前田慶次の自腹でお城めぐり 【第14回】凸松坂城 前編~名城と商いの町~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、織田信長と豊臣秀吉に仕えた武将・蒲生氏郷が築いた松坂城(三重県松阪市)。商人の町として栄えた松坂の歴史に思いを馳せながら、慶次が城下町から松坂城まで歩を進め、細かくポイントを紹介します
※この記事での地名表記は、明治以前を指す場合は「松坂」、明治以降を指す場合は「松阪」を用いています。

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十三年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

松坂城 城郭の魅力度を数値化

松坂城
 
蒲生氏郷がわずか3年で築城した近世城郭の先駆け! 

松坂城

【基本情報】

城郭構造:平山城
主な築城者:蒲生氏郷
築城年:1588年
廃城:1871年(明治4年)
指定文化財:松坂城跡(国指定史跡)

【歴史】

■四五百森城時代
松坂城の前身となる四五百森(よいほのもり)城を
北畠家の家・潮田長助が築城したと言われる。
縄文時代からこの地には人が多く居住していたことが出土品から分かっておる!

■蒲生氏郷が入城!
1584年、蒲生氏郷が松ヶ島城入城。松坂城築城を始める!
近江から伊勢へ。6万石から12万3千石の大出世!
蒲生氏郷は巨大天守建設・近江からの引越し・楽市楽座等の政で手腕を発揮し
松阪城は栄える!【松坂の基盤を作った】

■古田時代
1595年、古田重勝が3万4千石で入城。1619年に古田家は転封。

■紀州徳川家時代
1619年、紀州藩松坂城代が置かれる。紀州藩領として明治維新を迎える。

■最近の出来事
2006年、日本100名城に指定。
2011年、国の史跡に指定。

松坂城

松坂城、前田慶次

【残金54322円】

我が連載は自腹で城巡りをする。残金は54322円。
質素倹約に努めつつも派手に使う時は使い天下に金を回す!
我の観光の仕方にも注目致せ! また、巡り方等も参考にすると良い!

此度儂が登城する城は「松阪城」。
神童と呼ばれ、築城においてもその才覚を発揮した
蒲生氏郷が築きし名城へ参る。

【伝令】

此度の連載取材、松坂のメディアの者達が逆に取材したい。との事で

慶次「我が連載も地道に続けて参った成果がちと現れたようで嬉しいのぅ」

期待を膨らませ
名古屋の玄関口である名古屋駅は近鉄を利用し、松阪駅まで進軍致す!

松坂城、前田慶次

慶次「片道1290円とな。安い安い!!」

いざ、出陣!
(鉄籠に揺られて1時間半)

松坂城、松阪駅

【近鉄・JR松阪駅】

着陣! 何事もなくあっと言う間に着き申した。毎度思うが早い!
松坂は東海の中心名古屋だけでなく
畿内は京都や大阪へも参り易く交通の要所と言っても過言ではない!

慶次「故にか???」

松坂城、松阪牛

松阪牛を始めとした食の宝庫という印象が御座る!
駅前で牛が出迎えてくれたのは初めてである。
腹を満たすも大事であるが、駅に着陣したらば先ず参る場所は…。

松坂城、松阪観光案内所

【観光案内所】

駅から出て目と鼻の先故に迷うことなかろう。
こちらで瓦版、地図等を収集しこの先の城巡りを有利に進める。
何事も情報は大事である! 現世に驚くのは瓦版が無銭で手に入ることよ!
この素晴らしき文化絶やしてはならぬ!!

して。ここより儂への取材も始まっておる!

松坂城、松阪観光案内所

瓦版の数は、多くの魅力がある証。何れも目を通して参る!

松坂城、松阪観光案内所

【取材】

新聞・テレビが取材!
己が連載だけでなく、城を通して多くの者に歴史文化を語れる好機!
連載の主である「城びと」に感謝である。

慶次「松坂城は…名古屋おもてなし武将隊は…と余す事無く語ったぞ!」

松坂城、松阪観光案内所、御城印

観光案内所にて御城印を手に致せ!!

松坂城、松阪観光案内所

観光案内所に張らせてもろたぞ!!
皆参った折には是非写し絵の写真撮ってちょ!!

松坂城、松阪観光案内所

松坂に着陣し僅か10分ばかしの出来事である。
我が花押(サイン)も認めて案内所に置いてくれるそうじゃ!

慶次「松阪の歓迎・おもてなしに感服!
蒲生氏郷が家臣を大切にしたように、その精神は今も尚続いておるようじゃ!」


松坂城へいざ!!
 
松坂城、商店街

松坂城、商店街

商店街を通り松坂城へ行軍。途中で案内看板が御座る故にそれを見ながら進めば
問題なかろう。嗚呼。美味そうな飯は沢山ある故に寄り道注意ぞ!!

松坂城、地図

まちあるきマップと呼ばれし大きな地図を見る。
東に川が流れ松阪城の守りとなっておるのが分かる。
嘗ての正確な縄張(設計図)でなくとも、城をどう守ったか想像できる。
地形等も見ながら城を巡れば何倍も楽しめるぞ!!

【城あるある】

城の二の丸か三の丸あたりに役所を築きがち。
主等が住む地域も恐らく城の中に役所があるぞ?

