6月末だとだいぶ草木が茂っています。
空堀などよく観察したい場合は晩秋の方がよさそうです。
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2022/11/13 23:27
2022/08/26 11:09
高遠コヒガンサクラ満開の探訪 (2005/04/17 訪問)
高遠城は軍師山本勘助の縄張と伝えられる山城でもあり、南河岸段丘の崖で三峰川に落込み南堅固の城郭、本丸を二の丸、三の丸が取囲む城郭です、城主としては武田勝頼が有名です、、織田と武田の天正10年2月攻防戦は有名ですが数千の将兵が討取られています、武田滅亡後の6月には本能寺の変で織田信長、高遠城攻めの総大将織田信忠も自刃し高遠攻めから4ヶ月後の事でした。
関ヶ原後は保科氏が返り咲き、保科正光が秀忠三男正之を養子で迎え、正之は山形城主、会津若松城主となり会津で明治まで継承しますが戊辰戦争の悲劇を会津は迎えます。
高遠城には二三回訪ねていますが、17年前の今回平成17年4月中旬、町内会のシニアー有志の集まりで観光バスを貸切、日帰り温泉と高遠城コヒガンサクラ花見と出掛けました。
当日、コヒガンサクラは満開で観光バス駐車場も満車、人は混み合うほどの人・人の賑わい、桜満開と人の混雑で、高遠城の遺構は中々撮れず、高遠コヒガンサクラに目が行き、城郭投稿と言うより花見投稿と成って仕舞いました。ご了承ください。
また南側200~300mの所に絵島生島事件の絵島囲い屋敷が復元され観光名所に成って居ります。
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2022/08/22 13:23
高遠頼継を攻略した武田信玄が大規模な改修を行い、江戸時代には徳川氏の譜代大名の居城となった。三峰川の断崖を背にした本丸を二の丸・三の丸が半円状に囲み、空堀と土塁によって堅く守られた。曲輪間の空堀がよく残っていて、戦国期の雰囲気を伝える。桜の名所としても有名。
城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 不明 |
築城者 | 不明 |
主要城主 | 高遠氏、秋山氏、武田氏、仁科氏、下條氏、保科氏、毛利氏、京極氏、鳥居氏、内藤氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(高遠城跡) |
近年の主な復元・整備 | 武田信玄 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、門 |
住所 | 長野県伊那市高遠町東高遠 |
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問い合わせ先 | 伊那市役所高遠町歴史博物館 |
問い合わせ先電話番号 | 0265-94-4444 |