【関ヶ原の舞台をゆく③】関ヶ原の戦い古戦場ガイド~戦跡を歩きながら考える、武将たちの思惑~

徳川家康率いる東軍勝利で幕を閉じた関ヶ原の戦い。ところで、関ヶ原の戦いの舞台はどこかご存知ですか? 決戦の地となったのは、岐阜県関ヶ原町。今も徳川家康や石田三成の陣跡など数々の史跡が残っています。今回は、関ヶ原の戦い当日の開戦や小早川秀秋の寝返りなど決戦の重要シーンに関連する史跡をめぐりながら、武将たちが見ていた戦場に想いを馳せてみましょう。




関ヶ原の戦い、布陣図
布陣図。本戦当日は、東西約7km、南北約3kmの範囲に東西あわせて約20万の兵が終結した

意外と狭い、でも歩くと広い、関ヶ原の戦いの舞台

東西両軍の陣地跡や記念碑が残され、当時に思いを馳せることができる関ヶ原古戦場。その範囲は、ほんの数km四方ではあるが、実際にめぐってみると思いのほか広大で、重要な拠点は山であったりするため、1日ですべてを回るのは難しい。

関ヶ原古戦場の史跡マップ
関ヶ原古戦場の史跡マップ

ぶらりと歩くのもいいが、あらかじめ当日の戦況を振り返りながら計画を立て、見るべきスポットを整理しておいたほうが良いだろう。今回、まずは徳川家康が陣を敷いた桃配山(ももくばりやま)と陣場野(じんばの)公園から訪ねてみた。

決戦当日、東軍の総大将・徳川家康が最初に布陣したのは、主戦場から東に離れた桃配山の中腹だった。高所に陣取る西軍に対し、東軍は平地から攻め登らねばならなかったため、家康も高所から展開を見守ったのだろう。

桃配山はJR関ヶ原駅から東へ2kmほど離れており、行ってみると少し遠い。駅前でレンタサイクルを借りるのもひとつの手だ。しかし、実際に行き来することで、家康本隊が動いた距離を肌で知ることができる。すぐ近くに山内一豊(やまうちかつとよ)の陣跡もあるので、ついでに訪ねてみてもいいだろう。

桃配山、徳川家康、布陣
家康が開戦時に布陣していた桃配山。関ヶ原駅から徒歩約35分の国道沿いにあり、山麓から陣跡までは階段を2分ほど登ると到着する

開戦からしばらく経ったころ、家康は本陣を前進させ、石田三成の陣である笹尾山から約600m離れた平地まで移動し、味方を鼓舞した。現在、その地は陣場野公園と呼ばれており、「徳川家康最後陣跡」の碑が建つ。JR関ヶ原駅から北西へ徒歩10分程度のところで、前方に笹尾山、背後には毛利秀元(もうりひでもと)隊3万ほどが布陣していた南宮山もある。まさに関ヶ原古戦場の中心地といえよう。

徳川家康最後陣跡、土塁、土壇、家康ゆかりの地
家康が兵を鼓舞するために移動した、徳川家康最後陣跡。江戸幕府が成立すると、家康ゆかりの地として陣跡に土塁や土壇が造られた

合戦当日、家康は南宮山の毛利勢に背中を見せた格好となり、本陣の移動には大きなリスクがあったが、すでに毛利勢は静観を決め込んでいたから動かないと踏んだのだろう。

実際、南宮山の山上から関ヶ原の戦場は見えない。戦いの経過も分からない状況であり毛利勢は動けなかった、というより、すでに動く気がなかったのだろう。勝負どころで見せた家康の決断が、東軍に活を与え勝利をもたらしたのかもしれない。

関ヶ原の戦いの開戦のきっかけを作った、両軍激戦の場

その「徳川家康最後陣跡」より、やや南東。JR関ヶ原駅のすぐ近くにあるのが「松平忠吉・井伊直政陣跡」だ。松平忠吉(まつだいらただよし)は家康の四男であり、井伊直政(いいなおまさ)はその舅で、また徳川四天王の一人として知られる勇猛な武将だった。

石田三成、笹尾山、馬防柵、竹矢来
松平忠吉・井伊直政陣跡は関ヶ原駅から徒歩約5分の場所にある。忠吉と直政はここからわずかな兵をつれて福島隊の脇を抜け、西軍へ発砲した

井伊直政は初陣を飾る婿殿に手柄をとらせようと、開戦前から30騎ばかりを連れて最前線へ出た。当日に東軍の先鋒を務めていたのは、豊臣譜代の大名・福島正則(ふくしままさのり)だった。しかし、直政忠吉は偵察を装って福島隊の脇を抜け、西軍・宇喜多秀家(うきたひでいえ)の部隊に向けて発砲したという。

これが「一番槍」の名誉となったばかりか、この戦いは「徳川の戦」という絶好のアピールをしたのだ。松平忠吉も井伊直政も家康から破格の加増移封を受けることになった。しかし、両者は合戦終盤に敵中突破を図ってきた島津義弘(しまづよしひろ)隊を追撃にかかるも、ともに銃弾を受け重傷を負う羽目にもなった。

井伊直政らに抜け駆けされた福島正則の陣跡はJRの線路を超えた南西にある。また西軍・宇喜多秀家、小西行長(こにしゆきなが)・島津義弘の陣跡は、その北側に点在。小西行長の陣跡には「開戦地」の碑も建っている。

