2021/08/31
日本100名城・続日本100名城のお城 【続日本100名城・笠間城(茨城)】中世の土造りをリミックスした近世の城
茨城県を代表する城といえば水戸城や土浦城、小田城など土塁や空堀を巡らせた「土造り」が主流です。関東は採れる石が少なく、また関東ローム層というツルツル滑る粘土質の土壌であったため、守りに堅い城を築くことができました。そんななか、笠間城は県内でも希少な石垣が積まれた城。しかも、中世の土造りの城も、近世の石垣造りの城も楽しめる2倍おいしい山城! え、なんで両方楽しめるの!?(※2020年6月17日初回公開)
笠間城の歴史と歴代城主
かさま歴史交流館井筒屋2階・歴史展示コーナー内にある模型。笠間城の全容がよくわかる!
標高207mの佐白山(さしろさん)に築かれた笠間城(茨城県笠間市)。天正18年(1590)豊臣秀吉による「小田原攻め」まで、笠間氏が約380年にわたり代々城主を勤めました。北条氏に味方した笠間氏が滅亡した後は宇都宮氏の家臣が入城。この頃の笠間城は、山の地形を利用し土塁や堀切を設けた、いわゆる中世城郭でしたが、慶長3年(1598)に蒲生郷成(がもうさとなり)が入り登城路の修復や天守曲輪の整備を実施。近世城郭へと姿を変えました。
石垣は11ヶ所で確認されている。こちらは千人溜から徒歩7分ほどで出会える三の曲輪の下、道沿いの石垣
江戸時代には松井松平家、小笠原家と城主が代わり、天領の期間を経て、戸田松平家、浅野家が入城。8万石で入った牧野家が最後の藩主となり、延享4年(1747)から9代に渡りこの地を治め、藩政の改革や藩校「時習館」を創設しました。
笠間城を散策してみよう!
笠間城は、近世城郭として整備・構築された石垣の部分と、一方で、堀切・土塁といった土造りの要素も見学できる、城好きをワクワクさせてくれる城です! 散策する際は、石垣が使われた…つまり近世城郭として改修された部分がどこか?などにも注目しながら歩いてみましょう。
大手門跡。後世に道ができたため破壊されているが、石垣をたどると枡形空間だったことがわかる
大手門の正面に見られる石垣。とても立派だ!
縄張は、本丸、ニの曲輪、三の曲輪、そして天守曲輪などが設けられた山城でした。記録によれば、大手門の前には堀があり、木橋または土橋どちらかを渡って入る構造だったようです。石垣に囲まれた四角い空間は、枡形虎口のなごり。のちに作られた道によって破壊されていますが、石垣をたどっていくと大手門の大きさがわかります。
大手門の北側には現在駐車場となっている的場丸(千人溜ともいう)があり、江戸時代には的場丸の周囲に侍屋敷が点在していたようです。
土造りのダイナミックさを感じる本丸
本丸。写真の奥にあるのが八幡台櫓が建っていた巨大な土塁だ
大手門、中門、二ノ門、玄関門を通り過ぎると本丸に出ます。
当時、本丸には八幡台櫓や宍ヶ崎櫓、御殿、城門などが構えられており、なんといっても本丸と天守のある曲輪が別々に設けられていた点が特徴的です。1640年頃までは本丸の御殿で生活してたようですが、多くの家臣が働くには手狭になり、また山道を登る出勤も大変だったことから、浅野長直が藩主の代に山麓にある下屋敷へと移りました。
本丸南西に位置する、八幡台櫓の建っていた大きな土塁は実に見事! 土造りの城のダイナミックさを感じられる楽しいスポットです。
近世城郭の石垣を楽しめる!天守曲輪
本丸と天守曲輪の間には堀があり、門があったであろう場所には突起(ホゾ)穴つきの礎石を見ることができる
蒲生氏が築いたとされる高さ4.3mの石垣。東日本大震災の影響で今もシートがかかっている
本丸の北東、堀切を越えると天守曲輪に出ます。笠間城が近世城郭として整備されたのは、築城名手としても知られる蒲生氏郷(うじさと)の家臣・蒲生郷成が城主の頃でした。
