前田慶次の自腹でお城めぐり 【第18回】凸長浜城 後編~羽柴軍尽くし~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、天下人となった豊臣秀吉の出世城として知られる長浜城(滋賀県長浜市)の後編。往時の長浜城の構造やスケール、秀吉が城下町を開いた時代の栄華を示す遺構の数々、さらにぜひとも立ち寄りたい城下町グルメまで余すところなく紹介します。

▼前編はこちら
【第18回】凸長浜城 前編~秀吉初めての城~

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四八十一歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十四年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。。

長浜城 城郭の魅力度を数値化

長浜城
 
羽柴秀吉の転機となった出世城!

長浜城

【基本情報】

城郭構造:平城
主な築城者:羽柴秀吉
築城年:天正2年1574
廃城:慶長20年(1615)
指定文化財:長浜城跡(市指定史跡)

【歴史】

■バサラ大名が築城
「長浜」は元々「今浜」と呼ばれ、バサラ大名こと京極道誉(どうよ)が室町時代初期に築城。
因みに京極家の祖は鎌倉幕府創世記を支えた佐々木家である。(『鎌倉殿の13人』でも源頼朝挙兵時から登場した人物)
 
■羽柴秀吉時代
姉川の合戦(1570年)で活躍し、浅井家が滅亡した後にこの地を拝領したのが羽柴秀吉!
小谷城に入城し今浜に城を築城開始!(完成1577年)
今浜から長浜に地名を改め、1574年頃に拠点を長浜に移し天正10年(1582)まで居城とした!
長浜の地名に変更したのは主君である織田信長から字を取っている!

■山内一豊時代
天正11年(1583)賤ケ岳の戦いでは羽柴秀吉は長浜城を拠点としており勝利を収めている!
以降(1585年~)は家臣である山内一豊(高知城築城で有名)が城主を務めた!

■江戸時代廃城
江戸時代に突入すると徳川家康の異母兄弟である内藤信光が入城。
内藤信光の子が摂津高槻に移ると長浜城は廃城となった。

■最近の出来事
昭和37年(1962)長浜城は市指定文化財に指定される!

前田慶次

長浜城、旧長浜領境界碑

【長浜領の境界線!?】

さぁ後半戦開戦じゃ!!
長浜城天守を見て回り旧天守跡を発見した辺りで長浜城の構造も知る!
そこで、更に斯様な看板が!!

慶次「旧長浜領境界碑! 此れは秀吉様の神対応の証ではないか」

秀吉様が嘗て行った特別年貢免除地域を示した看板である!
年貢=税金と考えれば分かり易かろう。
秀吉様は生誕地中村(名古屋市中村区)も年貢の代わりに野菜を献上すれば年貢免除としていた!

慶次「秀吉様は自分が世話になった地域は特別対応しがちである! ワッハハハハハハ」

現在この地域を示す看板は十余本を数える程しか存在しておらず、その内元の位置にあるものは数本のみ。
元々は三十数本あったそうじゃ! 此れも貴重な遺構と言えよう。

周辺をぞろぞろ

長浜城、太閤井戸

さて此処はどこじゃろうか

長浜城、太閤井戸

【太閤井戸は貴重!!】

琵琶湖から姿を現したこの石碑は「太閤井戸」である!
秀吉様が在城時に使用したと言われる井戸であり、
現在は長浜城の数少ない遺構の一つである!

慶次「渇水時のみ、姿を出して見る事ができるぞ!
斯様な写し絵は中々撮れぬ故に貴重な映え田慶次じゃ!!」

美しき琵琶湖に想いを馳せながら更に周辺を散策!
(琵琶湖は戦国時代の最大級の交通の要所! 因みに儂の生まれは近江だで、色々思い出深い)
 
長浜城、石垣出土の石碑

長浜城、石垣出土の石碑
 

【長浜城に石垣!?】

此方は長浜城石垣出土の石碑で御座る!
現世で発掘調査をしたところ、この辺りで根石が発見されたそうじゃ!
その数30数個!