松坂城、本居宣長

【本居宣長】

知っておるか? 18世紀最大の日本古典文学者。
日ノ本最古の歴史書「古事記」を研究し35年かけて『古事記伝』を執筆。
この松阪の地に商人の家に生まれ医者となり
先述の学者活動、大きな功績を残した本居宣長。

松阪には本居宣長が暮らした家が未だ残されており保存されておる。
また、記念館等も御座る。

慶次「蒲生氏郷が町を作り、商いが発展し後世に名を残す商人を沢山輩出した松阪。
武家から民へ。素晴らしき流れができておる」

武家文化よりも商人の町としてどえりゃー魅力を持つ事を知り
儂はそこを深堀したくなり申した!

松坂城、三井グループ発祥の地

【三井グループ発祥の地】

現世で大変有名な商いの衆「三井グループ」。
その祖である三井高利はこの松阪で生まれた。
その商才は天才と謳われておるが、
此の商いの町で生まれ育ったからこそ、
三井グループは誕生したのではなかろうか。

商いの聖地巡礼は松坂城を楽しんだ後に致そう。

松坂城、松坂城大手門跡

【格式高い松坂城大手門跡】

松坂城を目指し乍(なが)ら歩みを進めると、
松阪市役所までやって参った。城まで間もなくであるが…
市役所の目の前が嘗て松坂城内であった!

この通り大手門跡も御座る! つまり此処が松坂城の正面であるぞ。
嘗て松坂城は出入口が4カ所あり、それぞれ門を構えておった。
その中でも大手門は「食違い虎口」になっており守りが強固であった!
して、門は「四脚門」と呼ばれし非常に格式が高い門となっており権威を見せる、
織田家の特徴が見られる。
信長様が寵愛した家臣、蒲生氏郷の城というのが門からも知れる!

松坂城、松坂城大手門跡

現在は斯様に碑が立っており嘗て存在したことを示す。

松坂城、石垣

門跡を過ぎれば松坂城の見所の一つ「石垣」が視界に入って参る。
松坂城は平山城だで市役所辺りから分かり易く丘となっておる。
緩やかな勾配だで、安堵せよ。

慶次「段違いに見せる石垣は高石垣が叶わん時代の魅せる技術である」

松坂城、石垣

近う寄って石垣をよく見れば。

慶次「ん? 石垣がちと高いな。氏郷が築城せし時分で考えると此れは…摩訶不思議」
(後ほど学芸員の者に確認致すと紀州徳川家の城となってから改修したようじゃ)

松坂城、国指定史跡

【国指定史跡松阪城】

松坂城の歴史が此処に記されておる。
蒲生氏郷~古田家~紀州徳川家の流れが分かり易くまとめられておるぞ!
城内を巡る前に確かと読んでゆくのじゃ!
では、参るぞ。

松坂城、国指定史跡

平山城らしく登ってゆくがそこで儂を多くの人が待ち構えておる?

???「慶次様お待ちしておりました!」
慶次「何じゃなんじゃ?」

松坂城、国指定史跡

【松阪市長参陣】

何と松阪市長の竹上真人殿が出迎えてくれ申した!
驚きの援軍に儂もしてやられた。

市長殿が直々に案内をしてくれるとの事で
氏郷が築きし町であると再認識し申した。
市長殿の如く蒲生氏郷になりきって写し絵も撮る事が叶うぞ!

慶次「嘗て氏郷も、家臣達に飯や風呂を馳走しており
おもてなしの心が人一倍強かった。松阪の面々にはそれを感じ申す」

松坂城、歴史民俗資料館

【歴史民俗資料館】

こちらには松阪の歴史を知る事ができるそうじゃ。城を巡る前に見て参るぞ!

此度の記事此処までじゃ!
次回は松坂城について深堀するだけでなく、
松坂の町は商いについても掘り下げて参るぞ!
蒲生氏郷が築きし町の魅力を知るが良い!

また読んでちょ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

その他の連載もお楽しみください!
▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946
▶「【第2回】凸犬山城」前編(https://shirobito.jp/article/966)・後編(https://shirobito.jp/article/982
▶「【第3回】凸岐阜城」前編(https://shirobito.jp/article/996)・中編(https://shirobito.jp/article/997)・後編(https://shirobito.jp/article/1009
▶「【第4回】凸小牧山城」前編(https://shirobito.jp/article/1040)・中編(https://shirobito.jp/article/1054)・後編(https://shirobito.jp/article/1059
▶「【第5回】凸大高城と鷲津砦と丸根砦【桶狭間の要】」(https://shirobito.jp/article/1095
▶「【第6回】凸墨俣城」前編(https://shirobito.jp/article/1132)・後編(https://shirobito.jp/article/1170
▶「【第7回】凸彦根城」前編(https://shirobito.jp/article/1194)・中編(https://shirobito.jp/article/1214)・後編(https://shirobito.jp/article/1275
▶「【第8回】凸清洲城」前編(https://shirobito.jp/article/1286)・後編(https://shirobito.jp/article/1301
▶「【第9回】凸岩崎城」前編(https://shirobito.jp/article/1312)・後編(https://shirobito.jp/article/1335
▶「【第10回】凸大垣城 前編(https://shirobito.jp/article//1335)・中編(https://shirobito.jp/article//1349)・後編(https://shirobito.jp/article//1359
▶「【第11回】凸岡崎城」前編(https://shirobito.jp/article/1385)・後編(https://shirobito.jp/article/1404
▶「【第12回】凸津城」前編(https://shirobito.jp/article/1438)・後編(https://shirobito.jp/article/1445
▶「【第13回】凸浜松城」前編(https://shirobito.jp/article/1459)・後編(https://shirobito.jp/article/1488
▶「【第14回】凸松坂城」前編(https://shirobito.jp/article/1530


執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)