天正年間には岩櫃を守る真田の拠点となり中山城あたりから攻め来る北条勢に備えていた。落とさなければ前に進めぬ絶妙な位置と方向をもって設けられたこの城はまさに放っておけない真田の城だ。放っておいたら勿体ない。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/04/04 12:21
2024/01/05 19:33
横尾八幡城 (2023/11/25 訪問)
【横尾八幡城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>主郭
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目10城目。現地説明板によると横尾八幡城は大永年間(1521~1528年)に尻高三河守によって築城された伝えられます。後に塩原源太左衛門が城代となり、1580年真田昌幸の吾妻進出によって富沢豊前守が配置されました。武田氏滅亡・本能寺の変後は北条氏が進出してくるようになり、真田昌幸は利根・吾妻の2郡を長子真田信幸に任せます。信幸は吾妻の武士たちをこの城の番衆として守らせます。1589年北条氏邦が攻めてきますがこれをよく守り撃退しています。
城跡へは登城口から案内版矢印に従って行けば主郭背後の帯曲輪に入り主郭に着けます。城跡は主郭とその下段に副郭の大きく2つの曲輪があり主郭に帯曲輪が取り巻き、主郭は土塁囲みになっています。土塁が高く主郭内、主郭の帯曲輪から見上げるとまあまあ迫力があります。主郭東側の副郭のさらに東側の奥が急峻な崖になっていて土塁も何もなく落ちたらヤバイ状態になっており珍しい構造、後年崩れたものかもしれません。城跡内は雑草化していますが登城口から城跡内まで舗装道なので簡単に攻められる山城です。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2023/08/06 21:16
ちょっと消化不良。主郭を土塁で囲む。 (2023/04/30 訪問)
横尾八幡城は主郭を土塁で囲み、周囲に二重に郭を配している
ようなのですが、訪問した日には雨天もあり、主郭とその周囲の帯廓しか
確認しておりません。虎口は南西の方向についているようですが
他にも二つほどあるようです。
案内板によれば約40mの方形の平地を高さ4mの土塁で囲む
一郭式の砦とされています。
大永年間に尻高三河守によって築城された(吾妻記)と伝えられ
後に塩原源左衛門が城代となり、天正8年(1580)真田昌幸の
吾妻進出によって富沢豊前守が配置されたと記載されています。
この日は近くのロックハート城にも寄ってきました。
「翔んで埼玉」のロケ地にも使われていて、ロケカレーを
撮影現場のみんなで食べていたというので注文してみましたが
実はGACKTさんだけ食べていないみたいです。
微妙に残念ですね。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2023/04/02 21:27
土塁が主郭を囲む (2023/03/19 訪問)
県道231号線沿いに説明板があり、駐車スペースになっています。
そこから上にも道路はありますが駐車スペースも無いためここから歩きます。
案内板も立っているので迷うことは無いでしょう。
土塁があり、城跡入口にも説明板が立っています。
主郭には石碑と東屋があり、周囲は土塁で囲まれています。
石碑の背後は結構な高さもあります。
主郭の周りには腰曲輪があり、虎口は3箇所に付いていました。
山城ではありますが堀切や竪堀も見当たらない小規模な城のようです。
それでも遺構も残り、真田氏が北条氏の攻撃を撃退した城ということで岩櫃城まで来たらセットで訪問してはいかがでしょうか。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 尻高三河守 |
| 築城年 | 大永年間(1521〜1528) |
| 主な城主 | 尻高氏、塩原氏、富沢氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁 |
| 指定文化財 | 町史跡(八幡城址) |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 群馬県吾妻郡中之条町横尾字栃瀬 |
| 問い合わせ先 | 中之条町役場生涯学習課文化財保護係 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0279-76-3111 |