北側から十兵衛坂が続いていて、台所曲輪
、水の手曲輪、乾曲輪を周回しながら大手門駐車場方向に降りてきます。
水の手曲輪周辺では発掘調査で複数の竪堀が発見されており、2020年2月16日に
小和田教授が現地確認をされ、本物の竪堀であると確認されています。乾曲輪の
周辺には遺構が残り、堀切が下山道に遮断され道と一体化しているようです。曲輪の
西側のヘリは急峻な切岸になっていて人工のもののようです。曲輪の先にある
六親眷属幽魂塔は明智一族の供養塔とされ、さらにその先は物見台になっていて
行き止まりになっているので下山道に戻って、そのまま帰途につきました。
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2023/01/30 18:40
| 分類・構造 | 連郭式山城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 明智(土岐)頼兼 |
| 築城年 | 興国3年〔南朝〕/康永元年〔北朝〕(1342) |
| 主な城主 | 土岐明智氏 |
| 廃城年 | 弘治2年(1556)? |
| 遺構 | 曲輪 |
| 指定文化財 | 市史跡(長山城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板、模擬冠木門 |
| 住所 | 岐阜県可児市瀬田長山 |
| 問い合わせ先 | 可児市文化財課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0574-62-1111 |