【日本100名城・仙台城(宮城県)】伊達政宗が築いた城!魅力満載の石垣もご紹介

そうそうたる戦国時代の武将の中でも1位、2位の人気を争う伊達政宗! そんな政宗が初代仙台藩主として居城した仙台城は、徳川家康と敵対する上杉家の抑えとなる城でした。江戸時代には、本丸に大規模で豪華絢爛な御殿建築が並び、また広瀬川に面した崖の上には珍しい懸造の建物が建ち、城下からも見ることができました。仙台城散策で立ち寄りたい見どころや、あまり知られていない隠れたスポットについてもご紹介します!

徳川幕府の背後を守る仙台城

伊達政宗騎馬像
本丸に設置された伊達政宗騎馬像

慶長6年(1601)、今もなお絶大な人気を誇る奥羽の武将・伊達政宗が築いた仙台城。この城が築かれた青葉山は、東に広瀬川、南は竜ノ口渓谷、そして西には山林が広がる防御に優れた立地でした。

約270年にわたり、伊達氏13人の歴代藩主が治めた城は、山頂の本丸、山麓の二の丸・三の丸と複数の曲輪からなる構造で、本丸への登城ルートは大手門・中門を通るルートと、巽門・清水門を通るルートの2通り。現在、二の丸跡には東北大学川内キャンパス、三の丸(東丸)跡には仙台市博物館が建っています。

平成23年(2011)の東日本大震災では、地盤が大きく動いた影響で一部の石垣などに被害を受けましたが、約6,700石の解体・積み直しが行われ、平成28年(2016)9月には全体の復旧が完了しています。仙台城跡を訪れて、みなさんで応援しましょう!

城の中心は優雅な御殿! 金ピカ飾りもざっくざく

仙台城、大広間跡
平成13年(2001)〜平成21年(2009)にかけて行った大広間跡での発掘調査の成果をもとに、礎石を配置している

仙台城の本丸は東西245m、南北267mの広大な敷地でした! 天守台と呼ばれる場所はあるものの天守は築かれず、政務や生活の場となる御殿が広がっていました。とくに、城内最大の建物である「大広間」は発掘調査で見つかった礎石跡の位置をもとに、現在、平面的な遺構表示を行っています。各間の配置やその規模感を目で感じることができるので、とてもわかりやすいです!

本丸御殿の中心となる大広間は、格式高い檜皮葺(ひわだぶき)を使用し、内部は上々段の間、上段の間、孔雀(くじゃく)の間、檜の間など多くの部屋が配置された大規模な建物だったようです。内部は、障壁画や飾金具で煌びやかに装飾され、聚楽第などの桃山建築を意識した御殿建築だったと考えられています。

仙台城、金銅飾金具、銅製の釘
大広間跡の発掘調査では約60点の金銅飾金具と、銅製の釘が830点ほど確認されている。写真(上)は薄い銅板に鍍金した飾金具。(下)は「釘隠(くぎかくし)」と呼ばれる釘を覆うための飾金具だ(写真提供:仙台市教育委員会

発掘調査では、大広間跡やその周辺から金メッキが施された釘隠などの飾金具が見つかりました。

さらに面白い点が、約180点の「かわらけ」が大広間跡の南東部から集中して出土していることです。かわらけとは、武家儀式や祭祀などで使用されてた素焼きのお皿のこと。例えば宴会の場では、一度使用されたかわらけは破棄していたため、キリがないほどの枚数が必要となるわけです。もしかしたら、この場所で宴会が行われていたのかもしれない……と、想像してニヤけてしまします。

仙台城、本丸
本丸北東部から見る仙台の街並み。高いビルさえも小さく見える(写真提供:初芽)

また、城郭建築では珍しい「懸造(かけづくり)」も本丸御殿を代表する特徴的な建物です。この懸造は床下を柱で支え、崖に張り出すように建てられており、張り出した部分には廻縁(まわりえん・現在のベランダのようなもの)を設けていました。現在も、本丸北東部の崖からは旧城下である仙台市街地や広瀬川など美しい景色を望むことができます。政宗公もかつてここから景色を眺めていたのかもしれませんね!

