二見城は、1331〜1334年に二見氏によって築かれた館城を前身とし、江戸時代の1608年に大和五條藩1万石余りの城主として入った松倉重政が近世城郭に改築したとされます。
重政は、もとは戦国大名筒井氏の重臣として仕えていましたが筒井氏が改易された後、関ヶ原の戦いの功により徳川家康によって大名に取り立てられました。
大坂夏の陣の功績により、1616年に重政は肥前日野江藩4万3千石の大名として転封になった後、二見城は廃城となりました。
今は立派な説明板がありますが、残念ながら遺構は殆ど残されていません。
絵図を見ると本丸・二の丸は小規模で、東西に長い河岸段丘上に築かれた平城だったようです。
本丸は今は妙住寺の境内で、北側・東側は吉野川が流れ断崖となり、西側に埋められてますが堀跡があります。
二の丸は今は木材会社の敷地で、城風の土塀が建ち、周りより高くなっています。
本丸・二の丸は南東側から見ると、かなり高くなっており、西側の外郭も南側から見ると高くなっており、河岸段丘の地形が分かります。
二見城の北には、重要伝統的建造物群保存地区の五條新町があります。
中世からの町場の五條と、松倉重政によって新たに造成された新町の2つの地区からなり、二見城の城下町として整備されました。
江戸時代からの建物が多く残されており、風情のある良い町並みでした。
重要文化財の栗山家住宅は、1607年の棟札があり建築年代が分かる民家では日本最古だそうです
新町通り沿いにある新町松倉公園に重政を称える碑、西方寺に重政の墓碑があります。
重政は肥前国の島原では重税を課したりキリシタンを弾圧し悪評高いようですが、五條では雑税を免除し商人を集りやすくし、町をつくった殿様として慕われているようです。
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