2018/12/03
【山形県のお城】戦国時代の有力武将にゆかりある城!
「城びと」サイトにはたくさんのお城の情報をお寄せいただいています。お城初心者の方から「どこのお城にまず行けばいいの?」という声をいただく機会が増えてきました。そこでこの連載では、日本100名城、続日本100名城を中心に、各都道府県を代表するお城を分かりやすく紹介していきます。今回は山形県編。山形は上杉氏、最上氏、伊達氏など戦国時代を代表する大名たちに所縁のある城が、今でも街のシンボルとして残ります。それでは、山形を代表する3つのお城を紹介します!
山形県にあるお城は?
山形県からは日本100名城に山形城(山形市)、続日本100名城に鶴ヶ岡城(鶴ヶ岡市)、米沢城(米沢市)選定されています。最上義光が拡張した東北屈指の大規模な城、山形城。桜の名所100選にも選ばれた鶴ヶ岡城。そして上杉、伊達、最上と名だたる戦国大名に所縁のある米沢城など、興味深いお城が満載です。そんな山形県のお城を、歴史的背景も含めてご紹介します。
■霞城の異名を持つ奥羽地方最大級のお城・山形城(日本100名城)
山形城本丸一文字門(提供元:発見!ニッポン城めぐり)
延文2年(1357)、羽州探題としてこの地に入った斯波兼頼(しばかねより)が築城したと伝えられています。斯波兼頼はその後「最上」を名乗り、戦国時代から江戸時代まで最上氏が治めていました。現在も残されている山形城の原型を築いたのは、戦国大名としても高い知名度を誇る、最上家11代当主の最上義光(もがみよしあき)。その後、元和8年(1622)に最上氏が改易されると徳川譜代大名の鳥居氏が入り、現在残っている二の丸は鳥居忠政によって整備されています。ちなみに山形城は「東北の関ヶ原」とも囁かれている「長谷堂合戦」の際、霞によって城郭が見えなかったことから「霞ケ城」ともよばれていました。
現在山形城跡は、霞城公園として整備され春には桜の名所として大勢の花見客が訪れます。見どころは、平成3年に再建された二の丸東大手門。高麗門、櫓門、続櫓などからなり、その迫力ある姿から、在りし日の山形城の威厳を想像する事ができます。また、石垣、大手橋、高麗門、枡形土塀が復元された本丸一文字門も見逃せません。山形城では今後も順次、復元整備を進めていく予定です。訪れるたびに、新しい発見があるかもしれませんね。周辺にある、最上義光歴史館では、義光に関する資料を展示。戦国時代に活躍した義光は、山形城の拡張とともに城下町を整備し、現在の山形市の基盤を築いた人物。展示物を見学しながら、偉大な義光の人となりにふれるもいいですね。
所在地 :山形県山形市霞城町1-7
アクセス:JR奥羽本線・山形新幹線「山形」駅西口から南門まで徒歩約10分。または東口から東大手門まで徒歩約15分。
時 間 :5〜22時(11〜3月は5時30分〜)
データ :最上義光歴史館 入館無料、9〜17時(受付は〜16時30分)、月曜休館(祝日の場合は翌日)
楽しみ方:二の丸東大手門、本丸一文字門、最上義光歴史館
■「日本さくら名所100選」にも選ばれた名城・鶴ケ岡城(続日本100名城)
鶴ヶ岡城の堀(提供元:発見!ニッポン城めぐり)
鶴ヶ岡城はかつて大宝寺城と呼ばれ、鎌倉時代以来武藤氏の居城でした。慶長8年(1603)、最上義光の隠居城として整備され鶴ヶ岡城と改名。その後、譜代大名の酒井忠勝が初代藩主となり、酒井氏が幕末まで城主を務めました。しかし明治4年(1871)廃藩置県により廃城となり、明治9年(1875)建築物は解体され鶴岡公園となりました。現在は、土塁や内堀と二の丸の外堀が残り、本丸跡には明治10年(1877)庄内神社が建てられ、地元の人々に親しまれています。鶴岡公園の西隣にある致道博物館は、旧西田川郡役所と、旧鶴岡警察署庁舎を利用した博物館。敷地内には旧荘内藩主御隠殿が立ち、内部では酒井家に伝わる調度品などを展示しています。抹茶で一服しながら、国の名勝に指定されている酒井氏庭園を眺められ、ゆったりとしたひと時を過ごせるのも魅力です。
