ふとおやまじょう

太尾山城

滋賀県米原市


旧国名 : 近江

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北城と南城の間の堀切
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:太尾山城 (2023/04/27 訪問)

前日の熱も薬と休養で微熱程度まで下がってきました。残り2日間なので無理せず遠征を続けます。
朝早く起きて、宿泊先の東横INNホテルの朝食前に徒歩で太尾山城を攻城しました。
攻城は湯谷神社(35.312836、136.295478)の右側から登り南城➡北城➡盗人岩➡青岸寺に下りるルートで攻城しました。

湯谷神社右より登り、左に大きく曲がって上り詰めると尾根に北城と南城の間の堀切があります。
南へ登るとすぐ南城があるようですが、ぼーとしていて確認せず北城に向かってしまいました。
北の尾根を伝って北に進むと、ここにも堀切があり、腰郭、虎口を経て北城主郭に着きます。

案内板によりますと、北条高時の時代(1316年)京極髙氏の支城となり、その後京極氏と六角氏の勢力争いが繰り返された境目の城だったようです。
1561年(永禄4年)6月、浅井長政が六角氏方の吉田安芸守の守る太尾山城を攻めたが、失敗し引き返したそうです。
1572年(元亀3年)1月、織田信長の兵2万が佐和山城を攻め、次いで朝妻城、太尾城を攻撃し太尾城はついに灰燼に帰したと記されていました。

南城を見逃したのは残念ですが、北城にも堀切や土塁が残っており、堀切好きの自分としては満足しました。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=下坂氏館攻城の為、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。

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城好きのメガネ

「太尾山城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
太尾山城は近江の守護であった佐々木氏が中山道・北陸道を監視するために築いたとされる。南北朝時代には京極氏と六角氏の境目の城として利用された。戦国時代には織田信長に攻められ廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR米原駅 徒歩15分

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ぴーかる

太尾山城 (2022/11/12 訪問)

【太尾山城】
<駐車場他>米原市役所駐車場(2時間まで無料)を利用。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁・北曲輪群主郭
<感想>太尾山城は築城年代は定かではないが在地土豪の米原氏によって築かれたといわれています。この城は北近江の京極・浅井氏と南近江の佐々木六角氏との境目の城で度々抗争が起こっていた城です。信長による浅井氏攻めの際に佐和山城が開城され太尾山城も廃城となったようです。
 この城は一城別郭で北の曲輪群と南の曲輪群とに分かれ、南北に走る山頂の尾根を削平した300m程の細長い尾根曲輪で繋いでいます。南の曲輪群の方は北からの進入口を深い堀切とほぼ垂直の深い竪堀で遮断していてこの辺りは見応えあります。南の主郭は土塁がL字に残され副郭は細長く伸びています。北の曲輪群は南の尾根曲輪からは2つの堀切で仕切り主郭下段の曲輪があり、主郭は広く枡形がある櫓台のような土塁が残されています。
 登城口は2つあり、湯谷神社からと青岸寺の脇からとあります。湯谷神社からは南曲輪群に着き、青岸寺からは北曲輪群に着きます。私は湯谷神社から登城し青岸寺に降りてくる1周で攻め城しました。下山途中に昔盗人が隠れ棲んだといわれる盗人岩という巨岩があり、ここからの眺望もいいです。青岸寺は参詣者以外駐車禁止となっています。米原駅から徒歩10分程度で登城口まで行けますので電車でも十分来れます。

<満足度>◆◆◇

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おっちゃん

太尾山城跡概要図 (2017/12/29 訪問)

現地案内板より抜粋。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 米原氏
築城年 不明
主な城主 米原氏、岩脇氏、中嶋宗左衛門尉
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡
住所 滋賀県米原市米原