2024/11/05
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第23回】凸松本城 前編~やはり名古屋意識しとるのう~
お城に関する豊富な知識を持つ前田慶次様(名古屋おもてなし武将隊®)が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説する人気連載。今回は、現存12天守にして国宝5城でもある松本城(長野県松本市)の前編です。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十五年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸松本城(長野県) 城郭の魅力度を数値化
現存最古の5重6階天守は圧巻!
【基本情報】
城郭構造:平城
主な築城者:島立氏、石川数正、康長(父子)
主な改修者:武田家(馬場信房)、松平直政
築城年:永正元年(1504)(深志城=前身の城) 天正10年(1582)(松本城と改名)
廃城:明治4年(1871)
主な指定文化財:国宝 国の史跡
【歴史】
■戦国最強武田が32年も支配した前身深志城!
信濃を支配した小笠原氏は、本城である林城の支城として永正元年(1504)松本城の前身の城である深志城が小笠原氏の命によって家臣島立氏が築城! その後、戦国最強と謳われた武田信玄が侵攻してきて、城を奪取! 信濃支配の拠点として深志城を選び、築城名手馬場信房に改修させる!
■松本城は混乱の中で誕生?我が主君のお陰!
武田家は織田信長によって滅亡。旧城主小笠原氏は、我が主君上杉景勝を頼り天正10年(1582)「本能寺の変」の動乱に乗じて奪還! 深志城を松本城と名を改める!
■秀吉の命令!家康対策で改修したのは旧家臣!?
天正18年(1590)羽柴秀吉が天下統一を果たす。好敵手徳川家康は関東に移封され、松本城城主小笠原氏は家康に従い、関東は下総へ移る。これに代わり入城したのが、嘗て家康の右腕として活躍した石川数正と子、康長であった! 城と城下町を大改修して近世城郭の基礎を築いた。秀吉が家康を意識したのであろう。
■再び小笠原氏が入城。然し…
江戸時代に突入し石川氏に代わり、旧城主であった小笠原氏が再び入城! 然し、大坂の陣以降は松平氏が入城し今の松本城へ改修する!
■天守が傾く?現代の困難を乗り越えて…国宝!
明治時代廃城令に伴い、天守が競売にかけられ解体の危機。それを地元の有力者達が破却を延期させた! それに留まらず、天守で博覧会を開きその収益で天守を購入し城を保護した! 明治30年(1897)頃には、天守が大きく傾き危機であったが、修理費の寄付金を募り明治の大修理を行う!
昭和5年(1930)国の史跡に指定。昭和11年(1936)天守を始め5棟が国宝に指定される!
我が残金569円…。前回の二条城で金子が底ついた。
慶次「これでは入城料しか払えん。何処にも行こうにも歩くしか無い。それは嫌じゃ! 現世の鉄籠でゆるり揺られながら城巡りしたい! 美味い物食いたい! はしゃぎたい!…金子を集めるしかない!!! ふふふ(笑)。幸いにも我が隊にはお金をようけ持っとる人間がおる!(己の金を使う気が無い!!)」
此度は『松本城』だで、関わりのあるあの人から頂くか。
慶次「徳川様、御存知でしょうか? 嘗ての重臣石川数正殿が徳川家を牽制すべく松本城を大改修。徳川家に対する松本城と聞き申すが、どうやらそうでもないような…? 徳川に忠誠を誓う為の改修であったとか?」
徳川家康「慶次よ誠か?」
慶次「忍から聞いた情報で御座り申す。然し嘘か誠か…。中立の儂がこの眼で確認して参りましょうか? 今週拙者暇で御座る故に。問題は旅費でござ…」
家康「慶次よゆくぞー!! 数正の真意を確かめに参るのじゃ!!! 金子は儂が出す!!!!」
慶次「承知!!此の慶次、確と松本城の真の主は誰か確認し申す!!(ワッハハハハハハ。旅費手に入れたぞ!)」
これで儂は天下無敵の城巡りを可能とした!
400年前もそうであったが、持つべきは情報と人脈じゃ!
ワッハハハハハハ
【名古屋駅から出陣!】
という事で翌朝名古屋の虎口(玄関)名古屋駅から出陣し向かう! 金子もたんまりあるからのう、ちぃと速い鉄籠で向かうぞ!
JR殿にて特急しなのなる速い鉄籠で松本の地まで参る!
特急 名古屋→松本5,940円也!
慶次「此の特急とやら快適すぎじゃろ!! 儂は大きな窓から景色を見ながら移動するのが大好きなんじゃ! 街並みを斯様に眺めるのは城巡りの醍醐味であろう? 城は街と共に造られる故に、川や山なんかも何気に見とるんじゃぞ!?
城の周りが丘じゃと水攻めが怖いのう。とかのぅ。」
松本駅着陣! 約一時は2時間程で着いたぞ!
快適な車内であったが為に、松本名物を調べて気持ちを高めておったわ!
改札口の目の前には…
【観光案内所で情報収集】
観光案内所が御座った!
