熊本城の「いま」 第9回 西南戦争の裏に加藤清正あり!西郷隆盛も新政府軍も制圧できなかった清正の防衛術とは?

NHK大河ドラマ『西郷どん』もいよいよ佳境へ突入。これから西郷隆盛らが直面していくのが西南戦争です。その西南戦争の際、西郷隆盛も新政府軍も苦しめたのが約270年前に加藤清正によって造られた「熊本城」であり、「田原坂」だったのをご存知でしょうか? 

熊本城、坪井川、加藤清正公像
秋深まる坪井川を挟み、熊本城飯田丸五階櫓向かいに立つ加藤清正公像

日本が近代国家へと歩みはじめた明治時代。長く続いた身分制度が解体され、士族は特権を失ってしまいます。不満を爆発させる士族に押され西郷隆盛は立ち上がり、西南戦争がはじまります。西南戦争で西郷隆盛は、加藤清正によって築かれた熊本城を攻略できませんでした。対する新政府軍も加藤清正が造った軍事拠点・田原坂の攻略に苦心しました。今回は、西南戦争で両軍を苦しめた、加藤清正の熊本城防衛の工夫についてご紹介します。 


築城の名手・加藤清正が築いた熊本城

熊本城、宇土櫓、石垣
熊本地震で大きな被害を免れた宇土櫓は、石垣の高さ約21m、櫓の高さ約19m

熊本地震からの復興のシンボルとして最優先に復旧が進められている熊本城の天守。熊本城は、大天守、小天守に加え、宇土櫓や飯田丸五階櫓など、ほかの城であれば天守に匹敵する巨大な櫓を構え、鉄壁の守りを敷いていました。その土台となる石垣は「武者返し」とも呼ばれ、高さ20mにも達する高石垣。一見すると登れそうにも思えますが、下部から緩やかにカーブを描き、垂直に近い勾配になる積み方で上に向かうほど反り返りが激しくなっているため、実際には登ることができません。誰よりも城の防御面に神経を配った、加藤清正の性格が出ていると考えられています。

熊本城、馬場城彩苑、西南の役回顧之碑
「熊本城桜の馬場城彩苑」入口近くに立つ西南戦争を偲ぶ「西南の役回顧之碑」

明治10年(1877)西郷隆盛を中心とする薩摩軍が、熊本城に籠る新政府軍を攻めますが、戦国時代の要塞のような堅固な守りに阻まれ攻略できませんでした。この時、西郷隆盛は「わしは官軍に負けたのではなく、清正公に負けたのだ」と語ったと伝えられています。


城下町にも熊本城防衛の工夫が

加藤清正、一町一寺制、古町
古町に残る寺は加藤清正が採用した「一町一寺制」の名残り

熊本城を防衛するため、加藤清正は、城下町づくりにも工夫をこらしました。商人が住んでいた「古町」には、お寺を中心にして町屋で囲んだ区割りがたくさん残っています。それは、戦いになった場合には、寺を軍事拠点として利用するため。寺の墓石を石垣代わりに使うためだったそう。これは「一町一寺(いっちょういちじ)制」と呼ばれる城下町熊本の特徴です。熊本城だけでなく城下町も敵に備えた「要塞都市」。熊本城を攻めるためには、熊本城にたどり着く前に城下町での戦いにも備えなければなりませんでした。

新町、熊本城
新町の一見真っすぐに見える道路は、実は熊本城を見失うようにずらされている

また、熊本城と古町の間に位置する「新町」は、短冊形に区割りされた町並み。直線的にお城が見えないように、巧みに道路がずらされています。これは方向感覚を鈍らせる工夫です。

加藤清正が造った田原坂は西南戦争の激戦地に

西南戦争、激戦地、田原坂
西南戦争の激戦地・田原坂の入口

城下町熊本以外にも熊本城防衛のために加藤清正が造った軍事拠点があります。それが熊本城から北へ約15kmに位置する田原坂(たばるざか)です。麓から頂上まで曲がりくねった坂道が約1.5kⅿ続き、下から順に一の坂、二の坂、三の坂と呼ばれています。現在でも見通しが悪く、しかも道幅が狭く、道路にはカーブミラーが所々に設置されています。

