【東日本・関東・甲信越編】必見のお城をピックアップ!日本100名城・続日本100名城の見どころガイド

公益財団法人日本城郭協会では、日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭・城跡をより広く知ってもらうことを目的として、各都道府県から1~数城ずつ「日本100名城」「続日本100名城」を選定しています。いわば日本100名城・続日本100名城は「見ごたえあり」というお墨付きのようなもので、これからお城めぐりを始めたい方にぜひオススメ! とはいえ「200城もあると選べない」「地元の近くにどんな100名城があるか知りたい」という方も多いはず。そこで城びとが、注目の日本100名城・続日本100名城をエリア別にご紹介! 今回は【東日本・関東・甲信越編】です。

「日本100名城」「続日本100名城」についてもっと知りたい方はこちらの記事もチェック!

【北海道】蝦夷地に築かれた最古の“和人の城”「志苔館」(続日本100名城)

かつて「蝦夷地」と呼ばれた北海道の渡島(おしま)半島の海岸線に沿って築かれた「道南12館(どうなんじゅうにだて)」。その中で最東端に位置しているのが「志苔館」。長禄元年(1457)にアイヌと和人(アイヌ以外の日本人)との間で起きたコシャマインの戦いの舞台として知られています。

この館(城)は、標高17〜25mmの段丘に築かれた、四方に土塁をめぐらせた単郭構造。1983〜1985年に実施した発掘調査で確認された建物跡や柵跡が平面表示され、井戸跡には確認された井戸枠と同じ構造のものを復元表示しています。また曲輪の四方には空堀が巡っていて、なかでも西の門跡を厳重に守る二重空堀は必見です。

志苔館
発掘調査の成果をもとに、創成期となる14世紀末〜15世紀初頭の建物跡・柵跡・井戸跡の遺構を平面表示している。20m×11mの建物が2棟並び、その周りを柵で囲っていたようだ

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【青森県】往時の生活空間を復元!南北朝時代に築かれた中世の城「根城」(日本100名城)

南部地方という名の由来にもなった南部氏が南北朝時代に築き、江戸時代まで約300年間存続した根城(ねじょう)。「史跡根城の広場」として整備された城内には、発掘調査をもとに本丸の主殿などの建物が復元されています。

興味深いのは、実際に馬が繋がれているかのように復元された上馬屋や、正月十一日の儀式の模様を再現した主殿など、当時の生活風景が体感できるようになっていること。中世の城郭が目の前に鮮やかに浮かぶかのよう!

根城
中世の城郭の特徴をよく残す、本丸に復元された主殿と常御殿の平面展示

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【宮城県】現存する石垣から往時のスケールを実感!伊達政宗の居住「仙台城」(日本100名城)

戦国武将の中でも指折りの人気を誇る伊達政宗が拠点にした仙台城。市内を一望できる青葉山の一角に築かれていたため、散策路を歩いて登るとけっこう大変! 政宗公も城まで毎日登るのが大変で、やがて麓の屋敷で過ごすことが多くなったそうですが、それも納得です。

広大な敷地の中に当時の建物は現存していませんが、それを補って余りある見どころが数々の石垣。なかでも本丸北面の石垣は長さ179mにわたり、高さは最大で17m! 往時のスケールと守りの堅さがありありと伺えます。

仙台城、石垣
本丸北面石垣と伊達政宗公騎馬像は毎日、日没からライトアップが実施されている。光のバリエーションも豊かで、夜の訪問も楽しい


【埼玉県】広大な敷地に巡らされた土塁や空堀が見ごたえ満点!「菅谷館」(続日本100名城)

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する予定である鎌倉幕府の有力御家人・畠山重忠の居館と伝わる菅谷館。現在の状態に改修されたのは、関東が戦乱状態にあった戦国時代と考えられています。

東京ドーム3個分に相当する広大な敷地には建物こそ残っていないものの、堀や土塁などの遺構が良好に残っています。攻め手の兵の死角をなくし反撃しやすいよう、カクカクと巡らされた土塁や空堀が見ごたえ満点な、まさに埼玉県を代表する土の城です!

菅谷館、空堀
本郭と二ノ郭の間にある空堀。このカクカクとした折れがたまらない!


