2022/06/06
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第15回】凸伊賀上野城 前編~藤堂高虎の工夫~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、築城名人・藤堂高虎が大規模な改修を手がけた伊賀上野城(三重県伊賀市)の前編。玄関口にあたる上野市駅から本丸へと進軍する慶次様が、石垣など守りの堅さを物語る遺構を紹介しながら、高虎の城ならではの構造や工夫を紐解きます。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
前田慶次齢四八十歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十三年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。。
凸伊賀上野城 城郭の魅力度を数値化
築城名人藤堂高虎が築いた高石垣は日本1、2を争う!
【基本情報】
城郭構造:平山城
主な築城者:筒井定次
築城年:1585年
廃城:1871年(明治4年)
指定文化財:伊賀上野城跡(国指定史跡)、俳聖殿(国の重要文化財)、天守(伊賀市指定有形文化財)
【歴史】
■仁木氏館時代
かつて伊賀上野城の場所には足利家の血筋である仁木氏が館を築いた。
■筒井定次が改修
1584年、小牧長久手の戦いにて脇坂安治(洲本城城主、秀吉様のお気に入り)が伊賀上野城の前身を落城! 翌1585年、筒井定次が改修工事を行う。
■築城名人藤堂高虎が改修するが…
1611年、徳川家康の命によって藤堂高虎が拡張! 大坂の陣で豊臣家が滅んだ為、築城が途中で中止となり、未完成のまま完成を迎える! 現在見所となっている「高石垣」はこの時に築城された。
■津城の支城へ
伊賀上野城より交通の利便性が良い津城が本城に。藤堂高虎の弟が城代となり、最後の城主まで藤堂家が伊賀上野城を守った!
■最近の出来事
2006年、日本100名城に指定。
【名鉄バスセンター】
此度の城びとで巡って参るのは高石垣で有名な伊賀上野城!
伊賀と申すと忍の印象が強いと思うが、城郭も全国に名を轟かす名城であるぞ!
尾張の玄関口名鉄名古屋駅のすぐ近くに「名鉄バスセンター」が御座る。
此度はこちらから鉄籠は高速バスに乗車して伊賀の地まで参るぞ!
そして、我が残金は4万9152円!
質素倹約に努めながら此度も城巡りと観光を楽しんで参るぞ!
名古屋名物ナナちゃん人形は流行りにのって衣を変える故に名古屋に来たものは写真に収めると良いぞ! 人気の撮影スポット也!
【忍は情報収集が仕事】
鉄籠バスがやって参った!なんと忍仕様の鉄籠。
漆黒に包まれ異国の者でも分かり易いように「NINJA」と刻まれておる!
戦国時代の忍の役目は情報収集であった。
現世の異国の者をより誘致すべく、
工夫が見られ儂も伊賀への期待値がより高まったぞ! 楽しみである!
異国の者は、儂の様にこの鉄籠も写真を撮るであろうて! 見事な作戦ぞ伊賀者よ!
【伊賀鉄道上野市駅】
名古屋から伊賀まで約1時間30分で御座った! 高速バスなるものであっと言う間。
目の前には幾つか面白きものが御座る!
あの有名な江戸時代の歌人、松尾芭蕉が生まれ育ったのが此の伊賀の地であると皆知っておったか?
若かりし頃は藤堂家の料理人を務めておったそうじゃ。
30歳近くまでこの辺りで歌を磨き、各地へ足を運ぶことになったそうじゃ。
駅のど真ん中に立派な像が立っておるぞ!
【遊び心豊かな上野市駅】
上野市(うえのし)駅を利用すれば電車でも参る事が叶うぞ!
して、此処は別名「忍者市駅」と申して観光客がより楽しめる工夫が凝らしてある!
駅には隠れ忍者のような形で小さな忍者が隠れておる。
また、駅から降車すると目の前に伊賀上野城天守が見える!
絶景の場所に駅が御座る。
【城郭、城下町の地図確認は必須!名古屋城そっくり?】
現在地は上野市駅。北に伊賀上野城跡にあたる上野公園。
南に駅を配しておる。
嘗(かつ)ての伊賀上野城内を考えると、現在地は城内である。
つまり、駅を城内に築いたということ。現在地は二之丸に値する。
駅のすぐそばに「東大手門」と「西大手門」跡がある。
そして、南の城下町は寺町にもなっておる。
西は大きな川が嘗て流れており、北は湿地帯。
つまり名古屋城の構造とそっくりである!
