「総選挙」シリーズ ランキング 速報!【21位~30位編】「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」ベスト30結果発表!


2020年12月28日(月)にテレビ朝日系列で放送の「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」。全国1万4000人の国民による投票・専門家・AIで、ガチで選んだ最強戦国大名ベスト30にランクインした戦国大名は誰か? 今回は【21位~30位】をランキング形式でご紹介します。

▼放送前にたてた城びとの予想はこちら!

「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」とは?

テレビ朝日系列で放送されている「総選挙」シリーズは、あらゆるジャンルの人気No.1を投票で決するガチ企画。「戦国大名」をテーマに最強大名を決める総選挙が実施されました!


30位 毛利輝元 西軍総大将の実力はいかに?

毛利元就の孫。元就亡き後の毛利家当主として力をつけ、織田信長に対抗し、豊臣政権下では五大老を任されました。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となりますが、関ヶ原には参戦せず、戦後に広島城を失い萩城へと移ります。

▼毛利輝元をもっと知りたい方はこちらをチェック

29位 龍造寺隆信 恐れられた「肥前の熊」

肥前(佐賀県・長崎県)を中心に勢力を急拡大し、近隣諸大名を恐れさせました。さらに家臣を一族ごと暗殺するなど、残忍な性格であったともいわれます。九州の覇権を島津家と争うものの、沖田畷合戦で大敗し戦死しました。

28位 柴田勝家 統率力と武力はピカイチ!

北の庄城址、柴田公園、柴田勝家像
北の庄城址(柴田公園)に立つ柴田勝家像

織田家筆頭家老として織田信長を支え、加賀一向一揆や上杉謙信と対峙する北陸方面軍司令官を任されました。番組内では、今川・浅井を倒すなど、武力・統率力のポイントが高いとの紹介でした。
天正10年(1582)の本能寺の変後、清州会議で豊臣秀吉に主導権を握られてしまうと、翌年の賤ヶ岳の合戦で敗れ北ノ庄城(福井県福井市)で自刃。ともに自害した正室・お市の方は信長の妹です。

▼現存12天守に登閣しよう
・「現存12天守に登閣しよう 丸岡城 北陸地方唯一の現存天守」https://shirobito.jp/article/391

27位 上杉景勝 五大老に昇進した謙信の後継者

上杉景勝
イラスト:みっくさん

上杉謙信の甥。謙信没後の後継者争い、御館の乱で勝利するものの、上杉景虎をはじめ多くの親族を失いました。賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に協力して以降は秀吉の命に従い、功績を積み重ねるうちに豊臣政権の五大老に選ばれました。家老・直江兼続が石田三成と懇意だったなどの経緯から徳川家康と対立し、関ヶ原の戦いへとつながっていきます。

▼上杉景勝ゆかりの鮫ヶ尾城について知りたい方は、こちらの記事もチェック!
・「【続日本100名城・鮫ヶ尾城】越後の歴史に名を残す大舞台となった城」 https://shirobito.jp/article/591

26位 加藤清正 熊本城をつくった、築城の名手

加藤清正
イラスト:やまのやいちさん

熊本県で52万石を納め、熊本城を築城。番組では清正が仕掛けた3つの罠を紹介していました。相手に攻められないように、異例ずくめの仕掛けたち!
①大きな櫓を49も作った(しかも天守級の5階櫓も!)
②敵の勢いを奪う、枡形を複数・しかも連続!
③天守目前には暗い通路が。そこで敵がやられてしまう…
こんな仕掛けでは攻めることはできないですね!

▼加藤清正の築城術や防衛術についてはこちらをどうぞ!
・「加藤清正はどんな城を造ったの?」https://shirobito.jp/article/495
・「西南戦争の裏に加藤清正あり!西郷隆盛も新政府軍も制圧できなかった清正の防衛術とは?」https://shirobito.jp/article/569

25位 今川義元 富国強兵策をとった海道一の弓取り

今川義元像,戦国大名総選挙

貴族のようなイメージがありますが、斬新な政策で国を大きくした超やり手。静岡県全域と愛知県東部を治めていて、織田・武田・北条という戦国屈指の大名とわたりあっていました。有力な家臣と村の者でチームをつくらせ、戦で活躍したチームに土地などの褒美を与え、戦国屈指の2万5000もの大兵団にしたそうです。

▼今川義元と織田信長が戦った「桶狭間の戦い」って?
・「ウモ&ちえぞー!に聞く城旅のコツ ⑧ 大逆転の舞台・桶狭間古戦場をゆく」https://shirobito.jp/article/879