【埼玉県】優れた土造りの技術が用いられた築城のお手本!「杉山城」(続日本100名城)

室町時代に関東管領の役職にあった山内上杉氏が、対立関係にあった扇谷上杉氏に対抗して築いたと考えられている杉山城。その巧みな築城術から「築城の教科書」と呼ばれています。

教科書とまで称えられる理由は、城域に入るとすぐに味わえます。堀と土塁を駆使し、強烈な横矢が掛けられ、本郭は三方向に虎口を設けた厳重な構え。戦いのための工夫が今も体感することができます。せっかく訪れたなら、杉山城と併せて「比企城館跡群」として国史跡に指定された菅谷館などにも足を延ばしましょう。

杉山城、横堀
大手口と馬出郭の間にある横堀。深い空堀と高く積み上げた土塁で守りを固めている


【富山県】大手門が復元され、水戸徳川家の居城としての威容が甦る!「水戸城」(日本100名城)

徳川御三家の一つ・水戸徳川家の居城である水戸城。「水戸黄門」で有名な徳川光圀の生誕地で、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の主君・徳川慶喜が育った城でもあります。

2020年2月には、水戸城の正門にあたり最も格式の高い大手門の復元が完了。木造2階建てによる圧巻の規模で、徳川御三家の居城としての風格を感じさせてくれます。また、唯一の現存建造物である薬医門が本丸跡(水戸第一高等学校)に移築復元されているので、マナーに注意しながらぜひ見学してみてはいかがでしょうか。

水戸城、大手門
高さ約13m、伝統工法を用いて復元された大手門

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【茨城県】中世と近世の造りを両方楽しめる「笠間城」(続日本100名城)

水戸城や土浦城など茨城県を代表する城の多くは、石垣を築かず土塁や空堀を巡らせた「土造り」。そんな中、笠間城は茨城県の城づくりの主流である土造りと近世の石垣造りの両方を楽しめる、2倍おいしい山城なのです!

豊臣秀吉による「小田原攻め」後に蒲生郷成が整備を進めた笠間城では、近世城郭として整備・構築された石垣の部分と、それより前の堀切・土塁といった土造りの要素も見学できます。なかでも、本丸南西の巨大な土塁は、土造りの城らしいダイナミックさが感じられて圧巻です。また、本丸にあったとされる八幡台櫓が真浄寺に移築されているので、ぜひ足を延ばしましょう。

笠間城、石垣
石垣は11ヶ所で確認されている。こちらは千人溜から徒歩7分ほどで出会える三の曲輪の下、道沿いの石垣

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【群馬県】堅固な守りを山登りで実感!巨大な山城「金山城」(日本100名城)

標高239mに築かれた金山城もまた、土造りのお城が多い関東では珍しい石垣造りのお城。城域の大部分が石垣で覆われ、越後の上杉氏や甲斐の武田氏など名だたる武将たちに攻められても一度も落城しなかったのです。

その堅固さを実感するには、駐車場のある西城エリアから尾根を登って中心部分の実城まで2〜3時間かけてめぐる見学ルートがおすすめ。攻め手の兵の気持ちになって歩いていくと、途中で堀切や物見台にぶつかる瞬間の絶望感をリアルに味わえますよ。

金山城、石垣
土橋の先には守り手の兵がいるのだろうが、石垣が邪魔で見えないようになっている

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【千葉県】徳川四天王・本多忠勝が築いた「大多喜城」(続日本100名城)

千葉県夷隅郡一帯を拝領した本多忠勝が近世城郭へと大改修した大多喜城。かつて本丸には天守が築かれていたようですが、天保13年(1842)の火事で焼失し、今は天守を模した博物館が建っています。

博物館がある本丸の遺構は土塁など目立ちませんが、かつて二ノ丸だった千葉県立大多喜高校には、唯一の建物遺構として二ノ丸御殿で使用されていた薬医門が見られます。ほかにも、大多喜城二ノ丸公園の見事な堀切も必見です!

大多喜城
本丸に建つ天守をモチーフに建設された博物館(千葉県立中央博物館大多喜城分館)

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【長野県】徳川軍を2回も跳ね返した不敗の「上田城」(日本100名城)

真田昌幸が築いた上田城といえば、徳川家の大軍を2度も退けたエピソードがあまりにも有名。現在のお城は、徳川方に破壊された後に仙石忠政が再建したものですが、真田石と呼ばれる巨石など「真田の城」というイメージを色濃く感じさせてくれます。

再建されたものとはいえ、上田城のシンボルといえる櫓など、現存する遺構の数々は見ごたえ抜群。全国的にも珍しく江戸時代初期から残っている西櫓や、現在は野球場になっている百間堀など、天然の要害だった上田城の守りの固さを実感できる名残をくまなく探しましょう。

上田城、櫓
左から南櫓、東虎口櫓門、北櫓。南櫓と北櫓は民間に払い下げられたあと買い戻され、1949年に城内へ移築された。東虎口櫓門と櫓を繋ぐ土塀は1994年に木造復元されている

