前田慶次の自腹でお城めぐり 【第17回】凸吉田城(愛知県) 後編~本丸の裏が面白い~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、姫路城の改築で有名な池田輝政が大改修を務めた吉田城(愛知県豊橋市)の後編。いよいよ本丸へと進軍した慶次様が、枡形門や虎口に代表される強固な守りの構造、ひと際目を引く鉄櫓など、吉田城の見どころを細かいポイントまでご紹介! さらに豊橋名物の城下町グルメもレポートします。

▼前編はこちら
【第17回】凸吉田城 前編~意外と大きいんじゃ~

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

 前田慶次齢四八十歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十三年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。。

吉田城 城郭の魅力度を数値化

前田慶次、吉田城
 
東海の城では天下人の城に匹敵する規模!

前田慶次、吉田城

【基本情報】

城郭構造:平山城
主な築城者:牧野古白(主な改修:池田輝政)
築城年:永正2年1505
廃城:明治4年1871
指定文化財:吉田城跡

【歴史】

今川時代
1505年、今川氏親の命により牧野古白が築城。西三河の松平氏の侵攻に備える為!
今川と松平による攻防の拠点となる!
 
松平時代
桶狭間の戦いで今川義元が討たれた事で、弱体化した今川を松平(徳川)家康が攻略!
 
酒井忠次の守備
徳川家康は吉田城の城代に重臣・酒井忠次を任命!
1582年には武田軍が吉田城城下まで押し寄せるが、忠次が守り抜いた!
 
池田輝政が大改修
1590年、家康が関東に転封。
池田輝政が入城し城下町の大改築だけでなく、吉田大橋の架け替えを行い11年に渡り整備!
関ヶ原の戦い以後に輝政が姫路城に入城した為、輝政の統治下で完成しなかった!
 
江戸時代
東海道の重要な拠点として発展し、
歴代城主は老中、大坂城代、京都所司代などに選ばれた事で出世城と呼ばれる!
 
■最近の出来事
太平洋戦争後は、公園として整備され鉄櫓が模擬再建された!

前田慶次、吉田城、目次

吉田城、二の丸御殿

【二の丸御殿 名古屋城に匹敵?】

着到櫓跡に登り周りを見渡してみれば、馬揃えや軍の集結を確認したのが江戸時代!
現在は公園内を眺めるのに良きものである。

慶次「(見渡して)…ん?まだ何かの碑がありそうじゃ」

美術博物館前に御座る此方が「二の丸御殿」跡である。
歴代城主が居住し政庁として機能したのが二の丸御殿!
戦がよう御座った時分の戦国時代では、櫓や天守、石垣や堀といったものが重要であったが、
戦無き世で最も機能したのが政庁を持つ御殿であった!
吉田城に訪れる諸大名を出迎える場所であり、仕事話しをする場所である。

慶次「如何様な御殿であったか。気になるのう」

政庁故に、大体の城は魅せる造りにしており、
財力等を諸大名達に見せる役割もある故に豪華な造りに注目される御殿!

造りで注目して欲しいのは、屋根は名古屋城本丸御殿と同じ「杮葺」であったとか。
木材を薄くして、それを重ね合わせた工法である。
高級な造りであった事から重要性が伺える!
また、二の丸御殿の周りには塀を築いており
二の丸の中でも他と区画分けをしておったようじゃ!
 
吉田城、二の丸御殿


吉田城、二の丸御殿
※鉄櫓内部の史料によると1684-1687年の二之丸御殿絵図

吉田城、本丸

大手は正面(冠木門跡)は普請工事をしており進軍が不可であった為、搦手は裏から参る!
裏手は東から参る!

吉田城、堀

【堀】

二之丸と本丸の間にある堀は壮大な空堀となっておる!
石垣の高さも考えると堅牢な守りと言える。
見た具合この堀が吉田城内で一番大きなものであろう! 幅は5メートル程か?

