亀井玆矩公墓所は砦の様
(2022/06/20 訪問)
亀井玆矩公の墓所は鹿野城の北西約2.8km程の小山武蔵山の明星ヶ鼻に在り鹿野城を望める砦の様な所です。
鹿野城、檀家寺、宿泊の山紫苑によく訪ねながら一度も参拝して居ませんでした、今回の檀家寺で慶讃法要が有り宿泊先の山紫苑の行き帰りに亀井玆矩公墓所の白い標柱がやけに目につき、夏は明けるのが早く5時前には明るい、食事前の6時から7時に参拝探訪しました。
これまでの行き帰りに目にはしてるのでしょうが、今回が探訪の縁と成りました。
住所:鳥取県鳥取市気高町山宮字田仲 駐車場は特に在りませんが田仲集落の西の入口三角コーナーに駐車可能数台(35.475342E 134.043207N)
田仲集落の中程に石垣と鳥居が構え、亀井玆矩公墓所の標柱、亀井武蔵守玆矩と解説板が石垣沿いに有ります、鳥居を潜って九十九道を登って行き、道は整備されています、石垣と石段、急な所を登りますので砦かなと思う造りです。墓前は広く、石垣基壇に角柱墓が立って居ますが墓標に刻んだ名は良く分かりませんネットの情報で「中山道月大居士」と刻んであるそうです、唐風に琉球の別称刻んだようです。
参拝して墓前の広場から鹿野城方向を眺める、朝の6時過ぎ朝靄で鹿野城の城山は微かに見えるほど、登りお降り朝でも汗びっしょり。
参拝終って鹿野城址を訪ねました、何時ものショットを取って終了約1時間程でした。
亀井玆矩公は山中鹿之助と尼子氏復興を願って毛利氏と戦い、秀吉の第二次鳥取城攻防戦で鹿野城を良く護り貢献する、鹿野城を与えられ関ヶ原では東軍に立ち43000石と成り因幡気多郡高草郡を治め、朱印船貿易での潤いで治水新田開発殖産などに勤めて領民に大いに敬われ、津和野移封に成って以降も現在も「亀井さん」と慕われています。
+ 続きを読む