城巡りのコツ其の一、『地図を手に入れろ!』城郭は建物を見るのは魅力の一部しか楽しめておらぬ、城下町から見て縄張(設計)の事を考えて巡れば城の攻め手、守り手双方の目線から楽しめるし、戦が無い時代にはどの様に経済を動かしたのか。これも分かる!
こちらの観光案内所には地図が複数あり、儂は『古地図』も記された此の地図を手にした!
他にも松本名物や、現世の映画やドラマの撮影ロケ地でも有名らしく聖地巡礼の瓦版もあったぞ!
時許す者は是非、そちらも探索して見ると良い!
慶次「松本の地、魅力溢れており日帰りが勿体ない!!!」
案内所には松本城天守の模型が御座った! 士気を高めてくれるのう! 早う観に参りたいではないか!!
風呂敷や櫃を納める箱は『川中島の合戦』を描いておる!(※川中島の戦いは、上杉と武田が5回に亘る伝説の合戦である!)
慶次「絶対武田様と上杉様の箱の所だけ、異常に使用率高いじゃろうな! 大きな荷物がある者は利用すると良い!」
松本駅東口から降りて松本城へ向かう! 東へ歩みを進める。
目指すは本町通り! 地図を確認致すぞ!
【四神相応の地、松本城!街から読み解く】
出陣する前に地図をよく確認するのじゃ! 現世でも交通の便は重要視されておる為にその土地の本城付近には基本的に電車があり申す! ご覧の通り松本城も駅から徒歩(かち)で15分程のようじゃ。
先ずは全体を見る!
『四神相応』を意識して築かれたのが分かる! 四神相応=東西南北が四神に相応しい地形になっている事を言う。北=山や丘、東=大河、西=大道、南=開けた地。神に守られている土地に松本城は築城されておる!
慶次「現世で申せば、風水学的に最高の場所! 理想の土地!」
松本城は平城で本丸を取り囲むように曲輪を築いておる。改修で大きくなる中で梯郭式と輪郭式を混ぜた縄張(設計)になったようじゃ。改修が多い城によくあることじゃな。輪郭式は四方を二の丸、三の丸で取り囲む隙が無い『理想の縄張』で守備の強さと江戸期の改修を感じる!
城下町として賑わいを見せたのは、一目瞭然南側! ②の南北の通りは『本町通り』即ち此の街の中心であった事が分かる! 現在も商いの店が多いのが分かる! 東西には『中町通り』は嘗ては問屋が集まっており、現在も観光名所として整えられた街並みが人気のようじゃ! 嘗ては町人町で、外側には寺社地となっておった! 現在も多くの寺院が取り囲んでおる!
③の『大名町通り』は女鳥羽川から松本城までの南北の通り。此処は嘗ての『三の丸』で武家屋敷が広がっておった!
つまり松本城は城→武家屋敷→町人地→寺社地で取り囲んでおる! 特に寺社は南東に多く配置され防御を固めていたのが分かる! 南北の通りは2.7kmの長さもある!
慶次「6.7万石の領土にしては巨大な城郭過ぎる! やはり、天下人が関わっていたからであろう。秀吉様政権の時分、対徳川家康用に松本城は改修された。改修したのが嘗て徳川様の家臣であった石川数正殿であるから皮肉な話でもある。」
本町通りから北へ歩みを進める! 目指すは三の丸!
【惣掘り女鳥羽川】
賑やかな本町通りから見えるは『千歳(せんさい)橋』である! 流れる川は『女鳥羽(めとば)川』と申して松本城の『惣堀』になり申す。石垣が見られ、腰巻石垣にもなっており打込み接ぎのような工法であるが、景観意識して現世で手直ししたのが伺える!
写真では分かり辛いが、大きな川であったのと現世の手直しが見えた故に
慶次「此の川怪しい…。」
案の定、聞けば氾濫等の影響で開削し大きくしたそうじゃ。
西から北東に向かって流れる、松本城の要。江戸時代には街の経済を支えたのも想像できる。松本の地は湿地帯という事で氾濫には度々悩まされたようじゃ。それは現世の時代でも然り。
橋を渡ると怪しい広場を見つける…
【大手門枡形虎口跡!想像力が肝要!】
広く開けた場所で、道路が此処だけ湾曲しておる。
慶次「確実に城の何かがあったはずじゃ!」
調べると此処は松本城大手門枡形虎口の跡地!
枡形故に開けており、枡形虎口を形成していた為に高麗門から櫓門に抜ける道が湾曲した道路の正体であった!
枡形門=城郭の防御施設最強の備えの一つ。曲輪(区画)の虎口に設ける門において、外側に高麗門(狭い幅の門)内側に櫓門を配置し四角い空間に三方から集中砲火! 江戸期に一気に増えた造り方故に、松本城も江戸時代突入してから備えたのではなかろうか?
広場には発掘調査の看板も御座った! 此の大手門は三の丸に築いており松本城の正門となる!
大手門自体は、石川父子城主時代の改修で造られたそうじゃ!
