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higekam

赤松氏の城跡というよりも古代山城か (2022/06/20 訪問)

嘉吉の乱後首謀者の赤松満祐が、居城の坂本城からこの山城に登り自刃したということで訪問。ただ、城跡からは赤松氏らしさを見出せなかったが、大和朝廷が築いたと言われる古代山城の石塁を楽しむことはできた。

越部西公園に駐車し、一旦南に下り兵糧道伝いに登り、山頂部を縦走した後亀岩近くの大手道を下山したが、なかなかなかハードだった。登城というより登山か。
また、この時期ヒルにご注意を! 本丸周辺?でヒル3匹に食いつかれた。

なお、大手道の麓にある姥塚古墳の内部を石組みで支える天井ドームは一見の価値あり。千数百年を超えた存在感は感動もの。

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ヒロケン

東海の名城 (2022/06/11 訪問)

掛川城は、室町時代中期、守護大名今川氏が重臣の朝比奈泰能に命じて築城させた典型的な平山城です。独立丘陵と河川を利用した縄張りで水堀や枡形による技巧的な防備を併せ持つ東海の名城です。
今川義元公が桶狭間で討たれると、嫡男氏真公が跡を継ぎますが、甲斐の武田氏と三河の徳川氏の侵攻を受け、今川氏本拠地の駿府館を捨て朝比奈氏が守る掛川城に逃げ込みます。掛川城は徳川勢に包囲されましたが、半年以上もちこたえ氏真公の助命と引き換えに開城した堅城です。
掛川城に山内一豊公が5万1千石で入城すると、中世城郭であった城郭を本丸を中心に四方に曲輪を配し、天守や石垣を築き城下町を惣構で囲った織豊期の梯郭式平山城に大改修したものが、現在に残る掛川城の縄張りです。

現在の掛川城は、山内一豊公が築いた初代の天守を想定して木造で復興された天守を始め、四足門や大手門が復元・再建され、そして何と言っても、国指定重要文化財である二の丸御殿が現存しており、見所満載の城跡です。とは言っても、修復工事のため天守には令和5年1月まで入れません(*_*) 現存二の丸御殿には入館することはできますが、少々残念です。

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カズサン

【但馬大佛】兵庫県美方郡 木造金箔三大佛 (2022/06/18 訪問)

 以前から何時か訪ね参拝拝観したいと思って居た但馬大佛を、綾部市の上林城、藤懸陣屋を終えて、郷里鳥取慶讃法要へ向かう途中、舞鶴若狭道、北近畿道では遠く黒井城、竹田城、朝倉城を眺望し、八鹿氷ノ山ICを降りて国道9号線沿いに八木城、村岡陣屋を眺め素通りし村岡区和田の信号交差点を案内板に従い山道に入る、以前9号線を通った時に大きな仏閣建物の認識は有ったのですが、但馬大佛は初めての拝観参拝です。
 住所:兵庫県美方郡香美町村岡区川会642  駐車場:無料専用駐車場が在る大門前  拝観料:800円

 越前大仏と同じく福井県勝山市出身多田清氏の発願建設による、寄進譲渡後の平成6年4月17日但馬大佛開眼法要が行われた。
 但馬大佛は大仏殿に阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、薬師如来坐像の木造金箔三大佛が収まっている、身の丈15m程、床面から光背までの高さは25m程。
 
 伽藍配置は大門には左右阿形吽形の仁王像見上げる大きさです、左手に五重塔高さ70m程、各階に仏が祀って有ります、5階は釈迦如来・大日如来、阿弥陀如来の三尊が祀って有ります、右手に回廊が大門と大仏殿を結んでいます、正面に大仏殿、見上げる大きさです、高さ40m、間口55m、奥行36mの重層寄棟造、金箔の鴟尾が左右、内部の壁面には大理石造の千体佛が安置されてる。
 
 五重塔は階段が緩くゆっくりと歩けが登れました、各階の仏さんを参拝して5階まで三尊佛を拝み、回り縁からの眺めは絶景です、但馬の山々、曇って居ましたので少し残念ですが青空でしたら映えた事でしょう。

 入山した時は私一人でしたが、逐次参拝者も増え帰る頃は車も10台程と賑わってきました。
 いい体験をさせて頂きました。城廻りの途中機会が有ったら一回は拝観されたら宜しいのかと思いますが。
 
 国道9号線で鳥取城まで約1時間程かな?鳥取城の中の御門桝形石垣復元工事の進捗を確認へ向かいます。

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おっちゃん

滝山城案内図 (2017/07/22 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

大浜陣屋ノ図面 (2018/07/16 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

国史跡赤穂城跡案内図 (2015/07/26 訪問)

