くわなじょう

桑名城

三重県桑名市

別名 : 扇城、旭城
旧国名 : 伊勢

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きよまさ

武門のレガシー (2023/11/04 訪問)

桑名市博物館の「武門の遺産(レガシー)」展を見てきました。桑名城・忍城・小峰城の城絵図が展示されてます‼️
先日、行った行田市の展示では、スペースの都合で小峰城の絵図は出陳されていなかったので、現物が見られて良かった。
お城周辺では、マルシェが開かれていました。

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しんちゃん

本多忠勝の水城。 (2023/06/24 訪問)

関ヶ原の合戦後、慶長6年(1601)本田忠勝が10万石で桑名に入り
忠勝は揖斐川沿いに城郭を築き、それは四重六階の天守と51基の櫓、46基の多聞が
並ぶ壮大なものだったそうです。
現在は九華公園として整備され往時の面影は薄れましたが
広大な池に本丸と二の丸が浮かぶ(本丸は半分)水城のイメージは
そのままです。
本丸の北東部に天守台があり、南東部には辰巳櫓の跡があります。
二の丸を経由して西側の縦に長い郭の途中に刻印石と設営板が設置されています。

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ぴーかる

桑名城 (2023/05/03 訪問)

【桑名城】
<駐車場他>柿安コミュニティパーク駐車場250円
<交通手段>車

<見所>三の丸堀石垣(桑名城城壁)・二の丸堀石垣・櫓台跡・復元櫓
<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅ラスト10城目。桑名城の起源は戦国時代に伊藤氏という土豪がここに居館を築いたのが始まりとされます。織田信長の支配時は滝川一益がこの地を治め、豊臣秀吉時代には一柳可遊や織田信孝が治めます。関ヶ原の戦い後に本田忠勝が10万石で入封して桑名城の大普請と町割りを行います。2代目忠政が転封になり以降は松平氏が入れ替わり入封し、幕末明治政府軍との戦いで無血開城します。
 桑名駅前の観光案内所で御城印を購入し駐車場へ向かうと大渋滞、桑名城跡でGWに金魚まつり(金魚の神輿を子供たちが担ぐ祭り)を開催していて桑名駅から1時間かかってやっと駐車でました。まず三の丸跡を通り外観復元された蟠龍櫓・七里の渡し跡⇒三の丸石垣(桑名城城壁)・堀⇒桒名宗社⇒主要部へ行きました。蟠龍櫓復元とはいえ揖斐川を背にして見る様はなかなか良いたたずまい、城壁石垣堀は500mも現存していて見応えあります。桒名宗社の青銅鳥居は1667年に藩主によって建てられダイナミックです。
 主要部には刻印のある石、二の丸の曲輪石垣、主郭に神戸櫓跡・辰巳櫓跡はほんの一部石垣が残されています。主要部の主郭・二の丸は曲輪の形状が一部改変されていますが現地説明板の縄張り図と照らし合わせても大まかには変わっていないので、城跡の縄張りを体感できます。史跡と遺構が色々巡り散策できるなかなか楽しい城跡で2時間以上滞在しました。走行距離360㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

<追記>赤い城さん東京都・関東地方の城びとコンプリートおめでとうございます!高松に移住されるそうで、また未攻略のお城の版図が広がりますね。楽しんでください(*^^)v
 

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トク

㊴【関ケ原の26人】(17)本多忠勝 (本多忠勝と桑名城) (2022/12/01 訪問)

(17人目)「本多忠勝」の続きです。
関ケ原当時の居城は「大多喜城」でしたが、今回は関ケ原後の居城「桑名城」を訪れてきました。

本多忠勝は関ケ原の戦効で、従来の大多喜5万石に加え新たに桑名10万石が与えられ、1601年に長男の忠政とともに桑名城に入ります。そこで忠政に家督を譲りここで隠居しました(大多喜5万石は次男の忠朝が継ぎます)。そして4重6階の天守と51基の櫓が立ち、城下町もこの時整備され、桑名は城下町・宿場町として繁栄したそうです。

現在の桑名城跡は九華公園として整備され、市民の憩いの場となっていました(写真③④⑤)。桑名駅から長島温泉方面行のバスに乗り7分、九華公園入口に着くと、本多忠勝の像が出迎えてくれます(写真①②:忠勝様~! 迫力満点です)。天守は1701年に焼失、他の櫓も明治時代に焼き払われたため残っていませんが、唯一城の北側(三の丸)に、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が再現されていました。蟠龍とはすわっている龍の事で、航海の安全を願うという意味があるそうです。ここには、東海道「七里の渡し」があるので、その監視と安全を願って建てられたものと思われます。(写真⑥⑦⑧⑨)

桑名に入って隠居した忠勝は、関ケ原から10年後の1610年に享年63才で没したそうです。家康を守り抜く事に40年間命をかけた忠勝ですが、結局最後は家康より6年早く死んでしまいました。これも何か皮肉なものです。今の「どうする家康」の雰囲気からは想像がつきません🤔。

私はこの蟠龍櫓に立ち、七里の渡し(揖斐川・木曾川)を眺めてみました(写真⑩)。晩年をここ桑名で過ごした忠勝は、桑名城天守から同じようにこの景色を眺め、どのような思いで家康を守り抜いた40年間を振り返っていたのでしょうか? 自分が命をかけて守り抜いた男が天下を取ったのを見届け、きっと自分の人生に満足していたのではないでしょうか?・・・


ここ桑名城は「千姫」ゆかりの地でもあります。
次は話が関ケ原からちょっとそれますが、余談(千姫物語)へ続きます。
 

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 複合式層塔型[4重6階/1635年築/焼失(火災)]
築城主 本多忠勝
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 松平(久松)定勝
主な城主 本多氏、松平氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、石垣、堀
指定文化財 県史跡(桑名城跡)
再建造物 蟠龍櫓(外観復元)、石碑、説明板
住所 三重県桑名市吉之丸3421-1他
問い合わせ先 桑名市文化課
問い合わせ先電話番号 0594-24-1361