みびろじょう

見広城

千葉県旭市

別名 : 要害山
旧国名 : 下総

投稿する
戴いた資料の部分
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イタさん

北の雷神社と併せて (2025/05/22 訪問)

 城址の北にある雷神社(らいじんじゃ)の駐車場をお借りする。拝殿の前に神職さんがいて、神社の由緒、見広城関連の武士、城址の説明等を聞くことが出来た。またA4サイズ両面印刷の見広城址説明書を戴いた。説明書には、城址の位置・・・。詳らかな資料はなく、地元の伝承などによれば、嶋田三河守義広の居城と伝わる。永禄年間に里見義弘の臣下の勝浦城主・正木時忠によって東総一帯が席巻されたおり、落城したと云われている。城址の構造説明・・・などが記載されている。

 用紙を帰宅後に読んだため、遺構の確認が不十分だったのが残念。神社駐車場から民家脇を行けば、直ぐに台地を区切る空堀があり、先の鳥居から階段を上がれば主郭の北隅にでる。浅間神社の祠がある場所が高く櫓台跡とある。主郭は南北に細長く、狭い郭が二段続く手前に城址碑が立っている。先に広い郭がある。端に隅に物見台があったらしいが、見落としてしまう。東側には幾つかの腰郭が見られる。主郭以外の南は藪ではないが竹林になっている。神職さんに一周できると言われたが、思い返せば主郭周辺が周回なのだろうか。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

見広城初登城、北端が大堀切 (2022/05/30 訪問)

 森山城を十二分に堪能して東に12~13km程、未踏の見広城を目指す、ナビは隣接地の雷神社駐車場を目的地にして走行、トイレ休憩と昼食で近くの麓下のコンビニに寄る。
 雷神社駐車場は広くてトイレ完備。住所:千葉県旭市見広千葉県旭市見広1371、(35°44'26"N 140°41'51"E)。

 城情報は余湖図コレクションさん、グーグルマップに依る。

 見広城址は雷神社の南側に在り、南側に突き出した舌状台地に立地する。西側は急峻な海蝕崖を活かし、大堀切により台地先端部を切り離す。南側、東側に向けて大小の郭で構成された直線連郭式の中世城郭です。
 一郭北に櫓台、竪堀が階段に成って居る、南に一郭内部が尾根筋に広がってる北、西、東に土塁、南に狭い二郭、三郭は二郭より眺めるだけ急峻な道と笹竹枯葉で滑る、竹藪で突入困難、実際二郭降りる時滑り危うい事に成り撤退。(郭の呼称は余湖図コレクションさん俯瞰図の呼称に由ります。)

 歴史的には嶋田三河守を名乗った一族の代々の居城、永禄年間(1558~1570年)里見氏臣下正木時忠に攻められ落城したとある。(案内板抜粋)

 続きを雷神社が素晴らしいので別編で投稿します。
   

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

雷神社の背後に (2022/02/13 訪問)

雷神社の拝殿前にパンフレットが置いてあります。
駐車場も神社のものを利用し、案内板に従って進むとまずは大きな空堀があります。
この堀は未整備ですが大きく深いことはわかります。
そのすぐ先に鳥居があり、登ると主郭に。
土塁が囲んでいて土塁上に石碑が建っています。
主郭は細長くなっていてその先一段下がると二郭に。
二郭には物見台も設置されています。
二郭の先から下ると門のような感じの遺構が残ります。
さらに降りると民家の敷地っぽいので引き返しました。
島田氏の居城でしたが正木氏の攻撃により落城しました。
規模は大きくないのですが地元の方により整備されて歩きやすくなっていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

参観灯台スタンプラリーコンプリートの前に (2021/11/03 訪問)

10月30日に丘城の麓からの登城路を探して見事に失敗。帰ってきてから調べてみると鶴巻小学校の方へ進んで丘の上に登って搦手から攻めれば良いとのことでした。雷神社には立派な駐車場まで完備されて居るではありませんか。立派な空堀、土塁に城址碑まであって満足です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 島田義広
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 島田氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑
住所 千葉県旭市見広字西山