現地案内板より抜粋。

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にのまる

城郭寺院 (2022/05/21 訪問)

桜井城から徒歩で30分くらいでした。
寺院を取り囲む内堀に隅櫓を彷彿させる鼓楼。想像していたより城感強めでした。
内堀は絶賛発掘調査中。外堀の調査の際には火縄銃の弾丸が出土したそうです。
鐘楼、経蔵、本堂、庫裡、裏門。一揆よりずっと後ですが江戸時代の再建で、風格がありました。

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赤い城

城址公園は城跡の一部 (2022/06/12 訪問)

東武アーバンパークラインの岩槻駅から徒歩で10分。
この日は車だったので城址公園の駐車場を利用。
まずは野球場に沿った堀を歩いてみました。
引き返し公園に。
入口の辺りに裏門と黒門が移築されています。
公園内には空堀が遊歩道として整備されています。
鍛冶曲輪の部分には白鶴城の石碑があります。
古河公方に対抗するために扇谷上杉氏が太田氏に築かせた城。
後には北条氏のものとなり、障子堀の跡も残っています。
公園になっているのは先述の鍛冶曲輪と新曲輪の辺り。
本丸館跡二の丸は市街地となっていて地名が残るのみです。
ちょうど八橋から見る菖蒲池の花ショウブが綺麗に咲いていました。

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大庭城址公園 (2022/06/25 訪問)

 大庭城址公園となっています。空堀などが残っていますが、柵などがあり近づけず、また藪になってよく見えません。広範囲によい空堀が残っていると思います。

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藤沢御殿の堀跡 (2022/06/25 訪問)

 旧藤沢公民館に案内板があるとの情報で、行ってみると建物は壊されていて案内板もネットで見た場所にはなくなっていました。藤沢市民病院前にある「藤沢御殿の堀跡」の案内板を撮影して撤退しました。

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村岡城址公園 (2022/06/25 訪問)

 村岡城址公園となっています。城址碑がありました。また村岡城内の用水として使われ、村岡城五代城主の産湯としても使われたとされる三日月井跡の碑もあります。
 玉縄城から徒歩にて行きました。村岡城→玉縄城も考えましたが、グーグルマップを見ると、かなり急な登り坂が多く存在したため玉縄城→村岡城としました。ほとんど下りでしたのでよかったです。帰りは高谷小学校入口バス停からバスに乗り藤沢駅に出ました。

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清泉女学院 (2022/06/25 訪問)

 大船駅よりバスに乗り植木谷戸バス停下車して、七曲り、太鼓櫓跡、城址碑と散策しました。

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ぴーかる

太田本郷城 (2022/05/21 訪問)

【太田本郷城】
<駐車場他>浮田家住宅入館(有料)前提で駐車できる。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山城の旅5城目。太田本郷城は1573年に上杉謙信の配下松倉城主河田長親が一向一揆の城の向城として築いたのがはじまりで一揆撃退後は越中国に代官を置いた今泉城の付城として利用されました。織田信長軍が侵攻し御館の乱の際には家中に動揺が広がり上杉勢は太田本郷城を放棄して織田軍が入ります。
 現地に遺構は残っておらず石碑と説明板があるのみです。発掘調査で堀と掘立柱建物跡やかわらけが大量出土したそうですが堀・建物跡は水田に埋没しています。
 近くにある浮田家住宅は加賀藩の役邸で浮田家は藩の廻役、のちに代官職として明治まで継承したそうです。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

【丹波・藤懸陣屋】京都府綾部市 上林城西麓の陣屋 (2022/06/18 訪問)

 住所:京都府綾部市八津合町城下(上林城址西麓)
 駐車場:上林城址専用駐車場

 上林城址の西麓に在る、上林氏退転後、慶長6年(1601年)藤懸永勝が上林に6000石を領した、藤懸氏は上林城の西麓に陣屋を構え明治までこの地を治めた。(上林城説明板による)
 陣屋跡は現在民家、屋敷の前に陣屋跡の虎口かなと思われる石垣、虎口が有る、その下が金毘羅神社、その間が道に成って居り道下に石垣跡が在る、近くに長屋門を構えた民家が在り石垣と石段が備わってるが関連が有るか?は分からない。

 北東約700m程、府道1号線沿いに上林禅寺が有り、藤懸氏菩提寺であった永勝寺とが、昭和42年合寺され現本堂は永勝寺のものを移築。(上林禅寺説明板より)

 又上林禅寺の裏山が日置谷城、中城、東城に当たり、上林禅寺の裏登り道より墓場へ墓場の裾筋を尾根に向って登ると日置谷城へ当たる。(当山和尚の情報)

