こがねじょう

小金城

千葉県松戸市

別名 : 大谷口城、開花城、大谷口小金城
旧国名 : 下総

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畝堀(大谷口歴史公園)
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本郭は住宅地 (2023/10/06 訪問)

JR常磐線(各駅停車) 北小金駅側から登城。
 北小金駅から県道280号沿いに進むと小金大谷口城跡の碑と説明板があります。碑の前にある花壇のお花の成長が著しく、城址碑は少し見づらかったです。この周辺に本郭があったようですが、現在はマンションや住宅地に変貌しています。
 そこから北の道を下ると、大谷口歴史公園があります。公園内にはトイレが北側の麓にあります。公園の西側の階段を昇ると旧金杉口。金杉口には虎口門がありました。小規模な公園でしたが、土塁や障子堀跡、畝堀跡など見どころ盛りだくさんでした。
 お昼の時間帯に訪問しましたが、午前中に除草作業が行われていたようで、除草したばかりの畝堀を見学することができました。
 大谷口歴史公園を出て、南東へ進むと、達磨口の跡があります。ここには石碑や説明板も設置されており、階段を登ると、かなり高い土塁が残存していました。

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T-Shionoya

小金城で町散歩 (2022/12/31 訪問)

昨年最後は千葉県松戸市の小金城へ。

太日川(現江戸川)の東、比高約15mの下総台地西端の複雑に谷が入り組んだ一画を城郭とした城。
千葉氏や原氏に仕えた高城氏が1530年代に築き、1.5km東の根木内城から移転すると、胤吉・胤辰・胤則3代の居城に。
小金城時代の高城氏は、ほぼ小田原北条氏に従っていたようで、秀吉の小田原征伐後まもなくして廃城となりました。

1960年頃までは遺構が割と残っていたらしいが、現在はほとんどが住宅地に。
遺構は達磨口の一画と、金杉口の1つの曲輪が大谷口歴史公園として残るのみ。

北条氏の支城であったことと複雑な縄張に興味が湧き、まずは達磨口から訪問。櫓台のような小山があり、城内へ向けて橋が架けられていたのでしょうか?
続いては台地の崖を感じながら金杉口へ。腰曲輪の堀は障子堀や畝堀だったものの、"畝"を確認できない点は残念。
本城付近の興味深い虎口ももう面影もありませんが、城域は急坂のアップダウンが印象的で、県道280号を歩くといくつか土橋の名残を感じることができました。

鹿島神社(裏は土塁?)まで巡り、滞在時間は約2時間半。
小金城域の町散歩が、私の城巡りの140城目となりました。

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チェブ

528点の宝物。 (2021/05/04 訪問)

先日、投稿した「根木内城」から「小金城」に転戦しました。
築城主の高城 胤吉さんも「根木内城」から拠点を「小金城」に移します。

小弓公方 足利 義明さんに対抗します。
享徳の乱で上杉氏と対立しました。
関東進攻してきた、上杉 謙信さんに対し備えます。
秀吉さんの北条征伐時、小田原城で籠っていた高城氏の命で、「小金城」は戦わずに、明け渡しました。
と、ざっくり60年位を簡単に書きました。

「小金城」は『大谷口歴史公園』です。
入口から階段を上りました。
「小金城」、小高い所から睨みます。
虎口には、復元された木製の門があります。
畝掘や障子掘も説明板の解説があり、見逃しません。
北条家傘下の時に強化したのでしょうか?

「小金城」をネット検索していたら、
『令和2年3月に、小金城主 高城氏に関する古文書が松戸市立博物館に528点、寄贈されました。』
と、、、、!!!。
1点が戦国時代の古文書で、残りが江戸時代の古文書なんだそうです。

私は千葉県の歴史は、正直あまり分かりません。
高城氏の生活の営みを知れば「小金城」の見方が変わるかもしれません。

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黄金虫

【お城川柳】

小金城 達磨口跡 犬散歩

石柱は達磨口、説明板は達摩口。どっちなの?市教委。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 高城胤吉
築城年 天文6年(1537)
主な改修者 高城胤辰
主な城主 高城氏、武田信吉
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 千葉県松戸市大谷口字本城、中城、馬屋敷、番場
問い合わせ先 松戸市教育委員会生涯学習本部社会教育課
問い合わせ先電話番号 047-366-7462