茨城県内は石垣の城がほとんどなく、その中でも要所要所で石を積んでいる笠間城は、石垣を楽しめる貴重な城といえます。なかでも天守曲輪の石垣は見事! 蒲生氏の出身が、石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」のいる近江出身だったこともあり、石垣を構築したのは蒲生郷成の時代だと考えられています。
石垣横の階段を登ると、かつて二重の天守が建っていた天守台がある。現在は佐志能神社が鎮座しているが、東日本大震災の影響で2020年6月現在も立ち入りができない
天守は明治6年(1873)の廃城令を機に取り壊され、代わりに明治時代に建立された佐志能神社が鎮座しています。天守の廃材は神社の拝殿に使われているといわれていますが、その真相は不明です。東日本大震災の影響で、拝殿付近は立ち入り禁止区域となっています。注意をしながら見学してください。
佐白山の花崗岩を採石した石垣
本丸と天守曲輪の間の堀切から続く道を、10分ほど歩くと岩盤が露出した場所に出る
笠間城のある佐白山は花崗岩が露出した山だったので、石垣を築くには都合が良かったようです。天守曲輪裏側の「石倉」と呼ばれる場所には巨石がゴロゴロと転がっています。石からは岩盤を割る際についた痕跡の「矢穴(やあな)」も見つけることができますよ。
「かさま歴史交流館井筒屋」の展示が面白い!
平成30年(2018)にオープン!笠間観光の情報発信地だ
明治中期から続く老舗旅館が改修され「かさま歴史交流館井筒屋」としてリニューアルオープンしました。笠間で愛された井筒屋本館は、平成23年(2011)の東日本大震災を機に閉館となり、歴史ある建造物を後世に残したいと平成28年(2016)より改修工事を開始。道路に面していたため、曳家(ひきや)によって14m場所を移動させています。
続日本100名城スタンプがあるのは1階観光インフォメーションですが、ここで帰ってしまってはもったいない! 2階「歴史展示コーナー」がとてもわかりやすく、模型や解説パネル、さらには出土遺物も展示されているので、笠間城散策には欠かせない立ち寄りスポットとなっています。(※スタンプの設置場所は変更になる場合があります。事前にご確認ください)
ちょっと足を伸ばして移築櫓を見に行こう!
お寺の境内にある七面堂。茨城県指定文化財「笠間城櫓」に指定されたとても貴重な笠間城の遺構!
本丸にあったとされる八幡台櫓は、なんと今でも見ることができます! 笠間城から車で約10分ほど走った場所にある真浄寺。明治13年(1880)に移築された八幡台櫓は、こちらの七面堂として生まれ変わり今でも現役で活躍しています。この他、薬医門なども民家に払い下げられ移築現存。私有地にあるため見学は外観のみとなっておりますが、城下にはこのように貴重な遺構も残っています。
映える城下も魅力の笠間
佐白山の麓には商売繁盛や縁結びにご利益がある笠間稲荷神社があり、門前通りは食べ歩きの楽しいスポットに! 名物「そばいなり」や茨城県産の米を使った稲荷せんべい、おやきやお団子、ハワイアンパンケーキなどついつい寄り道したくなるお店が軒を連ねています。そして「陶芸のまち」笠間に息づいた文化と触れる“町ブラ歩き”も楽しいですよ。笠間城を見学したあとに、立ち寄ってみてくださいね!
<笠間城の基本情報>
住所:茨城県笠間市笠間3616ほか
電話番号:0296-77-1101(生涯学習課 文化振興室)
アクセス:JR笠間駅から徒歩50分
<かさま歴史交流館井筒屋の基本情報>
住所:茨城県笠間市笠間987
電話番号:0296-71-8118
営業時間:9:00〜22:00
※営業時間は変更になる場合がありますので、事前にご確認ください。
休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日)
アクセス:JR笠間駅から徒歩20分
執筆・写真/いなもと かおり
お城マニア&観光ライター
年間120城を巡るマニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月プロフィール更新