 

 

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ミニミニゴンシ

【究極の一枚】 (2022/06/23 訪問)

大坂城巡りの中で、内堀を見に行った時の一枚です。大坂城天守閣と御座船が凄くマッチして素敵でした。

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カズサン

【丹波・上林城】京都府綾部市 こころ旅火野正平がオープニング紹介 (2022/06/18 訪問)

 住所:京都府綾部市八津合町石橋(古城山)
 駐車場:南西麓に砂利舗装で10台は可能、簡易トイレ有るが夏草蔦に少し覆われている。
 緯度経度:35°21'33" N 135°24'20" E

 NHKのこころ旅で京都府編の中でオープニングに城跡らしき所が紹介されスタート地点に成って居ました、聞くと上林城とか、早速調べ京都府綾部市に在る上林城との事、まぁ何時か行くかとリストの入れて置きましたが、今回郷里鳥取で慶讃法要が有り、名神北陸道舞鶴若狭道経由で大飯高浜IC降り府道1号線を綾部市へ上林街道と言ったそうです。

 上林地区に近づく独立丘陵に杉林が伐採され、城と分かる小山が見えて来ます、南に入り上林川を渡り、麓の在る藤懸陣屋跡を過ぎ登ると専用駐車場、登り口に成ります。

 軽四輪の轍が残る登城路を約10分程登ると本丸へ、南に天守台、前面に低い石垣が在る、西側の切岸、南側に空堀を挟んで南の曲輪、草木が茂り良くは分からない、本丸に在る縄張地形図では東西南北に曲輪が囲ってる様ですが草木が茂り、南の曲輪のみ判別、昭和53年から56年に発掘調査され、城山公園として整備されたようです、発掘調査時は樹木が相当伐採され、本丸、各曲輪が良く識別出来たのでしょうが年数が建ち桜、楓など植栽されて木々が城景観を妨げつつ有ります。

 案内板に由ると:独立丘陵に上林氏の居城、丹波氷上郡の土豪赤井氏の一族、足利尊氏に従って功を立てた赤井秀家がこの何鹿郡上林庄に住み、上林姓を称した。発掘調査によると16世紀前半が最盛期だった様子。織田の勢力、明智光秀の侵攻などで上林氏の勢力は弱まり、天正元年(1573年)以降、一族は各地に転出。
 そのうちの一派は宇治で茶業を始めて成功し宇治の茶舗上林家として有名。お茶のペットボトルで綾鷹が有りますがこれも宇治の上林家の様です。

 麓に藤懸陣屋跡が在り別編で投稿します。

 

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チェブ

用土 新左衛門の憂鬱。 (2022/04/30 訪問)

本日、看板びとです。
秩父にある「千馬城」、説明板の写真だけ写し退陣しました。

説明板には、100名城でもある「鉢形城」の支城として用土 新左衛門さんが築たそうです。
用土さん、調べてみると 藤田 康邦さんでした。
先日 投稿した「天神山城」も築いた方です。
藤田 康邦さんは、娘が北条 氏邦さんと結婚。嫡男は、北条家に毒殺。次男は、武田家に寝返りました。
藤田 康邦さんも「用土城」に移ります。
「千馬城」は武田家にも睨みをきかせているので、藤田 康邦さんの心情お察しします。

用土から、土用の丑の日を連想しました。
今年は、7/23、8/4です。
急に暑くなりました。土用の丑の日を待たずに、栄養取って元気に過ごしましょう。

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赤い城

鎌倉公園 (2022/06/12 訪問)

埼玉なのに鎌倉公園。
ここが館跡で説明板が立っています。
公園は高台にあり、北側の入口のところが少し広くなっていて駐車できます。
遺構は無さそうですが、北側の公園外の部分はなんとなく城を感じさせます。
岩槻城の太田氏家臣の松野氏の館跡です。
岩槻城とのセットでの訪問が良いと思います。

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小城小次郎

由佐さんはがんばった (2022/01/23 訪問)

模擬天守風の郷土館が建つが当時の土塁もちょこっと残る。益子氏の一族で南北朝期に讃岐に移った由佐氏は三好、長宗我部、仙石、生駒とその時々の領主にきっちり仕えてしっかり働き、郷士としてこの地に根を下ろしたのだそう。

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マサカゲ

今治城【究極の1枚】 (2020/01/15 訪問)

当日は曇天。
今治城を散策して帰ろうと思った最中、偶然にも雲が切れて高虎公の像からくっきりと影が伸びていました。

ついつい何かに取り憑かれた気分になり撮影。

究極の一枚には程遠いかもしれませんが、
個人的に不思議な経験でしたので投稿させて頂きます。

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