「総選挙」シリーズ ランキング 速報!【1位~10位編】「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」ベスト30結果発表!

2020年12月28日(月)にテレビ朝日系列で放送の「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」。全国1万4000人の国民による投票・専門家・AIで、ガチで選んだ最強戦国大名ベスト30にランクインした戦国大名は誰か? 今回は【1位~10位】をランキング形式でご紹介します。

▼放送前にたてた城びとの予想はこちら!

「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」とは?

テレビ朝日系列で放送されている「総選挙」シリーズは、あらゆるジャンルの人気No.1を投票で決するガチ企画。「戦国大名」をテーマに最強大名を決める総選挙が実施されました!


10位 本多忠勝 57戦負けなしの強すぎ!家康に天下を取らせた男

桑名城跡、九華公園、本多忠勝像
桑名城跡(九華公園)にある本多忠勝像

とにかく武力が強い!!
強さを物語るエピソードが、忠勝23歳の時、1570年の姉川の戦いにありました。
織田・徳川 5000人 VS 朝倉・浅井 10000人 というピンチにもかかわらず、忠勝が一人で突撃を申し出ます。忠勝を救うために皆が奮い立ち形勢逆転!

忠勝が近世城郭へと改修したのが大多喜城(千葉県夷隅郡大多喜町)です。関ヶ原の戦い後には桑名城(三重県桑名市)の城主に命じられました。桑名は西から東国を責めるときの要。重要な桑名を任されるほど、家康に信頼を置かれていた人物だったのです。

▼大多喜城には、今お城ファンに話題の御城印があります

9位 真田昌幸 農民たちと協力して、強敵を撃退!

真田昌幸

イラスト:藤科遥市さん

上田城を拠点に長野県上田を治め、上田合戦で徳川軍を2回撃退したことで知られます。戦いは、農民たちに協力してもらっていたそうです。首ひとつをとってくれば土地を与え、指示はきわめてシンプルにしたそう。

番組では、家康軍を退けた作戦が紹介されました!

1:おかゆぶっかけ作戦!
上田城は、川や崖に囲まれた鉄壁の城。敵が城壁をよじのぼってくると、農民たちに上から熱いおかゆをかけさせたそう。熱くてたまったものではないですよね。

2:大声作戦!
敵を威嚇するのに武士の場合は太鼓ですが、農民では難しい。そこで敵の四方の山に伏兵として農民を隠しておいて、突然敵の後ろから大声を出させたそうです。

3:手作りの武器作戦!
矢竹(弓矢の元になる植物)を弓矢の矢に加工して戦ったそうです。

▼上田城についてもっともっと知りたい!

8位 黒田官兵衛 「戦わずして勝つ」秀吉の参謀

黒田官兵衛
イラスト:えのくまさん

現在の大分県中津市一帯を治めた天才軍師。秀吉の参謀として、天下統一の足がかりを作りました。
官兵衛のすごいところは、真っ向勝負をせずに味方の犠牲を最小限にして勝つこと。
番組では毛利家との英賀(あが)の戦いでの「ハッタリ大作戦」が紹介されました。毛利軍5000 VS 黒田軍500と人数的には圧倒的に不利な状況だったのですが、その状況を逆手に取り、村人と旗を大量に集めて一斉に上げることで、大勢の兵がいるように見せかけて見事に毛利軍を退けたのです。


7位 伊達政宗 新しいものを取り入れていくカリスマ大名

伊達政宗像,戦国大名総選挙
写真:赤い☆稲妻さん

伊達政宗は、見た目がかっこいいだけではなく、最先端の技術を取り入れた、実用的・戦闘的な黒の甲冑を愛用。戦だけではなく、外国との直接貿易も行おうとした大名で、番組では、甲冑と交易に注目して紹介されました。

政宗の兜の三日月の前立てが左右非対称なのは、刀を挙げたときに振りやすくしたため。また、かならず壊れやすく作っていることが説明されました。さらに、甲冑は蝶番が入っていて、5つに分解できるようになっています。バラバラにした状態で、重ねられて収納できるのです。

さらに、政宗は海外に目を向けて、西洋のものを仙台に取り入れるため外国と交易しようとしていました。その時建造された船「サン・ファン・バウティスタ号」は、寝室やキッチン、24個の大砲を備えていた、5層構造の全長55.35mの大きな船。当時、無敵艦隊といわれたスペインの船が日本にたくさん来ていたので、彼らの力を得ながら、巨大な船を作ったそうです。


6位 徳川家康 言わずと知れた天下人は…健康オタク!?

徳川家康
イラスト:相河柚希さん

約260年間にわたり戦争のない時代を作った、江戸幕府の大将軍・徳川家康。
家康がなぜ天下人になれたのか…それは、戦国一の健康オタク!?
馬術・剣術・水術にも優れていたのですが、健康を維持することが天下人への道と考えていたとのこと。
また、医学・薬学の知識も戦国大名一持っていたそう。

番組では、エピソードが2つ紹介されました。

①自分で薬を調合していた!?
久能山東照宮に残された文献などから、
番組では当時家康が作っていた12種の生薬を使ってすりつぶし、常備薬を再現していました。
自分の体調に合わせて、自分で調合していたとは・・・。

②「家康飯」って?
大大名になってからも、質素な食生活を好んでいたとのこと。
戦国時代最後の戦いとなった大坂夏の陣に、家康はなんと73歳で出陣しました。長寿の秘訣は、食生活と薬にあったのかも知れませんね。



