続日本100名城

つじょう

津城

三重県津市

別名 : 安濃津城
旧国名 : 伊勢

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津城
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ヒロケン

シンプルな城跡 (2024/01/05 訪問)

津城は、岩田川と安濃川の三角州に二重の水堀を設けた縄張りで、本丸の東西に東の丸と西の丸を直列に配し、その周囲を内堀で囲み、その周りを二の丸、更に二の丸を外堀で囲んだ、輪郭式の平城でした。内堀に至っては、最大幅100mにも及ぶ広大なもので、さながら、湖上に浮かぶ島の様であったと云われています。
また、本丸には三重の櫓が2基、二重の櫓が3基が建てられ、それらを多聞櫓で接続した厳重な造りであったとされています。現在は、本丸の石垣と内堀の一部が残っており、現在の姿から当時の姿を想像できないくらいシンプルになっています。

築城主は長野氏の一族、細野氏が小規模な城を築いたのが始まりとされ、織田信長公の伊勢侵攻で長野氏の養子となった、織田信包公が改修、その後、関ヶ原の合戦を経て築城の名手と知られた藤堂高虎公が22万石を拝領し、津城に入城しています。上記で挙げた津城の縄張りは、この藤堂高虎公によるもので、藤堂流の築城術の粋を凝らして築城されています。

現在の津城跡は本丸と西の丸が公園として整備され、鉄筋コンクリート製の模擬復興された三重櫓、かつての内堀の殆どは埋め立てられ一部が残るのみとなっていますが、天守台の石垣や、本丸を囲む石垣が残り、かつての面影を残しています。
続100名城のスタンプはかつては、水堀であった高山神社に設置され、駐車場も三重櫓のすぐ傍に設けられています。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2023/03/03 訪問)

※松阪城、田丸城と共に登城

7:49品川(新幹線)、9:22,9:41名古屋(近鉄)、10:49津新町
 (徒歩11分)津城跡(続百名城スタンプ 高山神社社務所9:00-16:00)

12:27津新町(近鉄)、12:47松阪
 (徒歩15分)松阪城(百名城スタンプ 松阪市歴史民俗史料館9:00-16:00月休)
  ※本居宣長記念館でもスタンプ押印可(9:00-16:30月休)

14:20松阪、14:43田丸
 (徒歩6分)田丸城跡(邑山龍平記念館:玉城町教育委員会窓口(8:30-17:00,土日16:30)

17:25田丸(JR)、17:48,18:08松阪(近鉄)、19:20近鉄名古屋
 泊:名古屋駅付近のホテル

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POYO58

予定変更で (2023/10/22 訪問)

ほんとはこの日伊賀上野城に友達と行く予定だったのですが、伊賀上野〜柘植間が落石で運転見回せになってしまい引き返すこととなってしまいました。
亀山から関西本線で柘植に取り残されてしまったのでとりあえず福地城という松尾芭蕉の誕生日だけ行って、そのまま津に向かいました。
津城は2度目の攻城です。
やっぱり石垣と幅の広い水堀がなんとも美しかったです。
津城は枡形虎口や埋門も残っていて、当時の堅固さも伝えてくれています。
また再建された櫓はとても大きく、石垣の上に建っています。中には入れません。
それから三浦の晃ちゃんさんにも会いました。ご挨拶はできませんでしたが、これからもよろしくお願いします。

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三浦の晃ちゃん

藤堂家 (2023/10/22 訪問)

伊勢の大大名、藤堂家の居城です。昭和に建てられた櫓があります。石垣と堀が立派です。、

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城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 永禄年間(1558〜1570)
築城者 細野藤敦
主要城主 細野氏、織田氏、富田氏、藤堂氏
文化財史跡区分 県史跡(津城跡)
近年の主な復元・整備 織田信包、藤堂高虎
天守の現況・形態 型式不明[5重/1577年築/焼失(火災)]
主な関連施設 模擬隅櫓、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 三重県津市丸之内
問い合わせ先 (社)津市観光協会
問い合わせ先電話番号 059-246-9020