なるとうじょう

成東城

千葉県山武市

別名 : 鳴戸城
旧国名 : 上総

投稿する
城跡入口からすぐの堀底道
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イタさん

主郭部は良好に遺る丘城 (2022/09/14 訪問)

 周辺を領した千葉氏の重臣の印東氏が安貞元年(1227)に築城、また多くは応永年間(1394~1427)に印東氏が築城したと載る。その頃、成東は上総国武射・南郷と言い、築城者は南郷氏も名乗ったらしい。1530年頃、千葉勝胤・胤定が再興したと言われ、胤定は後に成東氏と名乗ると。天正18年(1590)に秀吉の小田原攻めにより小田原城は開城、成東城・成東氏も運命を共に。家康の関東入封後は石川氏・青山氏が入るが、元和6年(1620)廃城になったとある。
 城跡公園入口脇に小さいが駐車場がある。道の右は二の丸(城之内曲輪)、左は土塁状で道は本丸(愛宕曲輪)から二本目の堀になる。後刻、案内の縄張図を見て分かる。本丸(愛宕曲輪)西虎口前に左右に掘、土橋が現れる。堀の手前を時計回りに西から北、北東へ行くと、堀を越え北虎口で本丸に入れる。南の眺めは良いが、他は皆無。本丸の東に一段低く、本丸の1/3程度の曲輪がある。二の丸(城之内曲輪)は本丸より少し広めで、土塁などが遺り、北西末端は櫓台跡と言われる。二の丸から西に外曲輪があり、土塁・堀などあったが、宅地造成、テニスコートなど開発が進んでほぼ失われている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

利根川沿日帰り攻城①:成東城 (2019/05/25 訪問)

成東城跡公園専用駐車場(35.604151、140.404474)に路駐して攻城しました。

当地に勢力を張った千葉氏の家臣印東四郎師常(南郷師常)により、応永年間(1394年-1427年)に築城されたと伝わります。
その後成東城は一時廃止されたが、1530年(享禄3年)、千葉勝胤により再興され、その子胤定が入り、成東八郎を称したと伝わります。
1590年(天正18年)、小田原征伐の際に成東城も落城し、同戦役後二万石を以って成東に封じられた石川康通、青山忠成等が入城しました。
1620年(元和6年)青山氏が岩槻城に移封され、成東城も廃城となりました。
現在は「成東城跡公園」として整備されており、二の郭南側の空堀と本丸周辺の土塁や空堀は良好な状態で残っています。本丸跡には愛宕神社があります。

公園の西側にある駐車場から攻城。駐車場は4台くらい駐車可能です。土塁や堀などが良く残っています。
思ったより土塁や堀などが良く残っていました。
攻城時間は20分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

城址公園となっています (2020/02/09 訪問)

成東駅から徒歩で15分くらい、城跡公園として整備されています。
駐車場もあります。
波切不動尊の西側が城域となります。
城址は公園になっていて整備されています。
愛宕社のある郭が主郭で周囲には土塁、その外側には空堀が巡ります。

成東にはいちご園が沢山あり、いちご狩りでも賑わっています。
美味しかったですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

きみ

成東城

眺めはいい。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 印東四郎
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 千葉勝胤、石川康通
主な城主 印東氏、成東氏、石川氏、青山氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 千葉県山武市成東(成東城跡公園)
問い合わせ先 山武市経済環境部商工観光課
問い合わせ先電話番号 0475-80-1202