前田慶次の自腹でお城めぐり 【第10回】凸大垣城 中編~石垣に刻まれた歴史~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、関ヶ原の戦いで西軍の本拠地に用いられた大垣城(岐阜県大垣市)の中編。かつて国宝だったという復興櫓や、慶次も「面白すぎる!」と興奮するほど珍しい構造の天守台石垣など、見逃し厳禁の注目ポイントを詳しく紹介します。

▶前編はこちら
【第10回】凸大垣城 前編~戸田家と大垣~

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

大垣城 城郭の魅力度を数値化


大垣城

4層4階の珍しき天守閣と石垣が見所である!
関ヶ原の戦いの西軍の本拠地!
歴代城主には関白豊臣秀次も連ねる!

大垣城

【基本情報】

城郭構造:平城
主な築城者:竹腰尚綱
築城年:1500年?1535年?
廃城:1873年(明治6年廃城令の流れ)
指定文化財:大垣市指定史跡

【歴史】

■牛屋城の不透明な築城時代
1500年または1535年に築城されたと伝わる。築城当時は「牛屋城」と呼ばれた。

■改修を重ねていく!
1563年に氏家直元、1583年に池田恒興が拡大工事を行う。1596年、伊藤盛景が4重4階天守閣を築城!

■西軍の本拠地!
1600年、大垣城は水堀を何重にも張り巡らせ堅城として関ヶ原の戦いの西軍本拠地となる!
西軍の指揮を取った石田三成は大垣城から関ヶ原へ進軍した! 歴史的に重要な地である。

■廃城を乗り越えて国宝へ
1873年、廃城令が下され大垣城は廃城。
然し乍(なが)ら天守閣は壊される事無く残されて1936年に国宝指定!

戦国最大級の大戦「関ヶ原の戦い」の重要な拠点となった大垣城。
多くの城あれど、歴史的にここ迄重要な戦に関わる城は少ない。
西軍が選んだ大垣城の魅力とは?
儂自身も見て学び、その魅力を皆々に伝えて参る!
現在の大垣という水の都も気になる。

此度も楽しんで参ろう!いざ出陣!
おうーーーーーーーーー!!!!

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前田慶次、大垣城

【天守前の桜】

中編始まり始まり!(前編から読んでちょーよ)
大垣城内に正門(旧柳口門)から進軍!
目の前に広がる桜と天守の景観があまりに見事である為に何枚も写し絵を収め申した。

前田慶次、大垣城

石段も加えると中世に築城された城の面構えではなく
近代の色合いも見せる大垣城!

【写し絵の妙】

天守 × ○○によっては、何時代の城に見えるか。
写し絵の撮り所(撮影ポイント)によって城の顔も変わる。

慶次「例えば…此処からこの角度で此れを入れて撮ると近代の城に見える」

城好きとやってみると面白い遊びかもしれんぞ?
儂と天守だけにすれば、戦国時代の写し絵が完成するぞ!
 
前田慶次、大垣城

【大垣城館長見参】

慶次「城びとの連載で参ったぞー!」
大垣城番人「お待ちしておりました。記事もYouTubeも拝見しております」

最近城業界でもちぃとずつ我が存在が浸透してきたのう!【ドヤッ】
慶次「大垣城の瓦版を頂戴しても良いか?」
番人「こちらです!」

と取材戦の挨拶と共に大垣城の情報を仕入れる儂であったが。

館長「前田様、嘗(かつ)ての資料が御座います!」
館長登場!!

大垣城館長が嘗ての貴重な資料を特別に見せ乍ら城内を案内してくれ申した!
それを今から儂が皆に伝えゆくぞ!!
(館長の大垣城愛は凄まじい! 皆も尋ねると良いぞ!)

前田慶次、大垣城、丑寅櫓

【天守の前に先ずは櫓!嘗て国宝!?】

天守へ向かう前に。天守を守る存在【櫓】に注目じゃ!
こちらは【丑寅(艮隅)櫓】である!
内側を見れば分かる通り!

前田慶次、大垣城、丑寅櫓

L字型になっておるのじゃ!
中々珍しいではないか。櫓から土塀が続いておるし強固な守りとなっておる。

して、丑寅櫓は嘗て【国宝】であった!
歴史的価値が高く天守と共に国宝指定を受けた岐阜県内では希少な存在といえよう。
慶長年間に天守が築城されたと聞く故に、同時期に櫓も築城されたのであろう。

然りながら、1945年に太平洋戦争にて大垣城は空襲にて焼失。丑寅櫓はその姿を消した。
現在は実測図に基づき外観復元を鉄筋コンクリート造にて仕上げた。
燃えぬ櫓となったわけじゃ!

軒先瓦は巴紋(火災の魔除け)
鬼瓦は九曜門(戸田家の家紋)

前田慶次、大垣城、戌亥櫓
 

【戌亥(乾)櫓はよぉーく見ろ!】

慶次「戌亥櫓も復興されたものじゃ」

二重の小ぶりな櫓なれど、本丸を守る重要な守りに候。
大垣城は平成22年に外壁工事を行い瓦等も新調致したそうじゃ。
その時分に鯱瓦等も焼失前のものに近づけるべく拘(こだわ)った改修工事であったそうじゃ!