田原坂、加藤清正
麓から頂上まで見通しの悪い曲がりくねった道が続く田原坂は、加藤清正が戦いを想定して造った道

西郷隆盛軍は、堅固な熊本城の攻略には苦しみましたが、田原坂を利用することで、新政府軍を追い込みました。田原坂の道幅は3~4mでしたが、熊本城に大砲を送るためには田原坂を通るしかありませんでした。一方、熊本城を救いたい新政府軍としては何としても田原坂を攻略する必要がありました。両軍の思惑が重なったことで、ここ田原坂は西南戦争きっての大激戦地となったのです。

西南戦争、田原坂西南戦争資料館、熊本
熊本市田原坂西南戦争資料館向かいには、西南戦争の激戦を伝える、生々しい弾痕の残る「弾痕の家」が復元されている。

新政府軍4454名、薩摩軍1134名もの犠牲者を出した戦いは、新政府軍が田原坂を攻略しました。田原坂での戦いから約1カ月後には熊本城の救援に成功。一方、西郷隆盛は熊本からの撤退を余儀なくされ、西郷隆盛に同調しようとした不平士族の多くが決起を断念したとされます。ちなみに新政府軍が熊本城救援にたどり着いたのは4月14日、奇しくも熊本地震前震が起きた日と同日に当たります。

熊本城から北へ約15km!田原坂へのアクセス

田原坂せごどん号、熊本
12月28日まで運行中の「田原坂せごどん号」。田原坂へのアクセスに活用したい

田原坂の頂上には「熊本市田原坂西南戦争資料館」があります。戦場をイメージした田原坂のジオラマは、まるで西南戦争の陣地にいるかのような迫力で必見。ほかにも銃や日本刀、軍事関連資料など、西南戦争に関する展示が充実しています。西南戦争や田原坂について深く知ることができる資料館です。

熊本市田原坂西南戦争資料館まで公共機関を利用する場合、「熊本交通センター前」停留所から路線バスで約50分の「鈴麦」停留所から約1.5km、さらにJR熊本駅から鹿児島本線で約17分の「田原坂」駅から徒歩約2kmと少しアクセスが不便です。おまけに田原坂は竹藪に覆われた薄暗い山道であり、前述したように見通しも悪いため、公共機関での移動はあまりおすすめできません。

田原坂方面、上り坂、JR田原坂駅ホーム
JR田原坂駅ホームからいきなりの上り道を経て田原坂方面に向かう

2018年10月現在、NHK大河ドラマ『西郷どん』にちなみ、定期観光バス「田原坂せごどん号」が運行中です。ルートは「熊本駅新幹線口」「熊本城 桜の馬場城彩苑」「熊本市田原坂/西南戦争資料館」「道の駅すいかの里うえき」の順にめぐり、1日2往復(熊本駅新幹線口9時発と13時20分発)。往復乗車券と田原坂資料館の入館料、クーポン券1000円分がセットになって大人2160円。2018年12月28日(金)まで運行しています。熊本城と合わせて田原坂も訪ねたい人にはおすすめです。

熊本市田原坂西南戦争資料館
西南戦争に関する展示が充実している「熊本市田原坂西南戦争資料館」

熊本城とともに、城下町熊本や田原坂を訪ねてみれば、加藤清正がこだわった熊本城を中心とした鉄壁の防御について、深く知ることができますよ。

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<基本情報>
田原坂せごどん号
問合せ:096-300-5535(九州産交ツーリズム株式会社 10~19時)

熊本市田原坂西南戦争資料館
住所:熊本県熊本市北区植木町豊岡858-1
電話番号:096-272-4982
入館料:一般300円
営業時間:9~17時(入館は16時30分まで)
定休日:12月29日〜1月3日

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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