こづつみしろやまじょう

小堤城山城

滋賀県野洲市

別名 : 小堤城
旧国名 : 近江

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国宝の本殿
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todo94

小堤城山城近くの国宝物件【大笹原神社】 (2025/11/08 訪問)

小堤城山城の近くには、本殿が国宝に指定されている大笹原神社があります。せっかくの機会なので立ち寄っていくことにしました。諏訪大社下社などの神楽殿のようなテイストを持つ建築が拝殿で、国宝の本殿はその奥に鎮座しています。本殿に向かって左側の篠原神社・通称「餅の宮」には鏡餅の神が祀られていて、これも国の重文に指定されています。これらの文化財を無料で拝観でき、何ともありがたい限りです。

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todo94

滋賀ドライブでの攻城③ (2025/11/08 訪問)

箕作城からの転戦です。2024年3月に立入禁止のゲートを見て引き返してしまったのですが、マイミクさんからゲートをまたいで攻城した旨、教えていただいたので今回リベンジを企画しました。案内表示など、とても良く整備されています。登城路の左右に雛壇状に連なる郭も見事ですし、石垣、堀切、郭、眺望など見どころたっぷりの素晴らしい城でした。帰路は眺望を期待して尾根コースをとりましたが、これは期待外れ。コースからの眺望は開けていませんでした。

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todo94

立入禁止 (2024/03/09 訪問)

皆さんの投稿を拝見していて大きな期待を持って昨日、赴きましたが、ゲートには南京錠がかかり「無断入山を禁ず」の表示があっては攻城を断念せざるを得ませんでした。吉川弘文館の「近畿の名城を歩く」にも所収の城なので何とか攻城できることを願っています。

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イオ

岩倉城(滋賀県野洲市大篠原小字岩倉) (2023/11/19 訪問)

岩倉城(古城山城とも・城びと未登録)は、築城時期等の詳細は不明ながら六角氏に仕えた馬淵氏の城と伝わります。馬淵氏が衰退すると永原氏の小堤城山城の支城として機能し、織田信長の侵攻により小堤城山城とともに廃城となったと思われます(なので、小堤城山城で投稿します)。

小堤城山城南東端の堀切から尾根道を東に進むこと5分あまりで古城山に到達。道は細いですが分岐はないので迷うことはありません。山頂には古城山(岩倉城)の表示があり、その少し東には「古城山と岩倉城・桜本坊と桜本池」の説明板が立てられています。尾根道を下って行くと堀切状に道が途切れ、ここが岩倉城南東部の虎口のようです。南虎口から城内に入ると、南辺から東辺にかけて細尾根を土塁に見立てた縄張になっていることがわかりました。城内には桜本池と呼ばれる池が今も水をたたえ、その東側の沢には石垣が遺っています。桜本池の北には北虎口があり、虎口の外側には石垣があったようですが見落としてしまいました…。桜本池の西側が岩倉城の主郭で、池側を除く三辺を高土塁で囲んでいます。中でも南辺は最初に到達した山頂部を大土塁に見立て、中腹に腰曲輪を設けた巨大なもので、なかなか見応えがありました。主郭には桜本坊跡の石積なども見られます。

小堤城山城から徒歩5分の距離でもありついでに登城してみましたが、石垣はあまりないものの、最高所より低い位置の主郭を高土塁で囲み、尾根を土塁に見立てた六角氏らしい城で、これはこれで寄り道した甲斐がありました。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 永原氏
築城年 大永年間(1521〜1528)
主な城主 永原氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 滋賀県野洲市辻町
問い合わせ先 野洲市観光物産協会
問い合わせ先電話番号 077-587-3710