<オススメ>★☆☆☆☆
飯野陣屋は、1648年頃に保科正貞が1万7000石の大名として立藩し、廃藩置県まで10代にわたって治めた。保科氏は甲斐・武田氏の家臣で先方衆をつとめた名門。藩主の多くは大坂定番、江戸城の守備など幕府からの信任も厚かった。10代・保科正益は若年寄にまで栄進し、第二次長州征伐では征長軍の指揮を任された。戊辰戦争では新政府側に与する代わりに徳川慶喜の助命嘆願を求めて京都に入るが、親戚筋にあたる会津若松藩が徹底抗戦の構えを取り、飯野藩も連座し、謹慎処分となる。廃藩置県に伴い廃城となる。三条塚古墳・亀塚古墳・稲荷塚古墳などを再利用している。現在、土塁、横堀(水堀)が遺されている。
<アクセス>
JR青堀駅 徒歩25分
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