まつがしまじょう

松ヶ島城

三重県松阪市

別名 : 細頚城、細首城
旧国名 : 伊勢

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天守台
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イオ

織田一門の城の規模感 (2026/02/15 訪問)

織田信長の南伊勢侵攻に備えて北畠具教が三渡川・百々川の河口部に築いた細頸城を前身とし、北畠氏の養子となった北畠信意(織田信雄)が田丸城に代わる居城として改修しました。清須会議の結果、信雄が清須城に移ると家老の津川義冬に預けられましたが、信雄と羽柴秀吉が不和となると秀吉の流した流言を信じた信雄に謀殺された義冬に代わって滝川雄利が入り、小牧長久手の戦いでは蒲生氏郷、羽柴秀長らの包囲を受けて開城。戦後は氏郷が城主となるも、松坂城を築いて居城としたことにより廃城となりました。

松ヶ崎公園の駐車場から登城開始。城跡は宅地や田畑になっていて、明瞭な遺構としては本丸跡に天守台が遺るくらいです。天守台の前には城跡石碑と説明板、案内板が立てられ、天守台の北側には田んぼが広がっていますが、往時は本丸の北側は海に面していたとされます。そのほか甚太川は南西辺の外堀、百々川は北西から西辺の外堀の名残で、百々川沿いには船入が設けられていたようです。

天守台くらいしか見るところがないと思っていましたが(実際その通りですが)、外堀の名残の川沿いにひとめぐりすると、壮麗な金箔瓦葺きの五重天守を擁したという織田一門の城の規模感くらいは感じられました。
 

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しんちゃん

天守台跡に土盛りが残る。 (2024/02/17 訪問)

松ヶ島城は天正8年(1580)に織田信雄が入り、かつては五層の天守がそびえ立っていたそうです。後に蒲生氏郷が入りますが、天正16年(1588)に新たに松坂城を築いて城下の住民ごと強制的に移住したので、松ヶ島は元の漁村に戻ったと伝えられています。
かつては伊勢湾に面した海陸の要衝に築かれた城でしたが、今では本丸天守台跡に土盛りが残り、周囲の住宅地に堀跡が残っている程度です。天守台跡に登れば、かつての城址周辺を見渡すことが出来ます。
城郭放浪記さんの情報によると松坂市愛宕町の竜泉寺には松ヶ島城の裏門が移築されているとのことです。

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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/07 訪問)

八雲神社付近の営業していないGS(34.605346、136.5303)付近に駐車し、松ヶ島城跡(34.605349、136.532591)に向けて徒歩で移動。徒歩5分位で着きます。
歩いていると突如ビニールハウスからこんもりした城跡が見えます。あるのは城跡碑と説明板のみです。攻城時間は5分位です。

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ぴーかる

松ヶ島城 (2020/01/04 訪問)

【松ヶ島城】
<駐車場他>城跡の傍にはなし。私は松ヶ崎公園グラウンドに停めさせてもらい徒歩で行った。
<交通手段>車

<感想>新春1泊2日伊勢攻め城の旅3城目。2日目朝一に今日のメインの松阪城に行く前に寄ってみた。
 松ヶ島城は1580年に織田信雄の居城田丸城が焼失したため新たに城を築いた城。現在は埋め立て地の中ほどになっているが当時は海陸の要衝の海城だったそう。その後、信雄の家臣が城主となって、最後は信長から伊勢をもらった蒲生氏郷が入り伊勢国南部の統治拠点とした。1588年に氏郷は松坂城を築いて移転するので、たった八年間しか使われなかった城。

 城跡はかつての天守台と思われる2㍍程の台地が残るのみ。案内板に現存堀跡は雑草がひどくてよくわからず。周辺はビニールハウス・畑・田んぼになっており、かつての雰囲気を味わえるものはない。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田信雄
築城年 天正8年(1580)
主な城主 織田氏、津川氏、滝川氏、蒲生氏
廃城年 天正16年(1588)
遺構 天守台
指定文化財 県史跡(松ヶ島城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県松阪市松ヶ島町城の腰
問い合わせ先 松阪市教育委員会事務局
問い合わせ先電話番号 0598-53-4393