【続日本100名城・菅谷館跡】埼玉県で最高クラスの土の城!鎌倉武士の鑑・畠山重忠も住んでたの?

埼玉県のほぼ中央に位置する比企郡一帯は、恵まれた城の密集地! 鎌倉街道上道が縦断し交通の要所でもありました。菅谷館(すがややかた)跡は2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する予定の畠山重忠の居館と伝わる場所で、戦国時代に現在の状態に改修されたと考えられています。史跡内はかなり良好な状態で土塁や空堀が残り、まさに埼玉県を代表する土の城です。そんな菅谷館跡や、菅谷館跡をより深く学べる埼玉県立嵐山史跡の博物館についてもご紹介します!

菅谷館の歴史を彩る登場人物を一挙ご紹介

菅谷館、畠山重忠
二ノ郭にある畠山重忠の像。菅谷館跡のほぼ中央に建てられている

菅谷館(埼玉県)が最初に記録に登場するのは、文治3年(1187)のこと。鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』によると、謀反の嫌疑をかけられた畠山重忠(はたけやま しげただ)という人物が、身の潔白を訴えるため「武蔵国菅谷館」に引きこもったと記されています。畠山重忠とは源平の戦い、木曽義仲を滅ぼした宇治川の戦い、そして奥州合戦などでも功績を残した幕府の有力御家人。勇猛で清廉潔白な彼は「鎌倉武士の鑑」と讃えられました。

北条義時が執権に就任した元久2年(1205)には、有力御家人が次々と謀殺されていき、重忠も「菅屋の館」を出陣し二俣川の辺りで討ち取られてしまいました(畠山重忠の乱)。この『吾妻鏡』に登場する重忠の館が、嵐山町の菅谷館だと考えられています。

菅谷館

戦国時代に突入した15世紀後半の関東は、古河公方や堀越公方、さらには関東管領の山内上杉氏と扇谷上杉氏が対立し、関東は泥沼のような戦争状態になっていました。

菅谷館周辺でも山内上杉氏と扇谷上杉氏の両上杉氏が戦った須賀谷原合戦(1488年)が勃発。比企のあたりには30以上もの城がありますが、ほとんどの城がこの時代に築かれたと考えられています。

発掘調査でも、両上杉氏時代にあたる15世紀後半から16世紀前半の遺物が多く出土しており、誰かが菅谷館を拠点にしていた痕跡が見られるのです。

菅谷館

そして戦国時代も終わりになる16世紀末頃、関東は小田原北条氏が支配していました。最新の研究によると、天正10年12月9日付「北条家伝馬掟書」の記述により、菅谷館は西上野に至る伝馬の駅として機能していたことがわかっているそうです。

しかし豊臣秀吉の小田原攻め(天正18・1590年)によって関東一帯は火傷状態に。各地の城が強化され、秀吉勢力に対抗するべく準備していたのですが、豊臣方の大軍勢に圧倒され北条方は降伏しました。

菅谷館に土塁や空堀を巡らせ、現在の姿へと改修したのは一体いつなのでしょうか? 両上杉氏が戦っていた時代と、小田原北条氏の時代の2つの説があり、現段階でははわかっていません。今後、発掘調査や研究が進み解明される日がきっとくるでしょう!

あれれ…城じゃなくて館? 

菅谷館跡は土塁や空堀がカクカクと巡らされた平城です。土塁も高く、横矢がかりが技巧的に配置されています! しかし、館というとなんとなく住居空間が主で防衛施設がないイメージ。なぜ「菅谷城」ではなく「菅谷館」という名前なのでしょうか。

史跡指定の際、畠山重忠の居館地という伝承から「菅谷館」「菅谷館跡」という名称となりましたが、史跡内に見えている遺構はすべて戦国期のものです。嵐山史跡の博物館でも、戦国期の城を指す場合は「菅谷城」や「菅谷城跡」の名称を用い区別して紹介しているとのこと。名称だけに囚われず、城をしっかりと観察する目が大事になりますね!

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東京ドーム3個分!散策しがいのある史跡

菅谷館、模型
三ノ郭にある模型を撮影したもの。崖に面した側に本郭、その外側を二ノ郭や南郭、さらに外側を三ノ郭や西ノ郭が囲む梯郭式の構造

昭和48年(1973)菅谷館跡は国史跡に指定されました。平成20年(2008)には菅谷館跡のほかに、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町)、松山城跡(吉見町)の3城が加わり「比企城館跡群」と指定名称が変更になっています。

菅谷館跡の面積は13万㎡と東京ドーム3個分に相当する広大な敷地! 城のすぐ南に流れる都幾川(ときがわ)によって浸食された断崖を利用して築かれた崖端の城で、東西は掘削された谷が守る要害となっていました。史跡の中はとにかく広い! 史跡内を隅々まで歩くだけでも2時間ほどかかります。

発掘調査も行われた三ノ郭と西ノ郭

菅谷館、三ノ郭
三ノ郭。奥に博物館の建物が見える

菅谷館、三ノ郭
三ノ郭では、見つかった位置に掘立柱建物跡の柱穴を丸太で示している(1棟のみ)

