超入門! お城セミナー 第99回【武将】豊臣秀吉ってなぜ水攻めが得意だったの?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは「水攻め」。水攻めとは、城の周囲に堤防を築いて水を流し、城を水没させるという戦術。この水攻めを得意としたのが、天下人・豊臣秀吉です。大規模な工事が必要となるこの戦術を、なぜ秀吉は何度も成功させることができたのか。


備中高松城の戦い
備中高松城の戦いを描いた浮世絵。実際の備中高松城には天守や石垣はなかったが、城全体を水没させる水攻めのスケールの大きさが表現されている(都立中央図書館特別文庫室蔵)

豊臣秀吉が得意とした城攻めの戦術「水攻め」

武将たちが領地をめぐって合戦を繰り広げた戦国時代。第84回「【歴史】戦国時代の合戦はほとんどが城をめぐる戦いだったって本当?」では、合戦の多くが城をめぐる戦いだったと説明しましたが、攻城戦には力攻めや包囲戦、調略など様々なやり方があります。今回は城をめぐる戦いの中でも特殊な戦法である「水攻め」について見て行きましょう。

水攻めは包囲戦の一種ですが、大規模な堤防を造って目標の城を沈めてしまうというスケールの大きな戦法。水によって城を孤立させ、兵糧供給や援軍を断つことができます。さらに、日に日に増える水は城兵に大きな心理的圧迫感を与えたことでしょう。準備が大変なため、通常の包囲戦に比べるとメジャーではありませんが、戦国時代には何度か行われています。中でも備中高松城(岡山県)の戦い、太田城(和歌山県)の戦い、忍城(おしじょう/埼玉県)の戦いが「日本三大水攻め」として知られています。

この日本三大水攻めには、共通の人物が関わっています。そう、日本一の出世人・豊臣秀吉です。備中高松城攻めと太田城攻めは秀吉自身が指揮を執った戦い、忍城の戦いは秀吉が家臣の石田三成らに命じて行わせた合戦なのです。なぜ、秀吉は幾度も水攻めを行い、成功させることができたのでしょうか。まずはその理由を探ってみましょう。

さて、一言で城を水没させるといっても、実際に行うのは簡単ではありません。

城周辺を水浸しにするためには、城のまわりに堤防を造って、川の水を流し込みます。具で土手を作ってその中に汁を流し込んで焼く、もんじゃ焼きをイメージすると分かりやすいでしょう。もんじゃ焼きは、しっかり土手を作らないと汁が漏れてきますが、水攻めもそれは同じ。しっかりとした堤防を築かなければ、水を流した時に決壊してしまいます。もんじゃ焼きは最終的に具と汁を混ぜるので、ちゃんと土手ができていなくてもあまり問題はありませんが、水攻めの場合は土手が崩れて水が漏れれば、城が水没しないどころか自分たちの陣が水に襲われてしまいます。つまり、城が沈むほどの水にも耐えられる堤防が造れるだけの普請技術を持っていることが前提条件となるのです。

さらに、堤防が完成したら近くの河川から水を流し込まなければいけません。もんじゃ焼きも土手だけ作って汁を流さなければ、いつまでも完成しませんよね。川からの水が少なすぎれば城は沈まず、反対に多すぎれば堤防が決壊するため、水量の計算も重要です。

織田信長の元で城造りや治水を経験していた秀吉は、大規模な普請のノウハウを持っていました。さらに彼の配下には石田三成や増田長盛ら、高度な知識を持ち計算に秀でたテクノクラート(技術官僚)が揃っています。これこそが、秀吉が水攻めの名人たらしめたのです。

備中高松城の戦い、堤防
備中高松城の戦いで豊臣軍が築いた堤防の一部。発掘調査では、堤の基礎となる杭や土俵の後が確認されている

秀吉が水攻めを得意とした理由が分かったところで、彼が関わった日本三大水攻めがどのような戦いだったのかを見てみましょう。

長大な堤防を築いて城を沈める前代未聞の戦術

まずは、秀吉がはじめて水攻めを行った天正10年(1582)の備中高松城の戦いから。備中高松城(岡山県)は低湿地帯にあり、城周辺の泥に足を取られるため力攻めが難しい一方で、大雨が降ると周囲一帯が水没するという弱点を抱えていました。季節は折しも旧暦5月(現在の6月)。梅雨を利用すれば城を孤立させられると踏んだ秀吉は、堤防の普請に着手します。こうして造られたのが、全長約3km、高さ約7〜8m、底部約20〜24m、上幅約10〜12mの堤防。土塁の規模から推定すると、盛り土に必要な土砂は約38万5976㎥(東京ドームの体積の約1/3)。大規模な築堤であったことがうかがえます。

備中高松城の戦い
備中高松城の戦いイラスト。秀吉軍は城を水没させた上で厳重に包囲し完全な孤立状態にした(イラスト=香川元太郎)