秀吉様在城時と考えれば、当時石垣技術は最先端故に流石秀吉様であるし
穴太衆(あのうしゅう)が普請したのであろうな。

このすぐ近くが…

長浜城、本丸跡

【本丸跡】

慶次「丁度天守も映る故に正に、本丸!?といった具合であるが。ワッハハハハハハ」

本丸跡は本来手前にある石碑の場所にあった!
場所が変わるのも現世あるあるの一つじゃ。

天守も異なる場所に再建をされたりと、
本来とは異なる場所に存在する故に城巡り初心者は、
建物の場所も誠か!?と疑ってみるとより楽しめるぞ!
桜の時期は此処から壮大な景色が見られそうじゃ!!

天守西側に石垣の遺構があると聞いた故にそれを探しに参る!

長浜城、石垣

【石垣の遺構】

天守西側に石垣の遺構が御座った!
これは散乱した石を集めて積んだそうじゃ!

慶次「ご覧の通り、儂の背丈六尺(182㎝)と同じくらいの高さを誇る。
散乱したもの故に元々は異なる箇所に使われたもののようじゃが、
石も大きい故に本丸に相応しい権威溢れる石垣である!」

※探すのにどえりゃー時間が掛ったのは此処だけの話ぞ!

長浜城、人柱おかね

【人柱おかね】

城郭の築城に関して強固な城にすべく戦国時代で多く行われたのが「人柱」である。
今では考えらぬ習慣である故に、皆に歴史を伝えるべく記事にし申す。

長浜城も築城する際に人柱を使用しており、
「おかね」と呼ばれしこの辺りで一番の美女で聡明な女子を人柱にしておる。

慶次「おかねは長浜一円が繁栄すること願って自らの命を捧げたそうじゃ」

おかねの想いと力をもって長浜は栄えて良き町となったのであろう。

長浜城、復興天守

周辺の散策も出来たし腹も減った故に長浜名物を探しに参るぞ!
長浜駅の方に戻り申す!

長浜城、石田三成の銅像

長浜駅東口には秀吉様と幼少の石田三成の銅像が!
秀吉様と三成はこの地で出会ったと言われておる。

長浜城、外堀跡

長浜城、外堀跡
 
長浜城、外堀跡

【東口にも歴史の爪痕】

東口辺りに長浜城外堀跡が御座った!
外堀跡が埋め立てられ街道は道路に現在は姿を変えておる!
2枚目の写真のように小さな堀に変化しておった!
確か松阪城も同じような変化であったのう!

また、長浜領であった事を示す石碑が此方にも!!

慶次「この辺りの者は先述したが、年貢免除!
故にこの辺りの物件は人気であったろう。
現世で考えても、斯様なお得な土地があるなら皆も住むじゃろ?」

長浜城、北国海道
 

【北国海道(黒壁スクエア)は観光地】

此方は秀吉様が城下町として開き栄えた場所である!
現在この辺りを黒壁スクエアと呼んでおり、
当時の名残りとして古き建物が連なり、
飲食店や呉服屋、様々な体験が叶う店が盛り立てておる!

慶次「儂が参った日も多くの物見遊山者が訪れており賑わいをみせておったぞ!
ええ匂いが至る所からするからのう! 腹も減るわい!!」

さぁ派手に観光しようか!!

が。
儂には参りたい所がある故に先にそちらへ参る!

長浜城、大通寺台所門

長浜城、大通寺台所門

【大通寺台所門は〇〇】

黒壁スクエアを通り抜けてすぐ御座る此方は長浜別院大通寺であり、その台所門前での一枚。
実はこの台所門は長浜城の大手門であったと伝わる。
(故に市指定文化財で歴史がある)

慶次「これ程大きな大手門(正面)は客人来客も意識した造りと言える。
壮大な城を魅せるのが織田家のやり方じゃからな!」

城郭にあった門を寺社に転用されることも全国的によくあることじゃ!

長浜城、大通寺台所門、山門

山門。誠に壮大じゃ!