慶次「通りは土橋となっており此の下も石垣となっておるで角度を変えて見てちょ!
土橋故に大き目の石を本丸に運びたかったのか!?
火攻め対策か。うむ。両方の可能性があるのう」

吉田城、枡形門

【枡形門 強固な守り】

本丸へ進軍して参った! 先ず、裏御門が待ち構える。

此処は「枡形門」造りになっており
戦国時代末期を代表する最強の城守りの一つである。
石垣の上は櫓となっており
門を突破しても三方から集中砲火を受ける仕組みになっており突破が困難であった!

石垣は野面積みのようじゃ。
石の大きさがまばらであるが、横一列に整えられており、
打込み接ぎの工法も考えておったやもしれんな。
戦国末期に造り上げて、改修等を考えると
特別大きな石であったり特別な工法は見られぬ!

吉田城、本丸井戸

【本丸井戸跡】

裏御門を抜けてすぐに井戸跡が御座った!

城において「井戸」は重要な生命線である。
合戦において恐怖は兵糧不足!
多くの兵が籠城する本丸には井戸を多く造ったものじゃ!
現在は石碑があるのみ。

慶次「城巡りでも本丸迄参ると喉が渇く故に床几(しょうぎ)に腰を下ろし、儂も水を飲むぞ!!」

吉田城、雁木

吉田城、雁木

【櫓ってどうやって登るの?】

本丸に入城し石段=雁木(がんぎ)が御座る!
石垣の上にある櫓にどうやって登るのか。皆も疑問であろう?
この雁木に登って櫓内部に入る仕組みなんじゃ!
多くの城郭は石垣の上に登るのは危険である故に立入禁止としてある場所が殆どである。

遺構として残っておる分には多くの城でも見られる。

吉田城、北御多門跡

吉田城、虎口

吉田城、虎口

【最強の虎口か!?】

こちら本丸の北側にある北御多門跡である。
裏御門と同様に枡形門形式であるのは見ての通りであるが、
此処は枡形を二重に仕掛けており左、右と曲がり(北側から侵攻の場合)
乗り越えねば本丸には侵入できない!!

また、この石段ぞ!?
高さもあり登り切って枡形が二連続であるのは、心が折れるのう…。

慶次「見事な造りである! 此れは攻め落とすのにどえりゃあ難儀するわ!!
恐らく吉田城で一番の守りと言えよう」

吉田城、虎口

北側は大きな川(豊川)が流れており船が必定。
攻め入るのが難儀であるが、もしもの事を考えて斯様な強固な造りとしたのであろう。

吉田城、北御多門跡、櫓

強固な守りであるが、櫓も御座って現世の映える場所である!
皆も一枚写してみてちょ。

吉田城、北御多門跡、櫓、石垣

石垣は池田時代に築城されたとされ「矢穴・刻印」も見られる。
土橋もあった故に、やはり大きい石材を運びこちらで割って石垣に利用したのであろう!
池田家も築城が上手い御家故に拘りを感じる!

吉田城、石垣、刻印

刻印は吉田城が大改修された時に使用されたもので、
天下普請にて築城された名古屋城等で利用する予定であった石が用いられたのであろう。
此れも転用石と申す。
本丸中心に約50の刻印が確認できる! 皆も探してみてちょ!

慶次「因みに前田家の石は見当たらなんだ!
当時は石高も日ノ本最大であった為に
天下普請での工事負担が大きかった故にあるかと思ったがのう」

吉田城、腰曲輪跡

【腰曲輪跡】

降りたらばちいとだけ曲輪が御座る。此処は「腰曲輪」跡である!

慶次「腰曲輪は主要な曲輪の周りに造り、帯状の細長い曲輪である!
余談であるが、曲輪が長い場合は腰曲輪ではなく帯曲輪と呼ぶことが多いぞ!」

この石垣奥には「入道櫓」が配され守りを固めた!

吉田城、鉄櫓

【復興櫓 鉄櫓】

本丸にてひと際目立つ天守のような建築物のこちらは「鉄(くろがね)櫓」である。
1954年に再建され申した。
史料を見ると、鉄櫓の場所に「天守」の表記が記されたものもある。
実際天守があったか否かは不明であるが、
此の鉄櫓が吉田城にとって重要な建築物であったのは間違いない!