この築堤工事は開始からわずか12日で完了。付近を流れる足守川の水を引き込むと、城周辺には水がたまりはじめます。さらに、秀吉の狙い通り長雨によって、数日後には城外はもちろん本丸まで水没させることに成功。約1か月の包囲の後、備中高松城はついに開城します。

備中高松城、本丸
復元された堀越しに眺める本丸。堀は現在蓮池となっており、毎年夏に可憐な蓮が咲き乱れる

秀吉の水攻めといえばこの備中高松城が非常に有名ですが、天正13年(1585)にはさらに規模の大きな水攻めを行っています。それは太田衆・雑賀衆・根来衆ら紀州の武装集団を屈服させた紀州攻めの最終局面・太田城攻め。

この戦いで秀吉が築いた堤防は全長約5km。高さや幅も備中高松城のものから数m大きくなっています。さらに驚くべきは築堤にかかった工期。備中高松城の半分以下である5日間(6日とも)でこの長大な堤を築いたというのです。

太田城、土塁
太田城周辺にはこの時築かれたとされる土塁跡が残る。市の発掘調査で戦国時代の土器や鉄砲玉が発見された他、盛り土は①基礎の小山造り、②基底部の地ならし、③土を盛る、④堤の両端を覆う、という4工程で造られていたことが判明した(和歌山市文化振興課提供)

さらに、秀吉は水を流し込んだ太田城(和歌山県)に船で攻撃を仕掛け、敵を追い詰めていきます。はじめは太田城の兵たちも堤防の破壊など抵抗を試みますが、1か月もすると兵糧や物資が底をつき籠城は続けられない状態に。城内の中心人物53名の自害と引き替えに城兵と民衆を助けるという条件で降伏します。

堤防が完成しても水攻めは気が抜けない!

ここまで水攻めの成功例を見てきましたが、失敗例も見てみましょう。天正18年(1590)、天下統一の総仕上げである小田原攻めの一環として行われた忍城攻めです。2012年にヒットした映画『のぼうの城』でこの合戦のことを知ったという人も多いのではないでしょうか。

忍城攻めを行ったのは、石田三成や大谷吉継ら豊臣秀吉配下の武将たち。三成は秀吉の側近として様々な合戦に参戦していました。水攻めのノウハウは充分に持っているはずですが、なぜ失敗してしまったのでしょうか。

忍城(埼玉県)は、備中高松城と同じ低湿地の城ですが、沼を天然の水堀とした水城です。つまり、もともと水に囲まれているため水攻めの効果が薄いという訳です。これを分かっていたのか、三成は秀吉に対して力攻めを進言しますが、現地を見ていない秀吉は却下。三成は水攻めを強いられたそうです。

忍城
戦国時代の忍城復元イラスト。沼を水堀とし、要所を橋でつないだ水城だった(イラスト=香川元太郎)

長年秀吉の合戦を支えていただけあって、三成の築堤の手腕は確かなもの。第一関門である築堤をわずか4〜5日完了させます。ところが、肝心の水量調節に失敗。三成は、城を挟む利根川と荒川から水源を取ったのですが、その水量は予想を下回り本丸が沈まなかったのです。さらに、その後に降った大雨で堤防が決壊。あふれた水が豊臣軍を襲い、約270人の犠牲者を出す惨事となってしまいました。

忍城での敗因は「三成の戦下手」で片付けられることが多いのですが、秀吉が水攻めに向いていない城で水攻めを強行させたことや、三成らが現地の気候や地勢を読み切れなかったことなど、様々な原因が積み重なった結果、水攻めが失敗したと考えるのが妥当でしょう。

忍城
現在の忍城本丸。水攻めでは本丸が沈まず浮いているように見えたことから、「忍の浮城」と呼ばれた

最後に、城跡に残る水攻めの痕跡を紹介しましょう。

備中高松城は遺構がほとんど失われており、城内には城主・清水宗治の首塚や碑が残るのみですが、付近の蛙ヶ鼻には秀吉軍が築いた堤跡が残っています。太田城も城跡は市街地化していますが、付近では堤防とされる土塁を見ることができます。この土塁は、長年発掘調査が行われず太田城攻めの堤防であるという根拠が曖昧でした。しかし、2020年に行われた発掘調査で中世末〜近世はじめの遺構や遺物が見つかり、秀吉が築かせた堤防である可能性が高まりました。忍城の周辺には、行田市の石田堤公園に300m、また同市堤根地区に282mの堤防跡が残っています。

ぜひこれらの堤防跡を訪れて、秀吉の合戦のスケールの大きさを感じてみてください。

石田堤
三成が築いた石田堤。高さ3mを超える堤が延々と続く様は圧巻


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『図解でわかる 日本の名城』(ぴあ株式会社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、『隠れた名城 日本の山城を歩く』(山川出版社)、『「戦」と「美」で読む日本の城100選』(イースト・プレス)「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。