2代藩主・忠宗公の時代に二の丸御殿が完成すると、政務の中心は二の丸御殿へと移り、大広間などは儀式用の殿舎として使用されるようになりました。

宮城縣護國神社
明治37年(1904)に創建された宮城縣護國神社

現在の本丸跡は、「宮城縣護國神社」や伊達政宗公が祀られている「浦安宮」、フードコート、青葉城資料展示館が並び、さらに運が良ければ「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」のウエルカムなおもてなしも受けられ、とても賑やかな雰囲気です!

ちなみに、青葉城資料展示館ではナビゲーターが本丸跡を案内する「仙台城VRゴー」(有料)を事前予約制(TEL022-227-7077)で行っています。VRゴーグルを通して、政宗公のいた時代の仙台城へタイムトリップが可能に! 360度、目の前に広がる往時の姿に感動すること間違いなしです。

随一の見どころは本丸の石垣!

仙台城、石垣
北面石垣の上には、艮櫓・東脇櫓・西脇櫓の3基の三重櫓が建っていた。残念ながら櫓は正保の大地震で倒壊し、江戸時代に再建されることはなかった

仙台城、石垣
本丸北面石垣と伊達政宗公騎馬像は毎日、日没からライトアップが実施されている。光のバリエーションも豊かで、夜の訪問も楽しい

仙台城といえば、特に石垣が見どころ。ゆるやかな地形の本丸北面は、守りを固めるために長さ179mにわたって石垣が積まれています。その高さは最も高いところで17m! 平成9年(1997)から5年間かけて孕みを直す修復作業が行われており、その際、
・築城当初の石垣
・寛文8年(1668)の地震以前に築かれた石垣
・寛文8年(1668)の地震以後に修築した石垣
全部で3期の石垣が確認されました。

ちなみに、いま目にしている平成修復後の石垣は、最終段階となる3期目の石垣で、東日本大震災の揺れでも崩れませんでした!

仙台城、石垣
本丸にある石垣モデル。
(左上)寛文8年以降に築かれた3期目の石垣、(左下)その裏側、(右上)築城当初に積まれた石垣、(右下)その裏側

本丸には、1期目の石垣と3期目の石垣を比較できる石垣展示があります。石を見比べてみると、形が全然違うことがわかりますね! 四角形に整形された築石は、寛文8年(1668)の地震後の修復によるもの。形をキッチリ整えた「切込みハギ」です。

奥に細長い形をした石の裏には細かい小石(「栗石」という)がたくさん詰まっています。石垣にとって一番の天敵は水! 水を排出し安定させるための知恵なのです。

一方、自然石をそのまま利用した石垣(野面積み)もあります。これは仙台城が築城された初期の頃と考えられる石垣です。野面積みは、それほどの高さは積めませんが強度が増す積み方。時期が60〜70年違うだけで、これほどの差があるのですね。

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仙台城、刻印
艮櫓跡の下あたりで見つけた刻印。「井」の中に四角が描かれたような記号だ

本丸北面の石垣には、記号や漢数字など約50種類3,000個の刻印が確認されており、なかには「慶安五年八月十五日」と日付が彫られた石も見つかっています。刻印は、よく観察すると見つけられるのでぜひ探してみてくださいね。

もっともっと石垣を見て!

仙台城、石垣
本丸北西面・西面の石垣の石は、自然石や加工された石など違いが目立つ。積み方も目地を揃えた布積みや、目地の揃っていない乱積みなどさまざま(写真提供:初芽)

本丸北面から西面へ向かうと、石垣は表情を変えます。江戸時代に石垣が築かれて以降たびたび崩落が発生し、段階的に積み直しを行ってきたため石の違いが目立ちます。境目は時代の違いを感じ取れるポイント!

北面だけではなくここまで足を伸ばせたらお城ツウです。ただし、石垣のすぐ横は車道になっていますので、見学時は十分にご注意ください。

仙台城、石垣
観光客の多い仙台城では唯一、人通りのない空間。静けさの中で時を越えて昔に想いを馳せる、たまらない瞬間だ(写真提供:初芽)

こちらは本丸酉門(とりのもん)跡。囲まれた枡形の空間、そして積まれた石垣がかっこいいですね! 江戸時代以降の石垣崩落と復旧作業の過程で、自然石と切石が混在して積まれているポイントです。昭和や平成の地震でも崩落し、古写真や残存箇所を参考にしながら積み直しが行われました。現在は立ち入りができないため、柵越しに見学しましょう。