また、戌亥櫓の石垣は石灰岩を使用しておる故に色合いが白っぽいのじゃ!
城(白)だけに!!
ワッハハハハハハ

慶次「もう一つ見所が御座る!」

鯱の鬼瓦に注目してちょ!
ええ尻が見えると思うが、あれは尻ではなく【桃】である!
こちらは桃瓦を使用して魔除けの意味合いがある!
今は存在せぬが、戌亥櫓の隣は多門櫓が続いておったそうじゃ。復元されることを願うばかし。

前田慶次、大垣城、天守台石垣

【天守台石垣が面白すぎた!】

天守台石垣の違いが面白いんじゃ! 此れ実に珍しいぞ!?
左右で築城された時期が違うのが見て分かるであろう?※赤矢印に注目

【左の石は小さく黒い、右が大きく白い】
解説して参ろう!

前田慶次、大垣城、天守台石垣

 左の石垣は石も小ぶりで高さもちと低い。
また、全体的に黒ずんだ石から考えられるは戦災の痕跡。
焼失する程の攻撃を受けた故に石垣にもその痛みが見受けられる。
戦争の歴史を今に伝える。

前田慶次、大垣城、天守台石垣

石も大きくなり高さも出た。矢穴もあり石の加工も御座る。
これは【打込接ぎ】という工法で仕上げておるようじゃ。
何より色合いと共に触れて分かるが、こちらも先程の戌亥櫓同様に【石灰岩】を使用しておる!
此の石灰岩が貴重で御座って大垣の赤坂という土地は石灰が豊富に採れる地域で、そこから引っ張ってきたようじゃ。
世で申す【石切場】というものじゃ。

して、東海圏で石灰岩を使用しておる石垣は恐らく大垣城だけ
どえりゃー珍しい!
九州の方ではちらほら石灰岩の石垣は見る事が叶うぞ!

※城郭用語
『矢穴』=大きな石を割る為に作る穴の事。
当時は人力で石を運ぶ故に巨石は割って運ぶ方が効率が良いし後に石は加工する為に重要な作業である。

前田慶次、大垣城、天守台石垣
 

【天守台に刻まれた謎の溝の真実】

我が目線にある石垣に溝があるのは分かるか?
石垣に刻まれるものと申せば、【刻印(刻紋)】と考えるであろう。
もしくは、矢穴や戦争での痕跡。

慶次「何れも否!」

こちらは【大洪水】によって城が浸水した事を伝える大事な歴史の爪痕なんじゃ!

前田慶次、大垣城、天守台石垣
 

【水城が大洪水】

水の都大垣と呼ばれておるが、大洪水による災害は2度程起きておる。
1回目は江戸時代。
慶安3年(1650)【慶安寅年の大水】
城下の殆どの家屋が水没し多くの犠牲者が出た。

その後も度々洪水に見舞われ
明治29年(1896)の大洪水では大垣城天守台石垣まで浸水致した。
此の碑と石垣の溝はその歴史を伝えておる!

慶次「六尺の儂のみぞおち辺りまで浸水。過去の歴史(経験)が今を安全に導いておる!」

前田慶次、大垣城、おあむの松

【おあむの松】

此の松の大木には感動の物語があるようじゃ。

関ヶ原の戦いの時分
石田三成の家臣、山田去暦の娘「おあむ」は家族と共に大垣城に籠城。
当時大垣城には、足軽としての男子だけではなく、女子、童も入城。
城兵の討ち取ってきた東軍の首に、お歯黒を塗り、化粧を施したり鉄砲玉の鋳造をしておった。
戦の最中には、昼夜攻められ、弟も目の前で鉄砲に撃たれる残酷な籠城であった。
父の山田去暦は、以前徳川家康様の手習いの師匠だった為
ある日、
「今なら無事に城から抜け出せるよう手配してある。逃げよ!」
と矢文が東軍から参った。
おあむ達は両親等4人程で、天守の西側にあった腰曲輪の松の木に縄をかけ、
それを伝って内堀に降り、たらいに乗って逃げたという話である。

現在、その松は一度枯れかけたが、
植え継いで「二代目おあむの松」として天守西側に残っておるのじゃ。

我等の時代【松】の木というのは縁起物であるし、
城郭においては非常食にもなり重宝した植物であるが、
大垣城にはそれ以上の物語が残っておる。
戦に関係の無い民達が巻き込まれず無事に逃げられた事、誠に良かったと思う。

前田慶次、大垣城、天守

さぁという事で天守に入城をまだしておらぬが
此度はここ迄!!
次回遂に天守へ入城!
大垣城でしか見られぬアレに前田慶次感動!

次回も楽しみにしてちょ!
また会おう城びと!

以上

名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益


大垣城の基本情報
<住所>
岐阜県大垣市郭町2-52
<アクセス>
JR「大垣駅」南口から徒歩7分

凸伝令

【前田慶次の歴史夏祭り】
日程:2021年7月31日(土)
場所:名古屋市公会堂 4階ホール(名古屋市昭和区鶴舞一丁目1番3号)
時間:開場17時30分、開演18時30分(予定)
チケット:名古屋おもてなし武将隊 武商店 https://bushouten.stores.jp/

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公式ホームページ https://busho-tai.jp/

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▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946
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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

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