長浜城、大通寺、車寄

車寄(玄関)。武家風書院造になっておるのう

長浜城、大通寺

【大通寺】
大通寺は江戸時代初期に建立され東本願寺の別院として地元の者達に親しまれて参った!
伏見城の遺構と伝わる本堂等が重要文化財に指定される!

慶次「誠に壮大な建物ばかし故に、時許せば是非見て参りたい!」

此れにて歴史的に儂の見たいものは終いだで、腹ごしらえと参るぞ!
黒壁スクエアに戻り、長浜名物に舌鼓を打とうという事で先ずは此方!

長浜城、納安

長浜城、納安

長浜城、納安

【長浜名物 納安(なやす)】

此方は「ゴブラン焼き」と呼ばれし和菓子に候!
カステラと饅頭を組み合わせたような菓子で御座って、味も複数あるのじゃ。

定番はリンゴや大納言(こしあんと小豆)。
何れも食してみたが、誠に美味であったし大きさといいお土産にも良さそうじゃ!
何やら他では作っておらんようだで、長浜へ参ったら是非とも食べたい一品!

慶次「ゴブラン焼きの由来が400年の歴史があり、秀吉様が催した祭がきっかけ。
儂の貼紙はシールも店に貼らせてもらったぞ!」

続いて!

長浜城、菓匠禄兵衛、福みたらし

長浜城、菓匠禄兵衛、福みたらし

長浜城、菓匠禄兵衛、福みたらし
    

【菓匠禄兵衛(かしょうろくべえ) 福みたらし】

菓匠禄兵衛殿は現世の流行りは映えを意識したみたらし団子が御座った!
傾奇者の儂としては斯様な食べ物は見逃すことができぬ!!
フォトスポットなる写絵の撮影の陣まで用意されており、異国の者も喜びそうな仕掛けで楽しげじゃ!!

慶次「福みたらしは素材にも拘(こだわ)っており地元の食材を使用し作られておる。
団子がにっこり微笑んでおり、ちべたくとも美味い!
食べる者が笑顔になれる不思議な団子じゃ! 皆も食べて写し絵撮っみると良かろう!」

っと店の目の前には何と!

長浜城、外堀跡

長浜城外堀跡発見じゃ!
ほいで、現在水路であるという事で、ある意味遺構で御座るな!
昔は三十メートルの長さがあったそうじゃ。
ほいでほいで! 気付いたか? 儂の後ろに見えるのは…

長浜城、大手門跡

【大手門跡】

長浜城大手門跡が御座った! まさか東口に大手門(正面門)があるとは。
こう考えると長浜城も中々広い城であったことが分かろう!?

ほいでこの目の前にあるのが

長浜城、豊国神社

長浜城、豊国神社

【豊国神社】

秀吉様を祀った豊国神社が御座った!
また、ちと愉快なのが秀吉様の子飼いの家臣である築城名手加藤清正の像もあることじゃ!
思わず儂も此の笑み!!

秀吉様、清正、三成と長浜はやはり豊臣家の街と言っても過言ではなかろう!
秀吉様と申せば、日輪の子、太閤、出世の神様という事で
儂の今後の城びと運気を占って参る!

長浜城、豊国神社

【中吉】

旅立 いずれに行くも損無
学問 自己への甘えをすてよ

とな。
つまり城巡りはどこへ参っても吉!
学問は続ければ結果は最良というわけじゃ!
此の前向きな心しか無い儂にとっては大吉と言える内容であった!

【まとめ】

此度の長浜城巡り如何であったか?
秀吉様が拠点とされ出世街道を走った城は、
城郭の魅力だけでなく素晴らしき城下町にも是非足を運びたい場所と言えよう!

遺構は多くはないが、彦根城へ転用されておったりと次世代へ繋いだ大切な礎を感じて欲しい次第。
琵琶湖が交通の要所であり、当時の戦況を考えると織田軍において力を入れた土地、長浜に皆も遊びに参るが良い!

残金30657円
次は何処の城へ参ろうか! 楽しみじゃ!

次回の記事も楽しみにしてちょ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

凸伝令

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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)