前田慶次の自腹でお城めぐり 【第14回】凸松坂城 後編~武家と商人が作りし松坂~

【天守台に使用された〇〇】
本丸上段の見所と申せば、天守閣跡である。天守閣が残っておらぬは惜しい。
築城時は3層の望楼型天守であったそうじゃ!
また、櫓と接続しておった為「連立式天守」という最先端天守を構えておった!

寛永21年(1644)に天守は台風により倒壊。
以降は天守台のみとなり、二の丸に紀州徳川家の陣屋が築城された。
氏郷の天守見たかったのぅ。
安土桃山期の築城名人の天守は現世に残っておれば確実に人気を博したであろう。

然し乍(なが)ら、ただでは倒れぬのが蒲生氏郷! 天守閣跡には実に珍しいものが見られる。
それが石棺!

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