日本100名城

やまがたじょう

山形城

山形県山形市

別名 : 霞城、霞ヶ城、吉字城
旧国名 : 出羽

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山形城
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山形城 (2023/08/25 訪問)

日本百名城

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HARU

酒田・鶴岡・山形旅行 (2015/06/29 訪問)

酒田・鶴岡・山形旅行に出かけた時に訪れました。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/24 訪問)

※米沢城、二本松城とともに登城。前日山形駅前泊。
8:00頃から
 山形城(百名城スタンプ 山形市郷土館、9時から)
9:33山形(JR)、10:21米沢,10:35米沢駅前(バス循環右回り)、10:46上杉神社前前
 米沢城(続百名城スタンプ 米沢観光コンベンション協会、9時から)
12:16上杉神社前(白布線バス)、12:29米沢駅前,13:08米沢、13:54,14:18福島14:40二本松
 (歩6分)二本松歴史資料館(百名城スタンプ R4.1に閉鎖されました)+二本松城散策
17:02二本松(JR)、17:25,17:37福島(新幹線)、18:06仙台
 仙台泊

※二本松歴史資料館はR4.1に閉鎖されています

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にのまる

最上義光歴史館/三の丸土塁 (2023/09/08 訪問)

霞城公園をじっくり楽しんだあとは二の丸東大手門から退場し、最上義光歴史館へ向かいました。
三度目なので100名城スタンプは押しませんが、つい習性で、入口にあった「城下町山形七福神」や「霞城公園来園記念」のスタンプをペタペタと。これも現地訪問のよき思い出です。
瀟洒な外観の歴史館は入館無料。最上義光・駒姫像に迎えられ、常設展示を見て第2展示室へ。古文書コーナーには若き頃の伊達政宗の書状。そして中央に鎮座する「三八間総覆輪筋兜」。義光が織田信長より拝領したと伝わる、弾痕も生々しい兜です。実物を見ることで慶長出羽合戦もよりリアルなものとして迫ってきます。

ここから駅に向かいながら(といっても通り道ではないのですが)、最後に築城当初から残っているという三の丸土塁に行ってみました。城内(三の丸)を歩いていると思えば、そしてこの先にお楽しみが待っていると思えば、町なかの移動も楽しいものです。
徐々に見えてきた緑の小山。最初に外側(町人地側)にまわってみました。長大な土塁を想像するに十分な高さがあります。周辺は寺社地でもあったようで、現在も稲荷神社に隣接しています。取り壊されなかった要因はそのあたりにあったのかなぁなど思いながら見上げました。
内側(武家地側)にまわってみるとより見やすく整備されており、解説板などを読みつつ暫しの間眺め、満たされた思いで探訪の締めとしました。

当初の見積もりを1時間オーバーする3時間の滞在となりましたが、今回で見尽くしたわけではなく、三の丸土塁は見学可能な場所がまだあるようですし、ほかにも駒姫の菩提寺の専称寺ほか、光禅寺、光明寺、宝光院など訪れてみたいところがあります。三の丸の外郭をレンタサイクルでまわって東北随一の広いお城を実感するのもやりがいがありそうです。今回歩いたところをもう一度なぞってみたいという気持ちもあります。

新幹線の駅に近いということで、これまではほかのお城に行った帰りに寄っていたのですが、そういう見方はもったいなかったと気づきました。
<おわり>

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概要

斯波氏の居城を江戸時代初期に最上義光が拡張。本丸を二の丸・三の丸が同心円状に囲む、輪郭式の城へと整備された。土塁と水堀によって城の守りが固められ、藩政期から残る二の丸の堀と土塁、さらに4つの内桝形の虎口からその構造がよく分かる。近世城郭の桝形門の典型である二の丸東大手門は復元されたもの。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 正平11年〔北朝〕/延文元年〔南朝〕(1356)
築城者 斯波兼頼
主要城主 最上氏、鳥居氏、堀田氏、秋元氏
文化財史跡区分 国史跡(山形城跡)
近年の主な復元・整備 最上義光、鳥居忠政
天守の現況・形態 御三階櫓[3重3層/1622年築?/破却]
主な関連施設 二の丸東大手門、大手橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、移築門、移築御殿
住所 山形県山形市霞城町1(霞城公園)
問い合わせ先 山形市観光協会
問い合わせ先電話番号 023-647-2266