吉田城、鉄櫓

石落としも備えており下見板となった見た目は、江戸時代よりも戦国時代に流行った見た目をしておる!
して、視力が現世の者の10倍は御座る儂は見つけてしまった!

吉田城、鉄櫓、鬼瓦
 

【鬼瓦に隠された意味】

鬼瓦が桃の実となっておる! 
桃は葉や花も旺盛に繁る故に「多産」や「生命力」の象徴とされ我等の時代では縁起物であった。
また、桃の実は「霊果」の一種とされ「魔除け」効果もある!

慶次「ほかの城でも探してちょ!」

では鉄櫓の内部に参るぞ!!

吉田城、鉄櫓

吉田城、鉄櫓

登城記念印判も押して参ろう
 
吉田城、鉄櫓

吉田城、鉄櫓

吉田城の移ろいが分かる!

吉田城、鉄櫓

吉田城の嘗(かつ)てのジオラマと呼ばれし模型!
復元するとなるとこんな具合!
本丸庭は本丸御殿が大部分を占めておる!

吉田城、鉄櫓

多くの史料と展示で知識を深めて、より城郭を楽しめるようになっておるぞ!

吉田城、鉄櫓

慶次「儂が、吉田城、姫路城築城者池田輝政也! はぁーーー!」

っと冗談はおいといて櫓内を存分に楽しみ、吉田城の御城印を手にすべく下城!
御城印は市役所の中で購入すると聞く。
着到櫓の近くが市役所である故に戻り申すぞ!!

吉田城、御城印

【市役所にて御城印】

一階のじょうほうひろばと呼ばれし此方で購入!
城内を巡り腹も減った故に豊橋名物を食しに参るぞ!!

慶次「豊橋名物と申せばあれじゃろーーーー!」

豊橋駅に戻り申す!

吉田城、勢川本店

【勢川本店】

豊橋名物と申せば、「豊橋カレーうどん」である!
そのどえりゃあ美味し飯を長年届けておる名店が此方の勢川本店殿!
儂が参った折も外に列ができており、多くの者が求めて足を運んでおる事が分かり申すし
「絶対美味いやつじゃ!!!」

■勢川本店

吉田城、勢川本店、豊橋カレーうどん

どーーん!
こちらが豊橋カレーうどんである! 儂も量も大盛で腹を満たすぞ!
店内は良き香りも広がり、昔ながらの飲食店の雰囲気を大切にしており心まで腹が減るようじゃ。
多くの著名人の花押(サイン)も飾られておりテレビ等の取材も多いようである。

いざ、実食!

吉田城、勢川本店、豊橋カレーうどん

ちんちこちん(熱い)だが此の熱さが更に食欲を掻き立てる!!
勢いよく啜(すす)り、うどんに絡みつくカレーの汁から出汁の旨味が分かる!
具材も多く彩りもキレイである。
箸を進めていくと…。

慶次「何じゃと? 麺の下に飯が御座る!?」

器の底から面を出したのは何と戦国時代一番人気の“白米”である!
カレーうどんと思ったらばカレーライスに変化し味を二度楽しめる仕組みとは恐れ入った!
儂の腹も心も満たされ申した! 名古屋でも食べたいのう!!

【まとめ】
天下人の城郭に匹敵する規模をもつ吉田城は
徳川家重臣や築城名人池田家が城主を務めた故に、
見所も多く戦国時代から江戸時代への切り替わりで改修工事も行われておる故に
天下普請の恩恵も受けておる珍しい城郭である。
大部分が公園となり遺構が多く、現物を見たい者も多いと思う故に、
ちいと城巡りが楽しくなってきた、知識も入ってきた者が参る事を勧める!!
いわば、中級者向けかのう。
三河国には他にも岡崎城西尾城もある故に、そちらを先に巡っても良いやもしれん!
然し乍(なが)ら、飯が美味いのう!!ワッハハハハハハ

次は何処の城へ参ろうか。
東海圏を久方振りに飛び出して遠征して参ろうかのう?
残金37,182円

次回の記事も楽しみにしてちょ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

凸伝令

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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)