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【長野県】城下町よりもお城が低い?独特の地形を生かした「小諸城」(日本100名城)

お城といえば「高い場所から眼下の町を見下ろす」というイメージがありますが、なかには「穴城」という城下町よりも本丸の位置が低い珍しいお城もあります。小諸城はそうした穴城の一つで、入口にあたる三の門(重要文化財)は下り道。山城のように厳しい上り道の登城をイメージしていると意表を突かれます。

また小諸城は第二次上田合戦の舞台としても知られ、関ヶ原の戦いに参戦しようとしていた徳川秀忠が本陣を構えた場所でもあります。仙石秀久が築いたとされる野面積みの天守台や、縄張りを手掛けたと考えられている山本勘助ゆかりの鏡石など、現存する遺構から往時に思いを馳せてみてください。

小諸城
城内の中枢へと通じる三の門の下り道が、城下町より城が低い小諸城を象徴する

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【長野県】未完に終わった五稜郭──西洋技術を取り入れた石垣は必見!「龍岡城」(続日本100名城)

日本にある星形の城といえば、北海道の函館五稜郭が真っ先に思い浮かびますよね。実は長野県の龍岡城も、未完成のまま終わりましたが、突出部(稜堡)を設けた稜堡式による星形の城なのです。

ヨーロッパで発展した稜堡式を採用しているだけあって、龍岡城では石垣にも西洋技術が取り入れられています。天端部分の石が突き出している刎(は)ね出し石垣は、全国でも五稜郭や人吉城(熊本県)など一部の城にしかないので、訪れた際はお見逃しなく!

龍岡城
田口城から見た龍岡城の全景。龍岡城の一辺の長さは145m〜150m。函館五稜郭の一辺の長さは297mなので、函館五稜郭のだいたい4分の1の大きさとなる

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【新潟県】どこから攻める?山がまるごとお城の「春日山城」(日本100名城)

越後の戦国大名・上杉謙信が居城とした春日山城。その広さは全国の山城のなかでもトップクラス。山全体にたくさんの曲輪が配置され、城域はなんと約2km四方にも及ぶのだからビックリ!

あまりにも広いためどこから攻めればいいか迷いますが、おすすめは春日山神社側からスタートし、毘沙門堂など謙信の信仰がうかがえるエリアを抜け、見晴らし抜群な山頂の本丸を目指すルート。道中では立派な土塁や井戸などの遺構も見ることができ、長い道のりを飽きさせません。

春日山城、毘沙門堂
毘沙門堂のある曲輪の切岸(きりぎし)。土塁を築く必要がないくらい急な斜面だ!

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【新潟県】満開の桜と城のコラボレーションが映える「高田城」(続日本100名城)

60万石の大大名となった徳川家康の6男・松平忠輝が築いた高田城は、平城の近世城郭としては珍しい土造りである点が特徴。天守の代わりとなった三重櫓(平成5年(1993)に復元)が、櫓台となる石垣の上ではなく土塁上に直接建てられている点が、土造りの城らしさを物語っています。

また、春になると約4,000本もの桜が咲き誇る高田城は「日本三大夜城」の一つに数えられています。その理由は、夜にライトアップされる光景の美しさ! 満開の桜と城のコラボレーションをぜひ堪能してください。

高田城、夜桜
桜の名所としても有名な高田城。夜のライトアップでロマンチックな空間へと一変する(写真提供:上越市 産業観光交流部 観光交流推進課)

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【新潟県】上杉家の壮絶な後継者争いの舞台となった「鮫ヶ尾城」(続日本100名城)

上杉謙信亡き後に景勝と景虎が後継者争いを繰り広げた「御館の乱」。その戦いに敗れた景虎が自害した場所が鮫ヶ尾城で、今では景虎ファンが集まる聖地となっています。

城内には150mを越える大きな竪堀や、往時を偲ばせる土塁、曲輪などの遺構を見ることができます。本丸からは頸城(くびき)平野が一望でき、山城めぐりならではの醍醐味も存分に味わえますよ。また、鮫ヶ尾城はカタクリの群生地としても有名。紫色の花が一面を覆い尽くされる4月の散策がおすすめ!

鮫ヶ尾城、本丸
主郭跡からは、妙高市や上越市、遠くに日本海が見える

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執筆・まとめ/城びと編集部
写真/藪内成基(根城、杉山城、水戸城、小諸城)、いなもと かおり(仙台城、菅谷館、笠間城、金山城、大多喜城、上田城、春日山城、高田城、鮫ヶ尾城)

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