東西約260m、南北約130mの大きさがある三ノ郭は、史跡内で最も広い郭です。

博物館を建てるにあたり、昭和48年、50年、51年と発掘調査が行われ、掘立柱建物跡4棟や井戸跡3ヵ所、溝跡といった遺構が確認できたほか、15世紀後半〜16世紀前半を中心としたかわらけ、すり鉢、土鍋などの遺物が見つかっています。

菅谷館、正坫門、木橋
正坫門と推定復元された木橋。橋を架けるための基礎となった石積み遺構が調査で見つかった

三ノ郭では、正坫門(しょうてんもん)跡でも発掘調査が行われているのですが、面白いのはこれら5回の発掘調査で、鎌倉時代(※1)、両上杉時代、17世紀を中心とする江戸時代の出土遺物は確認できるものの、小田原北条氏時代の16世紀後半頃に結びつく遺物が出土していないという点です。

土塁や堀などの特徴から小田原北条氏時代に整備された城ではないかと考える説もあるため、今後新たな発見によって研究が進展するかもしれませんね!

※1…鎌倉時代末期の出土遺物で畠山重忠の時期(鎌倉初期)とは100年ほどズレがある

菅谷館、西ノ郭
西ノ郭は、最近草刈り整備されとても見やすくなった

復元された木橋をわたると西ノ郭にでます。西側の土塁には「大手門跡」と伝わる虎口がありますが、江戸時代に作成された複数の絵図の中には土塁が切れている描写はなく、後世に土塁が改変された可能性が考えられます。

折れ折れを楽しむ二ノ郭と南郭

菅谷館、空堀
本郭と二ノ郭の間にある空堀。このカクカクとした折れがたまらない!

史跡の中央に位置する二ノ郭は、本郭の空堀を眺めるのに最も適した場所。土塁や空堀は、攻め手の兵の死角をなくし反撃しやすいよう折れを設けています。土の城好きとしては、この折れ折れがカッコよくてたまりません!!

菅谷館、南郭
南郭。写真右手の方に水の手へ降りる虎口があるが、後世の人の手によって土塁が切られたそう。水の手に至る本来の通路は別に存在していたと考えられている

二ノ郭の南に配置された南郭は、他の郭よりも低い位置にあり、端は都幾川に浸食された段丘崖です。崖下の水の手には小規模な土塁をともなう郭があったことも確認され、菅谷館跡は水運を使って物資を運ぶのに最適の立地だったことがわかります。

守りに堅い地形、そして水陸交通をうまく使った立地にあることからも、菅谷館跡の手強さがひしひしと伝わってきますね。

土橋が見どころの本郭

菅谷館、突出部
横矢をかけるための突出部。塁線が長大な場合にこうして突出部を設けることで死角がなくなる

本郭へ繋がる土橋は、本郭から飛び出た突出部(菅谷館では「出枡形土塁」という)によって側面からの攻撃ができる優れもの。城の造りを理解するためには重要なポイントです。

菅谷館、本郭
本郭。遺構保護のため、史跡内の土塁には登らないように気をつけましょう!

土橋を渡ると本郭に入ります。東西150m、南北約60mと、とにかく広い。地元の伝承では本郭に畠山重忠の館があったといわれていますが、その実態はわかっていません。

まず最初に埼玉県立嵐山史跡の博物館へ寄ってみて!

埼玉県立嵐山史跡の博物館

昭和51年(1976)に開館した埼玉県立嵐山史跡の博物館は、菅谷館のみならず周辺の城跡や武士の暮らし、中世の石造物から考える人々の信仰などを解説展示した博物館です。特に冬季期間に開催される企画展は城好きや歴史好きからとても人気で、県内のみならず関東近郊からたくさんの人が来場します。

筆者個人としては「スポット展示」にも注目で、ものづくりや中世武士の生活に焦点をあて各地の遺跡から出土した遺物を展示しています。

令和3年8月7日(土)~9月20日(月)  は企画展「実相 忍びの者」を開催予定。新型コロナウイルスの感染状況によって開館状況が変わってくるため、詳しくは<公式HP>にてご確認ください。彼らの暮らしに思いを馳せると、戦国時代がグッと身近に感じられるようになりますよ! 

史跡を巡る前に博物館で情報収集しておくと、理解がより深まるかもしれませんね。菅谷館で“戦国時代へのタイムスリップ”を楽しんできてください。

菅谷館跡の基本情報>
住所:埼玉県比企郡嵐山町菅谷757
電話番号:0493-62-5896(埼玉県立嵐山史跡の博物館)
開館時間:<9月〜6月>9:00〜16:30(最終入館は16:00まで)、<7〜8月>9:00〜17:00(最終入館は16:30まで)
休館日:月曜日、祝日、5/1、5/2、11/14(埼玉県民の日)、12/29~1/3、臨時休館あり
史跡内は散策自由

※文中、歴史を解説する際は「菅谷館」、史跡を紹介する際は「菅谷館跡」と表記しています。

【参考文献・ホームページ】
『嵐山史跡の博物館ガイドブック2 国指定史跡 比企城館跡群 菅谷館跡』(埼玉県立嵐山史跡の博物館、2014)

いなもとかおり
 執筆・写真/いなもと かおり
 お城マニア&観光ライター
 年間120城を巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。

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