前田慶次の自腹でお城めぐり 【第20回】凸郡上八幡城 前編~日ノ本最古木造再建城~

お城に関する豊富な知識を持つ名古屋おもてなし武将隊®の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、木造で再建されたお城では日本最古となる郡上八幡城(岐阜県郡上市)の前編です。城下町から天守に向かう道中の注目ポイントを詳しく紹介してくださいます慶次様も大興奮の石垣とは?

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四八十一歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十四年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

郡上八幡城 城郭の魅力度を数値化

前田慶次、郡上八幡城

日ノ本最古の木造再建城! 
前田慶次、郡上八幡城

【基本情報】

城郭構造:平山城・山城
主な築城者:遠藤盛数
築城年:永禄2年(1559)
廃城:明治2年(1869)
指定文化財:岐阜県史跡、郡上市有形文化財(模擬天守)

【歴史】

■郡上を巡る争いの中で築城
郡上一円を支配する東氏と遠藤盛数(もりかず)との間で合戦が勃発!
「赤谷山城の戦い」の時に遠藤盛数が構えた陣の場所が郡上八幡城の始まり!

■現在の姿の原型は稲葉家による大改修
遠藤家が拠点としていたが羽柴家との対立で追放。
天正16年(1588)に稲葉貞通(さだみち)が入城。
堀・塀・天守台を新たに築城し二の丸を増築し居館とした。
今の郡上八幡城の原型がこの時分に完成!

■遠藤家返り咲く
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの武功で遠藤家が城主に戻り、普請を中心とした改修を行う!

■城主が入れ替わり廃城へ
遠藤家が城主を務めていたが、以後は城主が度々変わり中でも青山家が長く務める。
明治時代を迎え廃藩置県により郡上八幡城は石垣だけを残して廃城。

■木造再建の偉業へ
現在木造最古の再建天守として名を馳せている天守は、
昭和8年(1933)大垣城を参考に木造四層の模擬天守を再建!
内部は歴史資料館としても利用されておる!

■最近
日本100名城の選考対象となるが、落選。2017年続日本100名城に指定される。
再建90周年を機に耐震補強工事等が行われ2023年4月にリニューアルオープンされた!

前田慶次、郡上八幡城

前田慶次、郡上八幡城、名古屋駅

【名古屋から岐阜へ】

此度は美濃国から全国へその名を轟かせる「郡上八幡城」へ参る!
この連載は名古屋の虎口(玄関口)名古屋駅から出陣致す!
して、連載で掛かる費用は我が懐金(ポケットマネー)で参るが、残金は2万849円
鉄籠(電車)にてJR名古屋駅から岐阜駅へ移動じゃ!

前田慶次、郡上八幡城、岐阜駅バス
岐阜駅バス乗り場案内
 
前田慶次、郡上八幡城、岐阜駅バス

【岐阜駅から高速鉄籠】

凡そ四半刻(30分)程で到着である!
ここから高速鉄籠(バス)にて郡上の地へ行軍致す!

郡上市は岐阜県のほぼ中央に位置しており、城下町の姿もキレイに残っておる事でも有名であるぞ!
岐阜駅には金色の信長様像が聳え立っておるで、戦前に運気を上げるべく写し絵は写真撮っておくと良かろう!
14番口から郡上へ出陣じゃー!

前田慶次、郡上八幡城、岐阜駅バス

高速鉄籠の車内に候。約一時間半程かかるそうじゃ。
乗り心地が良いでウトウトしてもうたわ。

前田慶次、郡上八幡城、城下町

前田慶次、郡上八幡城、大手門跡
 

【郡上八幡城下町着陣!目の前に…】

郡上八幡城下町プラザ前に鉄籠が着陣!
前田慶次初の郡上の地へ舞い降り申して、早速驚き申した!

慶次「目の前に大手門跡があるではないか!」

何と目の前には郡上八幡城の大手門跡の看板が御座った。
四辻(十字路)に明治維新まで黒塗の立派な大手門があったと記載。
恐らく城内で最も大きな門であったはず。

大手門というのは城の顔と言っても過言ではない!
江戸期以降ともなれば戦いだけでなく、政治的な側面も必要とされ
権力の象徴ともいえるのが大手門の役割。黒塗も拘りが見える。
白漆喰でない故にちと古めの形式であったやもしれぬな!?

前田慶次、郡上八幡城、大手門跡
※天守展示資料より

嘗(かつ)ての絵図面では櫓門であった可能性がある。
城の顔に相応しい立派な櫓門。図面は白漆喰にも感じるがどうであったろうか。
現在の四辻からは想像が出来ぬ厳重な造りであったのが分かるであろう?

慶次「が。この絵図面…大手門突破されておるがな! ワッハハハハハハ」

前田慶次、郡上八幡城、郡上八幡城下町プラザ

郡上八幡城下町プラザは観光案内所にもなっており土産も多数あるぞ!
此処で郡上の案内地図を手に入れる事を勧める!
ほいで丁寧に郡上八幡城への道順も記されておる!