旧国宝に指定されていた華やかな大手門と脇櫓

仙台城、脇櫓
昭和42年(1967)に復元された脇櫓。現在、道路となっている場所にはかつて大手門が建っていた。この道路を挟んで反対側には仙台城で唯一残る構築物の二の丸土塀がある

仙台城の大手には、戦前の国宝に指定されていた大手門がありました。門の正確な築城年代は不明ですが、政宗公の時代のものとする説や2代藩主忠宗公が二の丸を作った時期のものとする説があります。古写真によると2階建ての櫓門で、桐紋や菊紋の飾りがついた威厳のある門だったようです。

しかし、太平洋戦争による仙台空襲で焼失。空襲は、他に脇櫓や巽門もこの世から消えてしまいました。昭和42年(1967)には大手門跡の横に脇櫓が再建され、今や仙台城入口のランドマークとなっています。

現在、仙台市教育委員会では2038年度完成を目指し、大手門の復元に着手するという基本計画が発表されました。とても楽しみです!

仙台城、中門跡
本丸から大手門へ向かう途中にある中門跡。石垣に注目すると、写真奥は自然石を使用し、写真手前にはしっかり整形された石が使われている点が面白い

かつては2階建ての櫓門があった中門。発掘調査では金箔瓦も見つかっているため、輝かしい豪華な姿だったことが想像できます。道がS字に曲がっているのは、まさしく門があった名残り。城を巡っていると出会えるキュンポイントです!

中門は、大正9年(1920)までは残っていましたが取り壊され、一部の木材は旧陸軍時代に建てられた第二師団長官舎の正門に再利用されたと考えられてます。現在は、移築され宮城県知事公館の正門として公開されていますので、併せて訪れてみてください。

政宗公も登るのが大変だった堅固な城

若林城
仙台市若林区古城の若林城。仙台城の本丸に匹敵するほどの広さだった。現在、城跡は宮城刑務所となっている

仙台城は、慶長16年(1611)に訪れたスペイン人、セバスチャン・ビスカイノが著書『金銀島探検報告』の中で「最も堅固なるものの一つ」と表現するほど防御に優れた場所に築かれました。しかし、日常的に青葉山へ登るのは一苦労‥‥。広瀬川を渡った先にある「花壇」と呼ばれた場所にあった屋敷で過ごすことが多くなっていたようです。

そこで、幕府より許しをもらい、寛永5年(1628)仙台城の東南4.4kmの地点に若林城という平城を築城! 以降、晩年の政宗公はそこで8年間暮らしていたと考えられています。若林城には今も立派な土塁が残っていますが、中は刑務所となっているため立ち入ることはできません。例え、政宗公のファンでも、城が大好きでも、超えられない壁(土塁)が立ちはだかっています!

伊達家の歴史を感じられ、多くの観光客を魅了する人気の城

豪華絢爛な本丸御殿は明治7年(1874)頃で取り壊され、軍の施設へと変わった二の丸御殿も明治15年(1882)の火災で焼失してしまいました。残る建物も仙台空襲で姿を消しましたが、伊達政宗公の高い人気からたくさんの観光客が訪れる、東北屈指の史跡名所となっています。

本丸跡にある青葉城資料展示館、三の丸跡にある仙台市博物館、そして政宗公も眠る瑞鳳殿にも立ち寄りながら、時間の許す限り仙台をたっぷり味わってください。

<仙台城跡の基本情報>
住所:宮城県仙台市青葉区川内
電話番号:022-214-8544(仙台市教育局文化財課)
開館時間:青葉城資料展示館…9:00〜17:00(11/4〜3/31は16:00)、仙台城見聞館…9:00〜17:00(年中無休) ※園内は入場自由 ※駐車場は有料
アクセス:JR仙台駅西口より青葉通一番町駅行きバスに乗り「仙台城跡」バス停下車、徒歩すぐ。

<参考文献・サイト>
・小川望 編『江戸の土器』(株式会社ニューサイエンス社、2019年)


いなもとかおり
 執筆・写真/いなもと かおり <お城情報WEBメディア 城びと>
 お城マニア&観光ライター
 年間120城を巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月プロフィール更新

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