大手門を抜けると大名小路で武家屋敷が立ち並ぶ。近世城郭の三の丸は大体斯様な造りになっておるのじゃ!
発掘調査によると枡形門内部は南北に真っ直ぐ伸びる石垣が発見され、長さは約18m、高さは1.4mとなっておる(↑古地図参照)。石垣より東側は『惣堀』となっており、門が破却された時に此の惣堀に瓦や石垣の石、木材が捨てられておったそうじゃ。明治4年(1871)から、惣堀が埋められた文化8年(1811)迄の7年の間に城郭の破却が大急ぎで進められたのが分かる。
瓦の家紋を確認すると江戸時代の城主水野家と戸田家の家紋であった。
慶次「城によっては城門を寺社の門として移築して再利用する城も多くある! 堀に捨ててしまうとは…。色々と事情がありそうじゃな松本城よ! 此の枡形虎口がどんなものであったか、今や想像するしかない! 名古屋城や天下人の城郭に比べて三方の石垣などは決して高くない故に比べるものでないが、城兵は気合入れて守らんと一番乗りの気概がある武士ならば突破するやもしれんのう。儂ならば難無く力攻めで押し通る!!」
【三の丸は武家屋敷であり撮影ロケ地!?】
大名小路を北に歩みを進めると、松本城天守が木々の合間から顔を覗かせる!
多くの者の士気が高まる瞬間であろう!
慶次「大名小路を歩むと分かるが、道幅等は当時と変わりが殆ど無さそうである! 東西の通りは、内側から上小路、中小路、土手小路と家格の差が分かる!」
因みに、此の三の丸は映画なるロケ地によく使用されておるらしく『神様のカルテ』『太陽とボレロ』『流浪の月』『岳-ガク-』などがある。好きな者は聖地巡礼してみよ!
歩みを進め
【城の定石とは…。今儂は何処に?】
すぐ登場したは松本城の国宝天守の碑! 立派であるのう!
慶次「此処は『二の丸』の曲輪かのう? 古地図を見ると堀か石垣・土塁やもしれん!? 今は大手から南北に歩めるが、信長様の城ならば理解できるが有り得ぬ構造。本来は迂回して東側の太鼓門を抜けねば二の丸には入れぬ! もしくは搦手からじゃな。つまり攻めるとなれば東側が定石。それ故に太鼓門の枡形虎口になっておるようじゃ! 後で見に参ろう!」
(織田信長様の城は魅せる城造りが多く、敢えて天守や本丸迄を南北の通り一本道で通した。守備を考えれば得策では無い!)
有り得ない南北の道を通り(現世で申せばワープ)二の丸に着陣! 目の前の水堀は内堀となる。奥が天守。引き寄せられるように堀に近付く!
慶次「現世の物見遊山は景観造りの為に松の木の植生が目立つ! 我等は火災が恐ろしかった故に出来るだけ植生は避けるが、松本城の二の丸は庭の如き景観となっており驚いた! 元は御殿や蔵などの建造物であったはずじゃ!」
こちら目の前に『観覧券売場』があり申す!
その前に…
【復元されし二の門と〇〇】
観覧入城口を守る此の高麗門は二の門である! 平成元年(1989)に周りの控塀と共に復元された! 門は『高麗門』となっており戦国末期を象徴する格も高く厳重な門造りを採用しておる! 此の高麗門と奥にある櫓門で此処も枡形虎口を形成しておる! 控塀には『狭間』が設けられており鉄砲や弓で撃退を狙う。
慶次「主には弓で対応する狭間が多かった。また、此の土橋と堀も復元したらしく当時よりも幅を狭めたとか!? 珍しいではないかー!! 現世は物見の為に道幅を広げる事が多々あるが、むしろ狭くするという城として頑強にするとは天晴れである!」
(高麗門=門は小ぶり乍も内側に控え柱を備えて守りが強い!)
して櫓門こと黒門
【黒門は実質名古屋城!?】
櫓門こと黒門は黒の下見板で造られておるから黒門ではなく! 『正式な門』という意味がある!
黒門は本丸に入城する意味がある!
慶次「他の城でもそうだで、覚えておくと良いぞ! 嘗て黒色というのは格式の高い色であった為に、黒門が誕生したのじゃ! 黒門を抜けると本丸御殿が目の前にあった故に重要性は分かるであろう?」
また、此の櫓門は資料が無かった故に、再建する時にとある城の櫓門を参考にして造られた!
それは何処の城か。
慶次「名古屋城じゃーーーーー!!! 名古屋城の櫓門は国内最高峰だでな! 松本城は実質名古屋城と言っても過言ではない!」
また、再建が分かり易く土台の石垣を見てもらうと周りの石垣と質が異なる。野面積みではなく、ある程度加工された打込み接ぎとなっておる。その辺りも名古屋城を再現したみたいじゃな。
といったところで此度の記事は此処まで!
次回は国宝の天守に前田慶次大興奮! 松本城の全貌が明らかに! やはり対徳川用の城なのか!?
次回の記事も楽しみにしてちょ!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)