むろがじょう

室賀城

長野県上田市

別名 : 笹洞城
旧国名 : 信濃

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室賀水上神社
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:室賀城 (2023/04/20 訪問)

三水城から転戦。ささらの湯駐車場(36.410277、138.147181)駐車し、室賀水上神社入口(36.410836、138.146967)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、室賀氏によって築かれたと云われています。 室賀氏は屋代城屋代氏の支流で室賀郷を本貫とした一族です。
はじめ葛尾城の村上氏に従っていましたが、甲斐の武田信玄が村上氏を越後へ追いやると武田氏に従いました。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡すると徳川家康に従いますが、翌1583年(天正11年)真田昌幸と争い一旦は和睦となりますが、室賀兵部少輔は後に謀殺されました。
室賀氏の一族は室賀源十郎が徳川氏に仕え、江戸時代には旗本となり尾張藩に仕えて1,500石を領しています。

登山道は東麓にある室賀水上神社の境内にあり、境内にも駐車可能です。
登山道を歩き始めましたが、案内標識もなく山に登って行く道が見つけられません。
方向音痴な自分は迷子の危険があるので、攻城を断念しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=原畑城(城びと未登録 長野県上田市)に向かいました。

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小城小次郎

だまれこわっぱあ! (2021/11/03 訪問)

麓の館とセットで室賀城とも呼ばれるこのお城は「黙れ!小童!」で一躍有名になった室賀さんのお城。真田丸効果で一度は散策路が整備されたが今はまた自然に還りつつあるので、散策するならここ1、2年がよいのかもしれない。

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TESTU89

笹洞城と原畑城の二つからなる城 (2016/04/06 訪問)

信濃国衆の中でも有力な国衆の一つであった室賀氏の本拠地です。
山麓の居館跡は原畑城、山城の方は笹洞城とも呼ばれています。居館の跡は原組公民館となっています。
どちらも「室賀温泉ささらの湯」が出発点として最適ですので、ここの駐車場をお借りします。
原畑城はささらの湯に入る入り口の、水沢川を渡る橋が「大手橋」と呼ばれていることからも、この川が前面の水堀の役割を果たしていたと思われます。ここから原組と呼ばれる集落が有りますが、恐らくは城下の集落であったと思われ、その奥の高台に居館が有ったようです。居館の背後を守ったと思われる堀切の跡ははっきり残っています。
笹洞城はささらの湯の奥側に室賀水上神社が有り、その脇に登城口が有るので、ここから登ります。尾根筋に出ると傾斜が急になりますが、この尾根筋にも竪堀が刻んであるのが判ります。
深い堀を3~4本超えると、2の郭、本郭を囲む帯郭に入り、周囲の斜面を切岸で成形された本郭に着きます。周囲の土塁には石積みされた跡が残っています。背後の大堀切や竪土塁にも石積みされた箇所が残っていますので、主要部の多くは石積みの施された城なのでしょう。
ここから室賀城のある室賀谷は、眼下に監視できます。
また水沢川の対岸にある前松寺には室賀氏の墓所が整備されています。真田昌幸に謀殺された室賀正武の墓はここには無いそうですが、「真田丸」で演じていた西村まさ彦さんが何度も訪れていたそうです。

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todo94

黙れこわっぱ (2016/04/16 訪問)

この日の締めは、真田丸紀行に笹洞城として出てきた室賀城。「黙れこわっぱ」は今でも記憶に残っています。「黙れこわっぱ」返しも話題になりました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 室賀氏
築城年 不明
主な城主 室賀氏
遺構 曲輪、石積、竪堀
住所 長野県上田市上室賀