また、鶴岡公園に隣接する庄内藩校致道館は、東北地方に現存する藩校として国の史跡に指定されており、当時の建物の趣を感じることができます。鶴岡公園のそばを流れる内川には、赤い欄干が印象的な三雪橋があります。慶長13年(1608)鶴岡城の大手門に通じる橋として、最上義光が造らせたとか。この三雪橋、最近ではインスタ映えするスポットとしても人気のようです。名前にある通り、冬景色のなか朱塗りの橋が映えそうですね。
所在地 : 山形県鶴岡市家中新町10ー18
アクセス:JR羽越本線「鶴岡駅」から庄内交通バス湯野浜温泉方面行きなどで約10分、「鶴岡市役所前」下車、徒歩2分
データ :致道博物館 入館800円、9〜17時(12〜2月は〜16時30分)、12〜2月の水曜休館
庄内藩校致道館 入館無料、9時〜16時30分、水曜休館(祝日の場合は翌平日)
楽しみ方:本丸の水堀 本丸御角櫓跡 庄内藩校致道館 致道博物館
■伊達政宗出生の城:米沢城(続日本100名城)
米沢城の堀(提供元:発見!ニッポン城めぐり)
伊達政宗の生誕地としても知られている米沢城。鎌倉時代に長井氏によって築かれたと伝えられています。黒川城に本拠地を移すまで米沢を拠点としていた伊達政宗ですが、豊臣秀吉の北条征伐の際に臣従。攻め取った黒川は召し上げられたため、再び米沢城に本拠地を戻しました。その後秀吉の命により岩出山城を本拠地に据えると、この地域は会津に赴任となった蒲生氏郷(がもううじさと)が治めましたが、蒲生氏が改易されると、会津に転封してきた上杉氏の家臣直江兼続が城主となりました。そして関ヶ原の戦い後は、西軍に与し、会津を召し上げられることになった上杉氏が米沢に移り、幕末まで統治を行いました。
戦後、会津120万石の大名であった上杉氏が関ヶ原の戦いで西軍の与したことで米沢30万石へと減封。経済的に貧窮していたものの上杉鷹山の時代にそれまでの伝統や考え方を改め、家臣の人員整理などの改革を積極的に行い藩財政を改善しました。当初、改革は無理だろうと思われていたものの、鷹山の努力によって改革を成し遂げました。当時の鷹山の努力は「なせば成る」から始まる教訓として今も広く伝わっています。
土塁と水堀で築かれた典型的な平城であった米沢城。現在、本丸跡には明治期に上杉神社が創建されました。祭神は上杉謙信。開運招福、諸願成就などのご利益があるといわれ、大勢の参拝客で賑わいを見せます。さらに松岬神社には、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続などが祀られているので、こちらもお立ち寄りください。境内には鷹山が次の藩主へ伝えた心得だという「伝国の辞」の石碑や、鷹山の名言「なせば成る…」の石碑もあります。また、二の丸跡には上杉伯爵邸があり現在は料亭となっております。国の登録有形文化財でもある趣のある建物で、食事や休憩タイムはいかがでしょうか。
周辺には、上杉氏ゆかりの貴重な資料を展示する上杉博物館(伝国の杜内)、上杉家廟所など上杉家ゆかりのスポットが点在するので、上杉氏ファンならぜひ足を運んでみてください。
所在地 : 山形県米沢市丸の内1-4-13
アクセス:JR山形新幹線、奥羽本線「米沢」駅から米沢市コミュニティバス循環(右回り)で約10分「上杉神社前」下車、徒歩3分
データ :上杉博物館入館410円、9〜17時(入館は〜16時30分)、第4水曜休館(12〜3月は月曜休館、月曜が祝日の場合は直後の平日)
楽しみ方:上杉謙信の像 上杉鷹山の像 上杉神社 松岬神社 伝国の杜(上杉博物館)
執筆/城びと編集部
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています