水堀に桜が枝垂れて風情がありました
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2025/04/19 16:33
2025/04/08 22:55
専称寺でおこまを叫ぶ (2017/06/03 訪問)
(2017年6月3日)
(紹介URL)http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A0404020
最上義光歴史館からやや離れた場所に専称寺という寺があります。ここも駒姫に関する史跡巡りで絶対外せない場所。
山形駅でレンタサイクルを借り、地図を頼りにアプローチ。手探りのような感覚で探し、とある寺の前で地図を見直したら、左手に門があり、なんとそこが専称寺でした。つまり気づいたら着いていたわけです(笑)
スマホ検索で墓の形は知ってましたが、意外と境内の奥にありました。観光客向けの矢印に従い歩き、墓(1枚目)が目に入りました
墓の前に来たら、両手を合わせて黙祷…というのが、一般的なお参りかもしれません。もちろんそれはしましたが…それだけでは…想いが足りない…
「おこま~😭😂😆」と叫びました。「おこま」とは(とある歴史番組で彼女の死を知った親族が泣き叫んだ際に口にしていた)駒姫の愛称です
一期一会の訪問になるかもしれないので、墓の周りを何周もして、ここを見学しました
ちなみにこの墓は近年になって建てられたもので、それ以前は墓石の後ろにある小さな石しか置かれてなかったそうです
あと、駒姫は(他の側室と共に)三条河原で処刑された後、そこに掘られた穴に埋められたため、当然ながら遺体はこの墓にはありません
ここには遺品として山形に持ち帰られた頭髪(の一部)が埋葬されているそうです。おそらく小さな石の下に埋められたのでしょう
ま、三条河原の下に埋められたとされる遺体は骨ごと微生物に分解されたか、洪水で濁流に飲み込まれておそらくもう残ってないそうです
そしてここ専称寺に埋葬された頭髪もおそらくすぐに微生物に食われ、今は土に還っていると想像できます
でも、それを言ったら、歴史上人物の多くは、遺体は残ってない。もしくはどこにあるか分からない…そうです
例えば義経の首塚はあるけど、そこに遺体は無い…というのが一例。伊達政宗のように墓に遺体のあるほうがむしろ珍しいそうです(そのおかげで彼の生前における体格や顔つきが判明)
なので、歴史上人物の墓の多くは、「お墓」というよりも「慰霊碑」と解釈したほうが妥当なのかもしれません。墓の下にあるのは遺骨というよりは霊(たましい)みたいな
そもそも骨自体、そのまま残るということはなく、何百年も経過すれば分解されてしまうと知恵袋の情報から知りました。
とりあえずここには駒姫の霊が眠っている…と思うことにしました。周囲は竹藪と民家に囲まれ、閑散とした雰囲気。私以外誰もいなかったので…
「おこま~😂」と私は連呼して彼女の霊を慰めました…🙏
(2025年3月23日)
まさかの再訪問…墓の側までたどり着いた私は…そこで(前回は見なかった)案内板(2枚目)を目にしました
五輪の塔の後ろにある小さな石…この名称が黒髪塚というそうで…遺髪(処刑される直前に親族への形見として駒姫自らが髪を切ったのかも)が侍女の手により山形まで届けられて…この地に埋められた(上記の記事でも同じ内容を書いてるけど念のため記載)
案内板の末尾に令和三年と書かれており…前回私がこの地に足を踏み入れたのは平成二十九年のため…「どうりで見た覚えないはずだ」となりました
黒髪塚(3枚目)🪦 今回もまず…「おこまー😭😂」と何度も叫び…それから黒髪塚に100円玉、五輪の塔に5円玉をお供え
家からこの日のために…線香とチャッカマンを持ってきたので、黒髪塚に3本・五輪の塔に2本…それぞれ火をつけてから線香置き場に備えました。墓石の上に片手を添えたりしながら…私なりの想いを…気持ちを込めて…15分ほど…ひたすら祈りました。ここまでした人間は…私だけ?😅
ちなみにここ専称寺でも御朱印をいただきたかったのですが、本堂にも隣の建物にも…誰もいない。なので授与を諦めました。その少し後にネットで調べてみたら…浄土真宗のお寺(の多く)は御朱印をしないそうです
専称寺も浄土真宗を名乗る寺。(基本無人なので受付のしようがないという事情もありますが)つまりそういうことでしょう😓
(浄土真宗は御朱印しない 参考URL)
https://blog.goshuin.net/shinshu_01/
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2025/04/04 14:49
かっこいい最上義光像 (2025/03/23 訪問)
(参考URL)https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/kakuka/machizukuri/koen/sogo/yamagatajo/guide/about/
山形駅付近にある霞城公園。ここはかつて山形城と呼ばれ、最上義光が居城としていた場所。ここを散策してみました
中に入ってしばらく進むと…本丸一文字門(1枚目)がありました。門の右奥にさらに櫓門がある事により…中の様子が侵入兵からは見えない。つまり守りに適した造り…
ちなみに門に繋がる橋は平成17年に再建されたそうです。しかし現在は何故か…(画像をご覧のとおり)封鎖されており、先には渡れなくなってます。これは何故なのでしょうか?
最上義光像(2枚目)…昭和52年に鋳金工芸家の西村忠氏によって造られたそうです。つまり後世の人間がイメージで造った事は確かなので(義光に肖像画の類は基本無い…強いて挙げるなら慶長出羽合戦の屏風絵、明治期の人間が描いたモノクロ絵…それらは本人を見てもない人間が描いたのであてにならない)盛って造られた様子が目に浮かびます
特に「馬に乗った義光が何かを駆け上がる様子」というのが…イキってますねえ😁 ちなみに銅像の重さは3トンだそうです。それを後ろ足2本だけで支える🐴 そんな難しい銅像を完成できたのは山形鋳物の技術ならではの事…東日本大震災でもビクともしなかったわけだから…改めてその凄さが窺えます
(参考URL)https://y-sunka.org/blog/?p=3230
そして大手橋(3枚目)平成三年に木造で復元され、現在の山形城を象徴する建物となってます。この下をJRの線路が通っており…この門から外に出ると最上義光歴史館方面へと繋がるわけです。この城には天守は存在しない。けれど門は立派という印象を受けたので、直感で撮影
霞城公園は一部が水堀…その他(本丸一文字門に大手門)は空堀でした。最上義光治世期の頃は…防御機能を保つために、全て水堀だったかもしれません
最上義光歴史館にて御城印を購入。ここには(まだ時代が平成の頃に)一度来た事あったのですが、当時はまだ販売されてなかったので…それを補完する形にもなりました
4枚目右が山形城(その左は米沢城の)。通常盤と特別版があり、後者の方が(義光イラスト入りで)カッコよくはありましたが、「最初に買う時はスタンダードなものから」が私のポリシーなので、今回もそれに倣いました
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2024/05/19 07:37
入ってすぐに見どころ多し (2019/08/13 訪問)
山形城は東北でも屈指の規模を持つ、輪郭式の近世城郭です。最上義光によって三の丸を含む城域に拡張され、鳥居忠政の時代にいまの形に整備されたそうです。二の丸の外堀は広大で木造の橋を渡って二の丸東大手門から城内に入ります。門の先は枡形になっていて東大手門櫓は木造再建され公開されています。大手門櫓の西側には最上義光の騎馬像があり、皇居の楠正成像に匹敵する格好良さです。
本丸の周囲には空堀が巡らされており、本丸高麗門の先も枡形になっています。
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斯波氏の居城を江戸時代初期に最上義光が拡張。本丸を二の丸・三の丸が同心円状に囲む、輪郭式の城へと整備された。土塁と水堀によって城の守りが固められ、藩政期から残る二の丸の堀と土塁、さらに4つの内桝形の虎口からその構造がよく分かる。近世城郭の桝形門の典型である二の丸東大手門は復元されたもの。
城地種類 | 輪郭式平城 |
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築城年代 | 正平11年〔北朝〕/延文元年〔南朝〕(1356) |
築城者 | 斯波兼頼 |
主要城主 | 最上氏、鳥居氏、堀田氏、秋元氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(山形城跡) |
近年の主な復元・整備 | 最上義光、鳥居忠政 |
天守の現況・形態 | 御三階櫓[3重3層/1622年築?/破却] |
主な関連施設 | 二の丸東大手門、大手橋、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(空堀)、移築門、移築御殿 |
住所 | 山形県山形市霞城町1(霞城公園) |
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問い合わせ先 | 山形市観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 023-647-2266 |