やのじょう

矢野城

徳島県徳島市


旧国名 : 阿波

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南の堀切 主郭から降りていける
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しんちゃん

堀と土塁、郭も散策してみて (2023/08/13 訪問)

日本城郭大系によると、城主矢野駿河守国村は、讃岐大川郡の
虎丸城主を兼ねたが、天正7年(1579)脇城外で討ち死にしたと
有ります。城跡は比高30mの小高い丘の上にあり
主郭には城山神社が建っています。周囲には石碑がいっぱいあります。
主郭から南の堀切に降りる道があり、東側に土塁が続き
堀に沿って西側へ進むと、左手側、南西の方向に郭があります。
一度城跡から出て、西側の道を南に進むと、東に続くあぜ道があり
そこから南西の郭にアクセスすることが出来ます。
郭は意外と広く土塁も一部残っているようです。
縄張り図の練習をしたかったので、自分の確認した遺構を
絵にかいてみました。余湖クンさんの縄張り図も書き方の参考に
させていただいています。感謝いたします。
自分の書いた縄張りと城郭大系の縄張りを比べてみると
まだまだ城域は広そうです。新しい情報をもとに再度
縄張りを書き直してみましたが、城山神社より東は
ヤブやガケが危険そうです。私は散策していない個所を
推奨できませんので、あらかじめそうお断りさせていただきます。
遺構の残っている城で100%安全な城は無いと思いますが
より長く城めぐりを楽しむために無事帰るを心がけています。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:矢野城 (2022/07/26 訪問)

一宮城からの転戦です。徳島市立考古資料館駐車場(34.060189、134.470023)に駐車しました。
駐車場所から徒歩4~5分で矢野城入口(34.059310、134.468668)に着きます。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558~70年)に矢野駿河守国村が築いたとされます。
天正年間(1573年〜1592年)の城主は矢野駿河守国村で、1577年(天正5年)三好長治と細川真之が対立して長治が自刃すると、当時讃岐国虎丸城主であった矢野国村は長治を攻めた伊沢頼俊を討ちとり、十河家を継いでいた長治の弟十河存保を勝瑞城に迎えました。
1579年(天正7年)三好康長の嫡男で岩倉城となっていた三好徳太郎康俊は長宗我部元親に降伏しました。
このとき、徳太郎は三好方の武将に土佐へ攻め入る為に軍勢を率いて参陣するように命じ、これに従った矢野国村をはじめ、森飛騨守、三好越後守などが急遽軍勢を整えて岩倉城へ向かいました。
しかし、これは謀略で脇城などから打って出た土佐方の軍勢に襲われ矢野国村は討死しました。

矢野城は市立考古資料館の南側にある南東へ張り出した尾根の先端頂部に築かれており、現在頂上には城山神社があります。
主郭はちいさな段がある程度で、城山神社の境内に「史蹟 矢野城址」をはじめ「日本最初のクリスマス」、「室町幕府十四代将軍擁立」、「農兵活躍史」などの石碑が建っています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=芝原城に向かいます。

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todo94

蜘蛛の巣 (2018/10/21 訪問)

続日本100名城の一宮城の近くだったので立ち寄ってみた。入口の標柱を見つけることができたのだが、ちょっと登城路は見つけにくい。長い間、訪れる人が無かったようで、すさまじい量の蜘蛛の巣が張り巡らされていた。写真撮影に差し支えるほどだったので、女郎蜘蛛の皆さんには申し訳なかったが、打ち払わせて頂いた。

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荘子木鶏

城山神社 (2018/04/16 訪問)

遠望すると小高い丘の上に築かれている。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 矢野国村
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 矢野氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 徳島県徳島市国府町矢野