超入門! お城セミナー 第5回 【歴史】築城名人って何をした人?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法や、お城の用語など、ゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。今回のテーマは築城名人。名城をデザインした名設計士たちに迫ります!

加藤清正、熊本城、難攻不落
加藤清正が築いた熊本城。近代兵器が用いられた西南戦争でも落城しなかった、難攻不落の名城だ(写真は熊本地震前のもの)

築城名人は城の一流デザイナー

城の説明でよく、「○○城の縄張は、築城名人○○○○が手掛けました」というフレーズがあります。この「築城名人」。いったいどんな人で、何をした人なのでしょうか?

「豊臣秀吉が築城した大坂城」といっても、実際に秀吉がトンカチやったわけではありませんよね。「築城者」「築城主」また「城主」は、いわば施主。注文主となる人です。「天守は吹き抜けに!」なんてこだわりが強い施主もいますから、プロデューサーでもあります。いずれにしても築城者となるのは、大名家や時の政権など。安土城(滋賀県)の織田信長 [ 織田家 ]、江戸城(東京都)の徳川家康 [ 江戸幕府 ] ということになります。

この築城者が、設計家・建築家・都市デザイナーまた現場監督の仕事もこなす責任者に依頼します(多くは「普請奉行」に任命します)。これを請け、多くの城・大規模な城の仕事をした人、革新的な仕事をした人を、「築城名人」と呼ぶことが多いようです。

藤堂高虎肖像、徳川家康、スポンサー
藤堂高虎肖像。高虎は徳川家康をスポンサーにして、築城の効率化に取り組んだ(東京大学史料編纂所所蔵模写)

加藤清正肖像、熊本城
加藤清正肖像。熊本城には彼の合戦経験が活かされている(東京大学史料編纂所所蔵模写)

黒田官兵衛肖像、大坂城、縄張
黒田官兵衛肖像。20万の大軍を寄せ付けなかった大坂城の縄張は、彼の手によるもの(東京大学史料編纂所蔵、模写)

例えば、藤堂高虎。聚楽第(京都府)・徳川大坂城(大阪府)・江戸城といった大規模な天下人の城を含む20城近くの築城・改修に携わり、速い!安い!丈夫!の三拍子揃った革新的な「層塔型天守」を考案した人です。

加藤清正も、熊本城(熊本県)の「武者返し」の石垣に代表されるような、実戦経験に基づく工夫と技術が評判だった築城名人。肥前名護屋城(佐賀県)、朝鮮出兵時の日本軍の城など、多くの城に携わりました。

天才軍師・黒田官兵衛も、豊臣大坂城・広島城(広島県)・福岡城(福岡県)など、土地の特徴を見極めた巧みな縄張をもつ、実戦的な城を多く手掛けています。

土の城の名人としては、まず武田信玄の伝説的家臣・山本勘助。高遠城(長野県)・小諸城(長野県)・海津城(長野県)などを築いたといわれます。そしてその勘助に学んだともいわれる武田四天王のひとり・馬場信春は、いわゆる「武田流築城術」の到達点として名高い田中城(静岡県)を築きました。

ほかにも金沢城(石川県)の高山右近、伊予松山城(愛媛県)の加藤嘉明など、名城を築いた人の名前があがることもあります。

とにかく「築城名人」は、とても多才な人であることは間違いないですね。

藤堂高虎と加藤清正の城づくりについては、別途またこの連載で取り上げますので楽しみにお待ち下さい。


執筆者/かみゆ
書籍や雑誌、ウェブ媒体の編集・執筆・制作を行う歴史コンテンツメーカー。

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