そうじゃじょう

総社城

群馬県前橋市

別名 : 惣社城、植野城
旧国名 : 上野

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城川公園・説明板
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肉球

住宅に攻め込まれてます (2024/03/02 訪問)

江戸時代に入り秋元氏によって築かれ甲斐国谷村へ転封となると廃城。
わずか30年ほどしか存在しなかってようです。
本丸と二の丸の一部は利根川に侵食され存在していません。
説明板のある城川公園東側は二の丸跡なのか堀跡なのかわかりませんが
宅地化され住宅に埋め尽くされるのも時間の問題かと。
その宅地化された南端には二の丸堀といわれる溝が僅かに残されています。
物見櫓があったとされる遠見山古墳の西側も住宅の建設が進められ
こちらも住宅に埋め尽くされそうで城の痕跡を見つけるのも難しくなりそうです。

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たぬぬ

古墳が物見台として利用されました。 (2022/07/27 訪問)

案内板のある公園には遺構はありません。少し離れたところにある遠見山古墳が物見台として利用されました。古墳には登ることができました。また、総社城西木戸跡の石碑が建っています。

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小城小次郎

痕跡探しの散策も楽しかろう (2021/10/14 訪問)

ついつい惣社長尾氏のお城と思いたくなるがそれは蒼海城で、こちらは深谷上杉氏の家中から近世大名へと奇跡的な出世を遂げた秋元氏の居城。目立った痕跡は少ないがそれだけにその痕跡を探しながら散策すると楽しいとも言える。

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カズサン

住宅地の中、城川公園が城跡 (2021/10/10 訪問)

 石倉城を終えて北方向約2、3km程の総社城を目指す、城川公園の東、説明板が有るとの情報でナビをそこに合わせる(36°24'45"N 139°02'39"E) 県道15号線を走り住宅地に入り道は狭く少し迷いましたが公園に着き公園東の説明板の有る所に路駐。

 公園と説明板を撮影して周囲の低地が有り堀跡か?沼地か?を思わせる、日曜日でしたので子供たちが遊んでいました、ここに来る途中の県道15号線に古墳跡の看板が有り、総社城の物見台と言われたと遠見山古墳かと思い寄って見るがそうで無く宝塔山古墳と蛇穴山古墳(方墳で石室が大石で作られ露出している)、結局物見台と言われる遠見山古墳は見学出来ず、総社城も利根川に近く本丸、二の丸一部は洪水などに削られ崩落した模様。

 歴史的には新しく関ヶ原の戦いに功有り徳川家康の使者役秋元長朝が1万石の所領を得て蒼海城に入り慶長6年(1601年)総社城を着工し慶長12年(1607年)完成、寛永10年(1633年)秋元泰朝の時、1万8千石に加増され甲州谷村城(都留市)へ転封と成り廃城。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさん総社城跡説明板に由ります。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 秋元長朝
築城年 慶長6年(1601)
主な城主 秋元氏
遺構 横堀跡、物見台
再建造物 説明板
住所 群馬県前橋市総社町総社(遠見山古墳)