とけじょう

土気城

千葉県千葉市

別名 : 金城、貴船城
旧国名 : 上総

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土塁の上の祠 貴船大明神
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みんなの口コミ

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しんしんちゃん

一番の見どころは坂なんだって‥ (2022/05/06 訪問)

土気城は善勝寺郭は、ひまわりの郷になっていて、二の丸は
テニスコートになっているようです。二の丸と三の丸の間には
土塁と堀が残り三の丸と馬出曲輪の間にも堀と土塁が残ります。
本丸は北東端にあり、その南側をクラン坂が通ります。
昼でも暗いのでクラン坂といって、この城の最大の見どころに
なっているのですが‥‥情報不足で見ていません。
城人を始める前に訪問しているので、口コミを見ていないんですね。
またこのあたりを訪問する際には寄ってみたいです。
土気城は聖武天皇の神亀年間(724~29)、鎮守府将軍大野東人が
蝦夷に対する拠点の一つとして城塞を築いたのが始まりとされ、
室町時代に酒井氏の城となり里見氏に従うようになりますが、
後に、後北条氏に鞍替えします。豊臣秀吉の小田原攻めの際に
浅野長政らを主将とする別働隊に包囲され四カ月の籠城の末に
開城し、廃城となったそうです。

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イタさん

主郭は福祉施設の敷地となっている。 (2023/01/31 訪問)

 説明板によれば、平安時代に東北の蝦夷に対する軍事拠点として築いたとされる。その後長享2年(1488年)、中野城主であった酒井定隆が修復入城し、以後5代・100年間に亘り上総の地に君臨した。天正18年(1580)の小田原攻めの際に、房総攻めで敗れ廃城になった、とある。
 大堀切にも思えるクラン坂は切り通しで、外房線を越えると三叉路になる。所々で小さな横穴が散見できる。どなたかの資料に横穴式墓では、と載っていた記憶がある。三叉路を上金谷へ少し入ると、単に下と台地を繋ぐ道だろうが、土橋・堀を思わせる地形がある。
 台地に出ると周囲は本丸・二の丸の大部分は福祉施設の敷地になっている。東はテニスコートになる。三の丸も畑になっているが、土橋・堀跡・土塁は確認出来る。土塁の上には貴船神社が建っている。土橋の先は民家が多く、分からなかったが馬出的な郭だったようだ。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅱ⑦:土気城 (2020/01/23 訪問)

本納城から転戦。車で20分くらいでした。
馬出曲輪の貴船神社(35.528949,140.2881)➡3郭➡2郭➡1郭を車を進めて攻城しました。

土気城は神亀年間に鎮府将軍・大野東人が蝦夷に対する備えとして「金城」あるいは「貴船城」と呼ばれる城砦を築いたのが起源とされますが定かではありません。
室町時代、土気荘の地頭職を得た千葉氏の勢力圏となり、室町時代には千葉氏の流れを汲む土気氏が当地の地頭職を得て土気城に拠ったとされています。
室町時代後期には一時大関城主の畠山重康の勢力下となったが、1487年(長享元年)原氏と組んだ中野城主酒井定隆に追われ、翌1488年(長享2年)酒井氏が移り、以降酒井氏が滅びるまでの100年強同氏の一族が拠りました。
後に定隆は三男隆敏と共に土気から東金に移り、隆敏は東金酒井氏の祖となりました。
1564年(永禄7年)第二次国府台合戦で土気酒井氏は里見氏に組し、里見氏の敗退後北条氏に組した東金酒井氏を含む北条勢に攻められた。
この際、搦め手のクラン坂方面から北条勢が攻め寄せたとされるが、酒井胤治が良く守りこれを撃退しました。
その後、土気酒井氏も北条氏に降り、1590年(天正18年)の小田原征伐では酒井氏は北条方として小田原城に篭城しました。
この役で北条氏が滅ぶと、酒井氏も運命を共にし、土気城も豊臣方に接収され廃城となりました。
現在本丸跡は旧日航研修センターの庭園になっており、5m近い土塁に囲まれた二の丸跡には老人ホームが建てられています。

馬出曲輪の貴船神社➡3郭➡2郭➡1郭を車を進め、クラン坂を通り抜けようとしたら倒木の為、前に進めず。
クラン坂の狭い登り坂を車で50m程バックで脱出を図りますが、雨で土砂が道路上に流れており、スリップの為、脱出するのに時間がかかりました。
本当に通行止めにしておいてほしかった。(反対側の入口は通行止めになっていました)
攻城時間は45分くらいでした。(見学時間には脱出時間も含んでいます)

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赤い城

主郭には養護施設が (2022/01/02 訪問)

土気駅から徒歩で25分。
ひまわりの郷という養護施設が主郭跡のようです。
説明板が立っている手前に藪化した空堀と土塁があり、説明板が立っているところは三の曲輪となります。
主郭周辺にも堀と土塁が残っています。
主郭から金谷口に向かうクラン坂は岩盤を削って造られています。
なかなか雰囲気があります。
奈良時代に貴船城として築かれた城で戦国期には土気酒井氏の居城でした。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 大野東人?
築城年 神亀年間(724〜729)?
主な改修者 酒井氏
主な城主 大野氏、千葉氏、土気氏、畠山氏、酒井氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、馬出、喰違虎口、住居跡
再建造物 石碑、説明板
住所 千葉県千葉市緑区土気町826