いなむらじょう

稲村城

千葉県館山市


旧国名 : 安房

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ホトトギス

小沢城址特別緑地保全地区 (2017/02/28 訪問)

球場の東側にある

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ホトトギス

水往来 (2017/01/04 訪問)

稲村の城。川と国道と鉄道の南。

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くろもり

正木様 (2015/02/11 訪問)

主郭部には堀切や土塁等の遺構が良好に残っていましたが、印象に残ったのは、北側の主郭部と南の中郭部の間を東西に切通しが通っており、「水往来」という名前がついていました。切通しに名前が付いているのは珍しいし、「水往来」という言葉も初めて聞きました。

また、主郭部へ向かう途中に「正木様」と書かれた祠があり、里見氏家臣の正木氏を祀ったものだそうです。今でも、城跡周辺に5軒の正木家があり、旧暦の2月18日に先祖の供養をしているそうです。

城跡は畑になっている所も多く、中郭部の方は作業されている方もいたので散策はしませんでした。作業されている場合、邪魔にならないように気をつけて散策しましょう。

訪れた時は縄張り図がなく、手探りで散策したのですが、帰ってからよさげな縄張り図のあるサイトを見つけたので、共有しておきます。
安房文化遺産フォーラムさんのサイトです。
http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=107

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スミヤキ

稲村の変 (2019/01/03 訪問)

 近年の史料研究により、これまでの伝承と史実が全く正反対であることがわかったみたいです。
 1533年~1534年里見家天文の内乱は、勝者(義尭)が歴史を改竄して、史実をねじ曲げて伝えていた。下剋上を遂げる中で、都合の悪い事実が残ってしまった事が改竄の要因と言われています。(義尭が仇敵である北条家の支援を得て本家・義豊を攻め滅ぼし、家督を奪ったこと) しかもその後、北条家も裏切り、北条家と対立していた小弓公方側に寝返っています!
 この内乱以後、稲村城は廃城となり、現在に至るのですが、その当時からの遺構がしっかりと残っています! 土塁、堀切、切通し、切岸、腰曲輪など。
また、標高63mの丘城の主郭から西方向を眺めると国府があった館山平野と館山湾を一望でき、その奥には富士山も拝めます。夕暮れ時は、絶景です。多分。
 里見家の歴史は、館山市立博物館の「さとみ物語」に詳しく解説されています。ネットで見れます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 里見義実
築城年 15世紀後期
主な城主 里見氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(里見氏城跡)
再建造物 説明板
住所 千葉県館山市大字稲字城山他