戦場が一望できる石田三成の本陣

「開戦地」の碑や島津義弘の陣跡から数百mほど北へ行くと、笹尾山がある。ここは西軍のリーダー・石田三成の本陣だったところで、合戦当日の様子を再現した馬防柵が設けられている。

山というより小高い丘で、さほど苦もなく登れて、そこから関ヶ原一帯を見渡せる。彼がどんな思いで戦場を見おろしていたのか、そして敗れたときはどんな思いでここを後にしたのか、感慨にふけってしまう。

松平忠吉、井伊直政、陣あと、福島隊
石田三成が布陣した笹尾山。三成が築いた馬防柵や竹矢来が復元されている。笹尾山は遊歩道が整備されており、山麓から陣跡まで5分ほどで登ることができる

笹尾山の西側、関ヶ原バイパス付近には東軍・細川忠興(ほそかわただおき)黒田長政(くろだながまさ)の陣跡がある。そのちょうど中間に「関ケ原古戦場 決戦地」の碑が建つ。まさに最大の激戦地だったところで、現地に立つと三成本陣へ殺到する東軍の将兵の姿が目に浮かぶようだ。

笹尾山山麓、麓、
大谷隊が壊滅し西軍不利が決定的になると、東軍は三成本陣へと押し寄せ、笹尾山山麓は激戦地となった。周辺は見通しの良い田地なので見つけやすい

笹尾山から直線距離では1km強程度だが、実際に歩くと30分以上かかる南方には、大谷吉継(おおたによしつぐ)の陣跡がある。石田三成の盟友として名高い大谷吉継は、東軍への内通が疑われていた松尾山城の小早川秀秋に隣りあう形で、当時「山中村」と呼ばれたこの地に布陣。合戦当日、はたして松尾山を下った小早川勢は、真っ先に大谷勢を襲撃した。

大谷吉継、陣跡
大谷吉継の陣跡は、大谷吉継陣跡駐車場から東海道の線路を越え、山道を10分ほど歩く。登山の装備は要らないが、動きやすい服装で訪ねよう

大谷勢は幾度か小早川勢を押し返す奮闘を見せたが、ついに抗しきれず崩れた。自害した大谷吉継の首は陣より北側の山の中に家臣の手で葬られ、その推定地に墓碑が建てられている。

大谷吉継、墓所
大谷吉継の墓所は、陣跡から北へ5分ほど進むと到着する。墓前には献花やお供え物が絶えない

両軍の運命を左右した小早川秀秋の堅城

合戦当日、勝敗の行方を大きく左右した小早川秀秋。彼が布陣した松尾山城は、大谷吉継の陣からさらに南へ遠く離れている。明神高速道路の南側に松尾山登山口があり、小早川秀秋が陣を置いた山頂まで40分ほどの登山道が続いている。

登ってみると分かるが、松尾山城は相当な山城で、その要害ぶりを思い知らされる。土塁や曲輪が残っているため、史跡としても十分魅力がある。

松尾山、城砦、堀、土塁、
松尾山は古くから城砦として利用されており、現在も堀や土塁が残る。山頂の陣跡まではちょっとした登山になるので、虫除けや暑さ対策など準備をしっかりして行こう

元々、ここには南北朝時代から城が築かれており、西軍はこれを改修して陣にした。しかし合戦前日に小早川秀秋の軍勢が乗り込み、西軍の守備隊を追い出して布陣してしまう。この行動に両軍の将は小早川秀秋にどんな意図があるのか測りかね、当日までその動静に気を揉むことになったのだ。

松尾山、大谷吉継、小早川秀秋
大谷吉継の陣から見た松尾山。小早川秀秋を警戒していた吉継は、松尾山のすぐそばに陣を張った

小早川秀秋はこの松尾山城から戦況を見守ったすえ、結局東軍の一員としてその勝利に貢献した。もしも小早川秀秋が、西軍に加勢するか傍観を決め込んだとすれば、合戦の勝敗は逆になっていたかもしれない…。この山に立つと、そのように様々な想像をしてしまう。

松尾山、一望、
松尾山からは戦場が一望できる。秀秋はどのような心境で戦場を眺めていたのだろうか…

東西両軍は、このまさに目と鼻の先のところで戦っていたのだ。400年を経た今も、その距離感は当時と変わらない。

関ヶ原古戦場の多くは住宅街や畑の中にあり、そこにはただ碑や軍旗がポツンとあるだけで、普通の人には退屈極まりない場所かもしれない。しかし、この地で起こった日本史上最大の激戦を振り返り、戦った武将たちに思いを馳せるのに、これほど最適なところもないのだ。

筆者も関ヶ原には何度も足を運んでいるが、飽きることはない。昔は何もなかったところに新たな碑ができるなど最近は整備も進み、見応えも増してきた。何よりその臨場感は、現地へ行ってみることで、初めて実感できるのである。

<次回>
徳川家康と石田三成が激突した関ヶ原の戦い。現在の岐阜県関ヶ原町で起こった野戦が一般的には有名だが、実はこの本戦と連動するように全国各地で多数の攻城戦が繰り広げられていた。

執筆/上永 哲矢(うえなが てつや)
神奈川県出身。歴史ライター、紀行作家。日本史および三国志、旅をテーマとして雑誌・書籍・ウェブに寄稿。歴史取材の傍ら、日本各地の城や温泉に立ち寄ることが至上の喜び。著書に『高野山 その地に眠る偉人たち』(三栄書房)『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)がある。

写真提供/クレジットのないものはかみゆ歴史編集部

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