24位 浅井長政 民衆に指示された気遣いの戦国大名

浅井長政
イラスト:kirishimaさん

義理の兄・織田信長を追い詰めた浅井長政。信長と意見が分かれて対立(志賀の陣)した折には織田軍に囲まれたものの、民衆が立ち上がり後ろから信長を追い詰めたとのエピソードが。どうして長政は民衆に慕われたのか? 番組内では、長政が「火の用心などを徹底してください」など、民衆を細やかに気遣う手紙が紹介されました。戦国大名が民衆に手紙を送ることは滅多にないとのこと。

▼浅井長政が織田信長を追い詰めた「金ヶ崎の退き口」ってどういうもの?
・「織田信長最大のピンチ! 「金ヶ崎の退き口」ってどんな戦いだったの?」https://shirobito.jp/article/847


23位  前田利家 戦国随一の槍の使い手

前田利家
イラスト:MIYO_YABUNAKAさん

能登・加賀・越中の3国を与えられ、北陸で勢力を広げた前田利家。加賀100万石の礎を作った人物です。一説には、6.3mもの長さの槍の使い手だったそう。前田利家の使った甲冑から、背中に甲羅を背負っているかのような筋肉がついていたと考えられるそうです。

▼前田利家とほかの戦国武将との関係についてはこちらも。関ヶ原の戦いが起こった要因と、戦国武将たちの関係をわかりやすく紐解きます。
・「関ヶ原の戦いに至るまで~2年前から始まっていた関ヶ原・前哨戦~」https://shirobito.jp/article/484

22位 大谷吉継 石田三成と共に戦った、盲目の天才

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大谷吉継陣を案内する石碑(関ケ原古戦場)

越前(現在の福井県)にて活躍した大谷吉継。
関ヶ原の戦いでは失明状態で石田三成軍(西軍)の主力として出陣していました。
真田丸で吉継を演じられていた片岡愛之助さんは「男気があって理想的な武将」と語っていました。

白い頭巾がトレードマークですが、頭巾をかぶる理由は若くして難病でただれた顔を隠すためと言われています。
また、病気のため目が見えない状態でどのように戦ったのか、ということを外岡慎一郎先生(奈良大学教授)が関ケ原古戦場にて解説。
音で戦場をイメージして、本陣から大谷が動かず作戦指揮に徹したエピソードが紹介されました。結果、1500人の大谷軍vs15000人の小早川軍でも大善戦との結果に!

▼関ヶ原の戦いって?
・「関ヶ原の戦い・決戦~徳川と豊臣の運命を賭けた戦い~」https://shirobito.jp/article/486

21位 井伊直政 15歳の若さで家康に仕えた徳川四天王の一人

井伊直政
イラスト:大久保ヤマトさん

関ヶ原の戦い後に近江国北東部に封じられ、彦根発展の礎を築きました。戦場では真っ赤な鎧で、「井伊の赤鬼」と恐れられた、家康の筆頭家臣です。15歳の若さで家康の家臣にスピード出世しました。

再現ドラマでは、家康の心をつかんだエピソードを紹介。本能寺の変後、光秀に命を狙われる危険があった時、飲まず食わずの家康一行は極限の状態。歩き疲れた末、古い神社に立ち寄った際、神社に供えられたにぎり飯を見つけ、皆がかぶりついたのに対し、直政は、手をつけようとしませんでした。「飢えをしのがぬバカがどこにおる」と怒った家康に「遠慮して食べないわけではない、今に追手が参ります。私はここにとどまり、討ち死にします。徳川は飢えて、供え物に手をつけたとはいわれたくない」と答えたことが、家康の心をつかんだとされるそう。その後、無事に帰還した家康は直政に特別な褒美を与えました。南蛮渡来の貴重な素材、孔雀の羽根で作った陣羽織で、現在も残っています。

直政は譜代の出身ではなかったため、味方のやっかみをねじ伏せるため、敵方の武将に赤鬼として恐れられるような大胆な行動をとることもありました。たとえば、小牧・長久手の戦いでは、3000の大将として出陣。家康から与えられた赤い鎧で出陣しましたが、止める家臣に対し「自分に遅れをとるものは、今後男と名乗ることを許さない」と単身敵陣へ突撃したというエピソードも残っています。

▼井伊家の居城は、彦根城。彦根城についてもっと知りたい方はこちらをチェック!
・「【彦根城】城下町も残る井伊家の居城」(小和田泰経)https://shirobito.jp/article/304

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執筆/城びと編集部
イラスト/みっく(上杉景勝)・やまのやいち(加藤清正)kirishima(浅井長政)・MIYO_YABUNAKA(前田利家)・大久保ヤマト(井伊直政)