藤堂高虎が改修した事が構造からも知れる。
外掘通が大手門、本町通が商いの店が並ぶ。
【アプリを使うと簡単】
現世のアプリなる絡繰りを使うと
嘗ての城下町の状態と照らし合わせる事ができる故に
難しい者は試してみると良い!
アプリ名「時のからくり伊賀上野城下町」で調べてみてちょ!!
街歩きに役立つぞ!
此度は城下町の伊賀名物も巡って参る。
地図を確認した所で伊賀上野城へいざ、出陣!
駅から北へ行軍! 途中に上野公園観光案内所が御座る!
ここで瓦版(パンフレットなるもの)も手に入る。
城に参る前に立ち寄ると良いぞ!
二の丸の目の前には高さのある石垣。その上には「太鼓櫓」が嘗て存在した!
敵兵が参った事を報せる伝令としての役割を担った太鼓櫓はどの城にも大体存在する!
しても石垣が見事である故に圧巻の光景であったことが分かるぞ!
【上野西小学校】
平山城らしく坂になっておる道を北へ北へ歩みを進めると
板塀?のような塀を見つけた。
慶次「伊賀上野城の支城か!? 此れは何ぞや?」
と塀に沿って歩むと、どんぐり門と書かれた門を見つけ、
「狭間」まで備わっており立派な城だと思うたら学校!!
まさかの寺子屋であった。恐るべし伊賀上野城。
まさか現世でもだまし討ちを仕掛けてくるとは
忍の町らしい造りであるな。
また、現世では城内に学校を建てるのはあるあるで御座る。城が町の中心であった名残り。
※塀=中世までは板塀が主流。近世=土塀が主流。合戦の主力武器によって城の守り方も変わる!
※狭間=土塀に設けられた穴のこと。向こう側にいる敵兵を弓や鉄砲を放つ防御網の一つ
慶次「上野西小学校は現世で一番防御力の高い寺子屋やもしれんな…。困ったら籠城じゃ!」
聞くと歩んでおる塀沿いは嘗て「堀」であったそうじゃ!
埋め立てて道としたか。塀に沿って歩んでいく。すると…
伊賀上野城の見所「石垣」発見! 高さは10mちぃとか!?
して此処で気付いたであろうか?
堀であった場所に此の石垣ぞ! 強固な守備である。
もし堀が残っておったらば、この沿いは現在かなりの見所になっておったやもしれん!
更に強固な守りが御座って
【横矢造り】
攻撃仕掛けてきた敵に対して最も効果的な防御策の一つが横矢である。
人間誰しも側面からの攻撃には弱い。
故に通路や直線を折り曲げて側面からも攻撃できる防御策の一つ!
此処もご覧の通り横矢造りになっており、嘗ては重要な位置であったことが伺える。
主に虎口(区画の出入口)に造られる為。
【伊賀上野城大手門跡】
此処が正面は大手となる。嘗ては冠木門という簡素な門であったとか。
城の大手が冠木門と考えると、藤堂高虎が改修以前に建てたものか…?
江戸期において支城なれども簡素な門は考えにくい。
じゃが、幕府に気を遣ったとも考えられる。
一国一城令の時代に藤堂高虎は特別に伊賀上野城を支城と認められておる。
気になるのう。
【史跡】
大手正面に伊賀上野城の史跡と歴史を刻んだ石碑が御座る!
うむ。藤堂高虎が背丈が高かったからか、高石垣故にか? 史跡がデカい!!
目の前には観光案内図が御座る故に此れを参考に巡って参ろう!
ご覧の通り現在、天守を構える本丸は大手からすぐ。
然(しか)し乍(なが)ら、伊賀上野城は改修を重ねた城故に古く天守を構えたのは東側。
東側が筒井家時代になり申して、3重の天守を構えておったそうじゃ!
西側は藤堂高虎が大規模に改修工事をして本丸が現在の形に。
嘗ては5重の天守を築城中に野分(台風)によって倒壊してしまったそうじゃ。非常に惜しい。
現在は3重の天守が建っておるが、此れは復興天守となっており地元の議員の者の力によって築城され申した。
故に先ずは、本丸方面へ参ろうと思うぞ!
本丸と高石垣を見に本丸へ行軍!
と言ったところで此度の記事は此処までじゃ!!
次回は天下一、二を争う高石垣と地元の愛が詰まった天守を始め名物を紹介して参るぞ!
楽しみに待ってちょ!!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)