慶次「因みに郡上は山内一豊の妻、千代の生誕地でもある。
現世の大河ドラマでも多数取り上げられて有名と聞くぞ」

前田慶次、郡上八幡城
 
地図によると天守は東にあるようじゃ。写し絵も東に向かって行軍しておる様である。
 
前田慶次、郡上八幡城、縄張

前田慶次、郡上八幡城、縄張

【縄張から学ぶ郡上八幡城の防御策】

郡上八幡城の史跡の碑発見!
隣には大きな地図もあり、縄張・全体の地形が分かり申す。

南側には長良川の支流として最大の「吉田川」、西から北に向かって「小駄良川」が流れており申す。
川の間に城下町を構えておる故に水運としても活躍したであろうし、
城としては鉄壁の防御策としても機能したことが地図から読み取れる。
つまり、郡上八幡城の外堀として機能していたはずじゃ!

慶次「郡上八幡城を攻めようと考えれば、川が確実に行軍の妨げとなる。
此れ程大きな川となれば橋を架ける。
実際掛かっておるが、大軍における侵攻がし辛く守り手からすれば、
その隙を突けば相手に大きな攻撃を与える事は容易!
何処の城も縄張は基本であり最も大切な選定であるが、
郡上八幡城は中々攻め難い縄張と言える」

現在川は郡上名物の一つとしても名を馳せており、“飛び込み”と呼ばれし遊びが人気と聞く。
川への飛び込みは我等の時代から泳法として身に付けたりしたが、現世は遊戯で大人気!
じゃが、怪我をせぬように細心の注意を持って遊んでもらいたいのう!

また、川が誠に綺麗だで観光で緩やかに歩みながら川を愛でたり、茶屋から川の声を聴くのも良さそうじゃ。
自然の美しさが郡上の良き所!

前田慶次、郡上八幡城

平山城故に坂を行軍! 城巡りの醍醐味!
 
前田慶次、郡上八幡城

舗装された街道を支えるは現世の石垣!
城故に景観を大切にしておるのが分かる。

前田慶次、郡上八幡城、山内一豊と千代

【山内一豊の妻“千代”】

尾張出自にして内助の功で出世を果たしたので有名な男。
その名は「山内一豊」。土佐国は高知県の祖としても有名か!?

乱世に生きた武士を支え御家繁栄に貢献した
素晴らしき姫であるのが山内一豊の妻「千代」である。
千代はこの地の生まれという事で斯様な石像が建立されておる!
郡上八幡城城主遠藤家の血筋と聞く。※諸説あり

千代はへそくりで夫一豊が欲しがっていた大きな名馬を購入!
その馬で織田軍の馬揃え(軍事パレード)に参加し
信長様の目に留まり出世のきっかけを作ったのは非常に有名な話。
この石像にも馬が共に作られており、その逸話を意識しておるのではなかろうか?

慶次「チラッと後ろに天守が見えるが気付いたか?
此処で写し絵撮るのを勧める!」

また、この曲輪は区画が嘗ての「本丸」のようじゃ。
現在は公園のような場所となっておるが、屋敷を構えて日常は此処に住み、
戦があれば天守がある山に登るということじゃ!

では、登って参ろう!

前田慶次、郡上八幡城、石垣

【石垣発見】

郡上八幡城の遺構は石垣と曲輪。他は再建のような塩梅じゃ!
見ての通り野面積みと呼ばれし築城技術としては初期の積み方に見える。
高さを出すために端には算木積みも見受けられるが、完成した形式をとっていない。

修復作業も何度も行っておるであろうし、
何より石垣の平地部分は現世の技術で修繕されておる故に、
景観を大切に積まれたものやもしれぬ。

前田慶次、郡上八幡城、案内図

【案内図には映えが!!】

ある程度登り申すと、大きな案内看板が御座る!
全体図も分かりやすく映えスポットなるものも記されており
観光の者に丁寧な造りで天晴れである!

前田慶次、郡上八幡城、石垣
 
ご覧の通り素晴らしき石垣も数多登場して参ったぞ!
何処で写しても絵になる事間違いなしじゃ。

ほいで、先程の石垣よりも高さもあり、綺麗な布積みとは言い切れぬが築城技術の向上が見て取れる。
先程のものと時代が違い石の加工は打込み接ぎでもある。

郡上八幡城、前田慶次、石段

【王道の守備とは】

石段に石垣を背に写し絵を撮れば見事戦国時代の一枚となる!
紅葉の時期に参れば真っ赤に染まりより優美な一枚ともなりそうじゃ!

石段は平山城・山城の特徴で歪な形を敢えて採用し、
登りよる敵が足元にも注意がいくような仕掛けである。
足元に気が取られておる間に守備兵は相手の頭上から攻撃を仕掛ける!
長年採用され続けている防御策じゃ!

郡上八幡城、前田慶次、石垣

大興奮の儂! なぜか?
 
郡上八幡城、前田慶次、石垣

【石垣の高さを工夫】

写し絵を見てちょ。石垣と石垣の間に狭い平地は空間があるであろう?
此れを「芝土居」と申して、崩れるのを防ぐ効果があるし、
外から見ると石垣が高く見えるという一石二鳥のような造りなのじゃ!
ほいで、石垣→土居→石垣の構造になっておる故に
此れ全体を称して「鉢巻腰巻石垣」とも現世では呼ばれておる!

慶次「儂は斯様な造りの城が傾いておって好みじゃ!
ただ、見た目だけでなく、土台の意味合いもあり是非他の城でも見つけて欲しいわな!」

郡上八幡城、前田慶次、天守

天守も目の前に迫って参った! 見事な写し絵であろう?
儂も大満足の景観である。

では、此度の連載記事は此処まで!
次回は天守に潜入し郡上の魅力をも伝えて参るぞ!

次回の記事も楽しみにしてちょ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

凸伝令

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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

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