江戸時代 親子で小芝居 サバイバル (藤堂家)
(2023/10/08 訪問)
津城は織田信長の弟の織田信包が築いた城が原点になります。慶長13年(1608)に藤堂高虎が
22万石で入り豊臣氏に対抗して伊賀上野城と津城を大改修します。津城は城下町を含めて極めて
高い防御力を持った城に生まれ変わり、本丸の周囲に広い幅を持った広大な内堀を配しています。
内堀の周囲に二の丸が配され、その周囲を外堀が周回し、その周囲を三の丸が囲みます。城域の
北を安濃川、南を岩田川が流れ天然の要害となし、外堀と岩田川の間には一応区切りがありますが
満潮時には海の水が外堀に流れ込み海城の様相も呈していたようです。コンパクトな構造ながら
十分高い防御力をもっているのですが高虎公はさらに二の丸の東西の水路を南北の川につなげて
三重の堀にしようと考えていたようです。さすがにこれだと堅固な城になりすぎて幕府に目を
つけられてしまうので工事にストップをかけたようですが、高虎公も外様大名という立場で本領を
守るためいろいろ苦心していたようで、跡取りの高次の出来が悪いから自分の死後は国替えをして
いただきたいと家康公に願い出て、逆に家康公から子孫の代まで要衝の地の伊勢を守るようにと
仰せつかっています。うまく高虎公が家康公の言葉を引き出した格好になりますが家康公は高虎公
の息子が阿呆で無いということは御見通しだったようです。その高次公は幕臣達に目をつけられ
ないようにバカ殿の振りを続けていたようですが、小芝居の才は親譲りだったのかもしれません。
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