5位 毛利元就 3本の矢の教えで知られる

毛利元就
イラスト:百坂たまおさん

海賊をも仲間にする大胆な戦略、銀山を所有する財力で、中国地方ほぼ全域を支配した大名。
頭の良さで大出世。そのきっかけが厳島の戦いで、2万の兵力を持つ中国地方最大勢力の陶氏を3000の兵で打ち取りました。
陶氏のスパイが紛れ込んだ会議で偽の情報を流し、おびき寄せで水軍(海賊)と協力して挟み撃ちにしたのです。

▼毛利元就が築いた郡山城の紹介はこちら

4位 上杉謙信 武力はもちろん、商売の才にも長けた大名

上杉謙信
イラスト:鈴森以知子さん

越後(新潟県)を支配していた上杉謙信。武力が強いイメージがあり、有名な川中島の戦いでは上杉謙信と武田信玄は5度にわたり戦いました。向かうところ敵なしの謙信ですが、番組では戦だけではなく「お金儲けの天才」としての面が紹介されました。

普通は大名のお金儲けというと、敵地から領土を奪い税収をもらう、などがありますが、
謙信は着物の原材料となる青苧(あおそ)という植物を貿易でやり取りすることで利益を出したのです。
また、その着物を公家が使うことで、着物の人気は上昇…!公家を今でいうインフルエンサーとして活用していたのです。

▼越後の龍はすごいスケールの城に住んでいた!上杉謙信の居城・春日山城はこんな城!

3位 豊臣秀吉 世渡り上手で愛嬌者。戦国一の出世頭

豊臣秀吉,戦国武将総選挙
イラスト:Hideppさん

大坂を中心に、約10万の兵で全国に拡大した戦国大名。庶民の子から大名になった、たたき上げです。あの織田信長に認められ大出世しました。

今回は秀吉の「お金」と「知恵」の部分に注目。大名として優れた点は、金山や銀山を直轄地にして、その財力を見せつけることによって支配したこと。柏原美術館(山口県)に所蔵されている書状では、お米を売ったお金で金銀を集めるよう指示していました。米が大事な時代に、金銀を重視していたのです。

秀吉の人心掌握術として、家康を部下にしたすごい交渉術をピックアップ。秀吉は、1586年の天下統一間近、妹を家康に嫁がせたほか、念のため家康の元へ、部下もつけずに単身でアポなしで訪れ、家康に対し「臣下の礼を少しだけ大げさにしてほしい」とお願いにいったという、根回し上手なエピソードが再現ドラマで紹介されました。

▼金の茶室だけじゃない!豊臣政権の経済力を見せつけた!?金箔瓦についての記事はこちら


2位 武田信玄 強く人望が厚い、理想のリーダー

武田信玄,Dr.倉田
イラスト:鈴森以知子さん

百戦錬磨の戦国大名!躑躅ヶ崎館を造りまちづくりに力を入れて、山梨県を中心とした中部地方を治めていました。

武田軍を見ると逃げ出すものもいると言われた武田信玄。ですが、強さは武力だけではなかったのです。
結束力を高めるために武田信玄が行ったことは、家臣の心をつかんだこと。
番組では信玄流の人心掌握術が3つ、紹介されていました。
①普通は領地などが褒美として使われるが、自分が大事にしていたものを褒美として渡す
②当時としては珍しい!戦場に医師を連れて行った
③スパイが多かった時代に、合議制(会議)を積極的に行うことで、「信じている」ことを皆に示した

▼治世に力を注いだ証の一つ、信玄堤の詳しい説明はこちらから!

▼温泉以外にも実はアロマ好きだったかもしれない!?今回の武田信玄のイラストは、こちらの記事のものです!

1位 織田信長 戦国覇王 


織田信長 島順太:画
イラスト:島順太さん

一般1位、AI1位、専門家2位と圧倒的な支持を集めた織田信長が1位でした!!

信長は愛知県西部を治め、およそ20年で日本の中心部を制圧。誰でも自由に商売ができる楽市楽座や、南蛮貿易、日本初の天主(天守)を備えた安土城の築城など、新たな時代を切り拓きました。

番組のなかでは、アイデアを駆使して勝つことに戦いの美学を感じていたのでは?と専門家が分析。小和田哲男先生は、今川義元との桶狭間の戦いは、これまでは奇襲作戦で勝利と言われているが、それだけではなく、緻密な作戦の上で戦った勝利と最近言われるようになってきたことを解説。

それは「見殺し作戦」ともいえるもの。桶狭間の戦いの決戦当日、味方の砦(丸根、鷲津砦)から火の手があがっている様子を信長は確認したものの、2つの砦が落ちた時、味方を助けに行かずに敵を攻めに行きました。今川の軍勢の大半は砦の方にいて、義元のいる本陣は手薄になっていると判断したのです。今攻撃すれば、敵は戻ってこられないと考えていたそう。当時の常識としては、自分の砦は守るものでしたが、自分の仲間を見捨てても義元の首をとりにいったことが紹介されました。

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執筆/城びと編集部
イラスト/藤科遥市(真田昌幸)・えのくま(黒田官兵衛)・相河柚希(徳川家康)・鈴森以知子(武田信玄・上杉謙信)・Hidepp(豊臣秀吉)・百坂たまお(毛利元就)・島順太(織田信長)

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